第240話 死神

      ◆


 すれ違う。

 命が消える予感。

 誰の命か。

 俺か。

 刃を振り抜いた。

 すれ違った。

 手応えはない。お互いが避けている。

 反転と同時に、再び剣が交差する。

 剣がもぎ取られるような感覚。

 甲高い音とともに、剣が半ばから折れて飛ぶ。

 ここで剣を切る技を繰り出す余裕が、尽にはあった。

 粗悪品では、本当の刃には対抗できない。

 空で素早く刀が反転し、俺の首に突き進む。

 見えているぞ。

 尽の表情を見る余裕はない。

 刀を常に意識し、こちらの折れた剣を詳細に把握する。

 無理を承知で、間合いに突入する。

 刀が停止することはない。

 折れた剣を差し込む。

 半分になった剣が刀を受ける。

 火花が盛大に飛ぶ。

 ただただ前へ出た。

 刀を使い物にならないはずの剣がついに受け流し、自由を取り戻す。

 間合いはゼロ。

 ただ力任せに剣を叩きつけた。

 具足を砕き、さらに力を込める。

 剣が埋まった胸から、血が噴出し、俺を染める。

 息を吐いたのは、俺か、尽か。

 ぐらっと尽が膝をつき、刀を手放した。体が倒れこむ力で、俺の剣は自然と抜けた。

 倒れこんだ尽が虚ろな視線で俺を見上げているのを、俺は立ち尽くしたまま、眺めやった。

 尽が何か言った。

 さすが、という音だけは聞き取れたが、それ以上は血のあぶくに消え、そのまま尽は事切れた。

 思わず溜息を吐き、剣を捨てた。

「知り合いかな」

 寝台に座ったままだった彼の言葉に「ええ」と応じながら、袖で血に濡れた顔を拭ったが、袖も血で湿っていた。生ぐさく、気分が悪くなりそうになるが、すぐに考えなくなった。

 足元に落ちている尽の刀を取り上げる。

 俺は刀を使う稽古もしてきた。どちらかと言えば剣よりも使い慣れているが、ちょうどいい刀に巡り会えなかったのだ。

 剣や刀というものは、それぞれの剣士が自分に合った長さや重心を求めるため、個人個人、それぞれのためだけに作られる。

 兵隊のような形だけの揃いの装備など、剣聖府にはない。

「かなりの使い手に見えたが、顔に見覚えがある。トランヴィンスキの一員だな。名前は、そう、尽だったか」

 なんでもないように彼が言うし、俺も平然と答えた。

 殺し合いなどなかったように。

 目の前に死体がないように。

「トランヴィンスキは本当に寝返ったようですね」

「これで確実だな。しかし、増援が来れば何の問題もないよ」

「その前に俺もあなたも、死んでいるかもしれない」

 手にしている刀を何度か振った。すぐに馴染んできた。万全に使えるだろう。刃はやや血と脂にまみれている。床に放っておいた布を手に取り、ぬぐい取った。

 悪くない刃の光り方をしている。

 俺は尽だったものから鞘を回収し、腰にあった鞘を一つ捨てた。

「兵士の一人二人ならともかく、尽が戻ってこないのは敵にとって重大事だろうな。移動しよう」

 すっくと彼が寝台から起き上がる。

「どこか、都合のいい場所がありますか?」

「離宮に、後宮のようなものを作って、女を集めてあるんだ」

 この人物の喋り方は、常に前後が曖昧になる。

「後宮にいる女は全部で十名程に過ぎないが、彼女たちは当然、日々、生活している。食べ物も必要なら、着物も必要だし、雑貨も多く必要になる。それらを調達する時、後宮に直接に品が入るように、裏口がある」

「離宮を囲む防壁に門があるのなら、即座に反乱部隊が押さえるでしょう」

「そう、だから、そこをこちらから襲撃すれば、反乱部隊は自然、そちらに集中する」

「集中されても困る。こちらは実質、俺一人しか戦力がない」

 それでもやれることはあるさ、と彼は微笑んでいる。

 まったく、実際に剣を取らないのに、ここまで堂々としていられると、何か、自分が間違っているような気分になるな。

「裏門とやらを襲撃し、どうするのですか?」

「反乱部隊を引きつけておく。引きつけたら、すぐに逃げる」

「逃げるも何も、離宮の中は現状では敵しかいないですよ」

「内側に逃げ込むしかあるまい」

 何気ない言葉だったが、さすがに俺も瞠目してしまった。

「まさか、後宮へ飛び込むわけですか?」

「さすがに彼らも女を無駄に切ったりはするまい」

 その言葉を聞いた時、不自然な感覚、違和感が俺の脳裏に浮かんだ。

 俺が言ったことは間違っていないはずだ。後宮に飛び込むことで、女たちが巻き込まれるのを危惧するのは、当たり前だ。

 その俺の言葉を受けて、彼はまるで違うことを考えたように見えた。

 彼は何を考えている?

「さあ、行こう、瞳。時は一刻一秒を争う」

 彼は言いながらもう立ち上がり、扉へ向かっている。

 と、足音とともに三人が飛び込んでくる。

 尽の死体を前に、三人が足を止め、俺は彼らに襲いかかった。

 尽の刀は、彼の味方を屠ることになった。

 三人ともが倒れ込み、俺は刀の血を払う。

「さっきよりも振りが速くなったね」

 他人事のように言いながら、三つの死体を彼が眺めやる。

 いきましょう、と俺は先に部屋を出た。

 もう死体を前にしていたくなかった。

 俺は、あまりにも多くの死を生み出し続けた。そしてまだ、死を与えることは終わらない。

 どこまで血に塗れればいいのか。

 剣を取るとは、死を拡散させることだと、師匠はよく言っていた。

 剣を極めれば、剣を取らないで済む、ということは綺麗事だと。

 剣を極めるなど作り話で、自分への欺瞞に過ぎない。

 剣術はただ、生きるか死ぬかの勝負において、自分を生かし、相手を死なせる、それだけの技だ。

 兵士が前方から走ってくる。四人だ。俺と彼に気づいて、笛が吹かれる。

 それを止めるため、俺の手が腰の短剣を素早く投げるが、別の兵士はこれを剣で打ち払った。

 前進。

 笛を手放したものも含めて、四人が半包囲の形で押し包んでくる。

 構うものか。

 ここは戦場で、俺は今や、死神と化している。

 兵士たちが悲鳴をあげる。

 刃が止まることはない。

 確実に、非情に、冷酷に、躊躇なく、刃は動き続けた。

 死は繰り返される。



(続く)

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