第236話 上と下

      ◆


 彼は俺の横でゆっくりと足を組み替えた。それくらいの空間の余裕があった。

「この国で血筋が意味を持ち始めているのは、僕も父上も把握している。その血筋の中でも、皇室の血こそ、何よりも価値を持つとされ始めて、今やそれは歯止めがきかない」

 俺はじっと耳を傾けた。

「この国では、女性が権威を持つことがなぜか、ほとんどない。男たちが政治も軍も掌握し、商売でさえ男が先頭に立つ。そして女たちは、その男たちに利用される」

 俺は彼が言いたいことがぼんやりと見えていた。

 女たちの悲劇と、彼の血筋は、一体なのだ。

「僕が女を呼ぶとき、女たちはきっと喜ぶだろう。それは僕からの指名が嬉しいんじゃない。皇太子の声がかかったことで、僕の血を引く子どもを産めるかもしれない、と思うからだ」

 人さし指がトントンと彼の膝を打つ。

「もし子ができれば、その子は次の次の帝になる可能性がある。男児ならば、だ。そこがまた難しい。女児だったらどうなるだろう? どこかの貴族と皇室の橋渡し、結束の証として、嫁に出されるのか。それはそれで悲劇だ。女たちはなんでここまで、利用されるんだろうね」

 彼が俺の目をまっすぐに見た。

 純粋な光り方をしても、この少年の胸の内には様々なものが収められている。

 人の善意であり、悪意であり、澄み渡ったものと濁りきったものが、渾然一体にそこにある。

「男たちの独善、ではないですか」

 俺は言葉を選んで答えた。

「男たちは男たちの間で上下を作るように、男と女の間にも上下を作った。誰もが支配者になりたいという願望を持つとしたら、男女の間にも支配者と被支配者が生じるでしょう」

「その支配者は、愚かそのものだな」

「あなたが愚かでなければそれでいいと、俺は思います」

 馬車がかすかに揺れる。

「皇室の血は、あまりにも広まりすぎた。そう見ているものが多い」

 彼が言葉を続ける。

「どこかで整理が必要だが、皇室の整理だけで、この国を単純化することはできない。そう思うものがいる」

「皇室の整理だけで?」

 さすがに触れないわけにはいかなかった。

 皇室の整理だけでないとなると、貴族家の整理も行うのか。

 この国にはかつて、十二公爵家という名門があり、今は九つになっているが、その九公爵家は国の根幹を担っている。政治、軍事はほとんど彼らの領分で、経済さえも、財閥の台頭が目立ってきたがまだ貴族が大きな部分を支配している。

 彼はその貴族たちを、整理するのか?

 どうやって?

「血筋が全てに優先されるという状態こそが、この国を歪にしているという主張を、父上は深く考えられた。しかし、国を支える貴族たちを欺くことができるわけがない。また、自由にすることもできない。口実が必要だった」

 不穏な話の内容に、俺はまじまじと隣にいる少年を見た。

 何を考えているか、よくわからない目の色にいつの間にか変わっていた。

「今日、二人で行った屋敷に、女が何人もいたけど、よく見たかい?」

 のどかと言ってもいい声に、俺は無言で首を横に振った。

「あそこにいたのは貴族の娘たちで、まあ、後宮に入れるものの予備みたいなものだよ。身元ははっきりしているし、美しく、聡明で、何より若い。僕の好みは別にしても、美女揃いだ」

 話がやはり脈絡がない。

 しかしどこかに、繋がりはあるのだ。

 馬車が一度、停車した。内壁の門に到達したのだろう。御者の短い声が聞こえ、再び馬車は動き出した。

「貴族たちは必死だよ。自分の娘を後宮に入れて、子を産ませれば、自分はその帝なり皇太子なりの義理の父や祖父になれる。公爵などとほぼ同格になれるわけだ。父上もそれには苦労されたと聞いているが、とりあえず、この構造はなかなか変えづらいものだな」

「権力は、人を呼びますから」

 俺がかろうじてそう口を挟むと、違いないね、と彼は笑う。

「人間を利用する権力争い。この国の頂点に立つことで、何が手に入ると思っているのやら。実際には、円卓評議会の言いなりになり、ただ書類に名を書き、他にない印を押して、それで役人が動き出す。帝とは、署名と印を持っているだけなんだよな」

 愉快そうに笑い続ける彼に、俺はやや困惑した。

 酒が入っているのは知っているが、それにしては情緒が不安定だった。

 彼が馬車の窓を隠している幕を少しずらした。この馬車には高級品の板ガラスが使われていた。

 窓の向こうは夜の闇に沈んでいる。街並みからして、内壁の内側だ。東宮と呼ばれる皇太子が住まう離宮へ向かっているのだ。

 しばらく二人共が黙った。

「今日の娘の中に、興味深い女がいた」

 口元を手で撫でながら彼がそう言った時、ゆっくりと馬車が停車した。

 扉が叩かれ、ゆっくりと開く。

 そこはもう離宮の敷地の中だった。扉を開けたのは、離宮の衛兵だ。

 手を借りて彼は馬車を降り、「ついてきて、瞳」と俺を呼んだ。

 彼に続く形で離宮の建物に入る。天帝宮より歴史は浅く、また小さかった。今の帝が皇太子の時、離宮に付属する土地を公爵に下賜したということもある。

 建物に入り、彼はすぐに着物を変えた。俺はそんな立場でもないので、彼が応接室へ入ってくるのをただ待った。

 部屋に入ってきた彼は、薄手の上品な着物を着ていて、俺の前の椅子に座ると「どこまで話したっけ?」と首を傾げた。従者が二人いて、お茶がすぐに出てきて、菓子も用意された。

 二人に出て行くように彼が身振りで指示して、二人きりになると、やっとお茶に手を伸ばした。俺は声量に注意して、質問にやっと答えた。

「興味深い女性がいた、ということでしたが」

「ああ、そうだったか。その娘というのが、タガケ侯爵の想い人なんだ」

 正直、困惑した。

 想い人というのは、一方的な恋慕なのか。

 それともお互いに想い合っているのを、彼が引き裂こうとしているのか。

 単に許嫁、というわけではなさそうだった。

 余計な混乱を起こすような行動を、彼が選ぶのは、正直、意外だった。

「これは最後の一押しって奴だよ」

 お茶をすすりながら、彼は言った。

 最後の一押し?

 何を押したんだ?



(続く)

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