第238話 謀反
◆
問答も何もない。
一瞬だった。
俺は二人に向かって踏み出し、半瞬の遅れの後、二人が動きを再開する。
先に落ちてくる剣を、手で逸らす。
刃の横を打つのだが、失敗すれば重傷で、戦いどころではない。
手刀が刃に触れ、わずかにそれたところで、その手刀が今度は手元を襲う。
もう一人の方は、仲間が壁になっていて、動きがやはり遅れた。
俺の手が剣を奪い取った次には、その剣で一人目を切り捨てる。
もう一人が腰だめに剣を引きつけたが、素人じみていた。隙が大きすぎる。
即座に隙なのか、誘いなのか、判断。
隙だ。
繰り出される相手の横薙ぎより早く剣を差し込むと、切っ先が胸を貫通し、男は一度、大きく体を震わせてから倒れこむ。
俺は剣を引き抜き、血しぶきから身をかわしていた。
「すごいな、さすがは剣聖の弟子」
窓際に立ったままだった彼の言葉に、俺は思わず強い視線をぶつけていた。殺気さえ覗いていたはずだが、彼は少しも動揺しなかった。
「事態は動き出した。これから、僕の命を狙って、大勢が来るぞ」
俺はもう視線を倒れている二人に向け、刺殺した方の男の剣を奪い、鞘も確保して、腰に下げた。短剣もそれぞれが一本ずつ持っているので、それも奪う。
「護衛はどうなったのですか」
短剣の位置を加減しながら確認すると、寝返った、と返事があった。
さすがに彼の方を見ずにはいられないが、平然と湯呑みを口に運んでいた。
「寝返ったというのは、どういうことですか」
「ここを守備するのは、トランヴィンスキ侯爵の一門の者が半数を占める。普段はそんなことはないんだけど、僕はトランヴィンスキを信用して、裏切られた」
彼の視線が倒れている二人を見ている。
この二人はトランヴィンスキの一門ということか。
武門の一つで、禁軍にも多くを輩出している名家だった。
それが裏切ることがあるのか。あるとして、では全体では何がどう動いているのか。
「瞳、とにかくは僕を守ってくれ」
「一人では無理でしょうね」足音が方々から聞こえるし、掛け声もした。百人などではないだろう。
「ここにいると、押し潰される。逃げ道は?」
「きっと全部、敵に漏れているな。どこかで辛抱するしかない」
辛抱するしかない、などと言っても、この少年が剣術にわずかに人より長けているとしても、俺と彼で簡単にしのげる状況ではない。
とにかく、今は味方の衛兵と合流するしかない。
指笛が激しく行き交っているのも聞こえてきた。簡単な伝達はそれで行うが、俺の知らない刻み方の音が多い。つまり敵はこの時のために用意した符牒を使っているわけだ。
いきましょう、と俺は彼の先に立って部屋を出た。
廊下に人の姿はない。いや、人だったものはある。
死体がまず二つ見えた。俺と彼がいた部屋へ二人が突入する前に、始末されたのだろう。
その横を抜ける時、素早く死体の様子を見た。一撃で首がほとんど輪切りにされているようだ。拷問されたようではない。なら、こちらの態勢に関しては、敵は事前情報しか知らないのか。
あまり即断するものではないが、とにかく、先へ進む。
門の向こうから足音がした、という時には三人の兵士が飛び出してきた。
剣を構え直しながら、間合いを詰める。
「やめろ!」
いきなりの声は俺の背後から。彼の声だ。
俺の繰り出した剣は兵士の一人を引き裂く寸前で停止した。
「信頼できるものだ、瞳」
三人の兵士はまだ圧倒されているようだが、彼の存在に気付き、片膝を折った。
「そんなことはしなくていい」彼がすぐに指示を出す。「味方を探し、即座に隊を編成して、剣聖府へ走らせろ。私のことは気にするな。お前たちの通報のための離宮からの脱出は、ほとんど決死だが、最後の務めと思ってくれ」
兵士の一人が、剣聖府に通報いたします、と即座に立ち上がり、残りの二人と目配せをすると、駆け去って行った。
「死ねと言われても、意外に聞き分けがいいものですね」
俺がそう言うと、彼は鼻を鳴らして、しかし得意げでもなさそうに答えた。
「僕と一緒にいれば、間違いなく包囲されて殺される。それよりは離宮から脱出した方が生き延びる可能性はある。そういう計算だろう」
「それで、俺たちはどうするのですか。味方を全部、使いに出して、俺たちはそれを囮にやはり脱出ですか?」
「そこまで甘くもあるまいよ。逃げ回ることにしよう」
逃げ回る。離宮は確かに広い。敵が仮に三〇〇を超えていても、いきなり二人を三〇〇人で包囲することはできない。それでも当たり前に考えれば、二人に二人を一五〇回ぶつけていけば、疑いようもなく二人を殺せる場面が出現する。
「何人切ったか、数えるようなことはするなよ」
彼の冗談に、さすがに笑う気にはなれなかった。
足音が近づいてくる。全部で五人ほどか。
「さっきのような口出しはしないでください。下手に俺を止めると、俺とあなたが死にますからね」
念を押したが、彼は無言だった。
もう誰が敵で、誰が味方か、判断している余地はないと、わかっているのだ。
俺は剣を握り直し、構えた。
兵士四人が、角から飛び出してくる。
視線がぶつかる。
突進。
四人が動き出す。向かってくる。
なら敵だ。
一人の首筋を切り、噴き出した血が壁に赤い帯を作る。
三人が声をあげ、向かってくるのに対しても俺は無言だった。
刃はしゃべることはない。
刃はただ刃として、走り続けるのみだ。
手に鈍い感触。力の加減で、それは消える。
刃は抵抗なく、肉を断ち、骨を断ち、命を絶っていく。
重い音で、人だったものが廊下に転がる。
(続く)
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