第229話 呪われた地位

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 透はゆっくりと俺の枕元に立つと、嬉しそうに微笑んだ。

「死にもせず、殺しもせず、とは、見上げたものだね」

 敵意も害意もなく、ただ面白がっている風だった。俺も笑みを返しておく。それだけの気力が回復していて助かった。

「たまたまかな。この通り、俺は半死半生だ。そちらのお嬢さんは?」

 物怖じしないね、と透はまだ笑っている。

「あの子は右腕が使えなくなった。誰かさんが刀で刺した後、その刃を肩の方へ走らせたからだけど、身に覚えはある?」

「外に刀を逃さなかったら、本当に死んでいるよ。それはわかるよね?」

 口調を真似して見せたが、透はやはり穏やかなままだった。

「僕でもわかるし、あの子も分かっている。意識を失わないのが不思議だったな。だいぶ痛そうだったけど、脂汗は流すだけで、表情は変わらないんだ。剣士というのも、人間じゃない」

 容易に想像できる光景だったけれど、なるほど、普通に見れば異常なことだ。

 俺の左腕が切り落とされた時もそうだった。業火に焼かれるような痛みがあったし、しかもそれは一瞬で思考を焼いた。発狂しそうなほどの激痛の中でも、しかし俺はどこか、平然としていたのだ。

「まあ、本人が剣士の定めと言っていて、瞳、君を恨む気は無いらしい。しかし額の傷はちょっと、可哀想だと思う。本人に言うと僕が殺されるかもしれないから、黙っているんだけど」

「額の傷?」

「鉢金を切られた、って言っていたけど、それもまた勝負の一部、っていうのがあの子の言葉だ。全ては自分の未熟、至らなさと割り切っている。斬り合いを所望するだけの覚悟があったわけだ」

 そうか、俺の刀は鉢金を切って、時子は額から血を流していたか。すっかり忘れていた。

 深い傷ではないはずだが、女性の顔に傷をつけるのを躊躇わない俺も、相当に非情である。

 透は寝台に腰掛け、話題を変えた。

「医者が言うには、体の中の澱を吐き出して、生き延びるだろうということだったけど、その様子だと見立ては正しそうだ」

「前も同じようなことがあった。体というのは不思議だな」

「まさに」

 透はわずかに視線を外し、もう一度、こちらに向き直った。

「話すべきことが二つある。一つ目は、剣聖の座に誰がつくのか、ということだ」

 俺は無言で頷いた。

 俺には俺の考えがあるが、透はまず、円卓評議会の意見を伝えてくるはずだった。

「円卓評議会は、やや強引な決定を選んだ。剣聖の座は、空位にする」

「……同じだ」

 思わず声が漏れた俺を、パチパチと瞬きして透が見る。

「同じって、何と何が同じなんだい?」

「俺は、剣聖を空位にするべきだと思っていた。これ以上、その称号のために人が争うべきではないと、そう思っていた」

 興味深いね、と透がなおいっそう、嬉しそうに笑う。

「実は、円卓評議会をそちらへ誘導するきっかけは、時子なんだ。あの子が、剣聖は空位にして、そのまま剣聖府の終焉を待つべき、と意見を言った」

 なんだ、彼女も同じ発想か。

 不思議だなぁ、と透がつぶやく。

「二人ともが、打ち合わせも何もなく、同じことを考える。二人には相通じるものがあった、ということか。同じ人物に見出された特別な剣士だからとか、そういうことだけじゃないのかもな」

「で、誰が円卓評議会にその話を? あのお嬢さん自身が出席したのか?」

「父上に睨まれたが、僕が代わりに言った。無姓の公爵は何も言えないが、無姓の侯爵なら許されるだろう、と思ったけど、父上はカンカンに僕を叱りつけて、次があれば切る、とまで言われた。そうしたら誰が家督を継ぐのか、と思ったけど、あの人なら自分の代で血筋が絶えても構わないと言いそうだったな」

 透はそう言いながらも、気落ちせず、むしろどこかイタズラを成功させた後の子どものように楽しげだった。

 いずれ透も、公爵に上がれば、私的な意見などどこにも出せないし、公的な意見もまた、口にできなくなる。

 今だけは、と思っているのかもしれない。

「とにかくだ」透が真面目な顔になった。「剣聖は空位とする。それを陛下も受け入れてくださるだろう。剣聖というのは結局、最後には呪われた地位になったな」

「剣士自体が、呪われているのですよ」

 あの子も同じことを言いそうだ、と透は口元を手で隠していた。

「次の話は、個人的なことだけど、まぁ、一応、耳に入れておく」

 個人的なこと?

「蒼華・ブルウッドは財務司の国庫役の仕事を辞めて、バッザ公爵の家臣になった。明日には天帝府を出て、バッザ公爵領の中心地の緑州で、勘定役の補佐という立場になる」

 どう答えていいかわからず、じっと透の目を見たが「不服そうな顔をしないでよ」と拗ねたような口調で指摘されてしまった。

 不服そうな顔をしているだろうか、と思いながら、とりあえず視線を天井へ向けた。

「彼女は剣聖府の縮小計画と、軍学校創立の計画の素案を作った人物として、引く手数多だった。貴族はもちろん、財閥のうちの幾つかが興味を持つほどにね。父上は別だけど」

 父上は、という表現は、僕は興味があったけど、という言葉につながりそうだったが、透はそうは言わなかった。察しろ、という感じでもあった。

「とにかくバッザ公爵が一番大胆で早かった。そして安全だ。完全にではないけど」

「完全に安全ではない?」

 思わず問いを返すと、計画だよ、と透の方がまさしく不服そうな表情に変わった。

「カプリカニアが恨んでいる。そもそもからして、あの公爵が剣聖府を良い様に処理して、その代わりに軍学校を作るはずだった。しかし主導権をハンヴァード公爵とバッザ公爵が強引に奪い、その計画を蒼華に作らせた。カプリカニア公爵は腹立ち紛れに、蒼華を狙うかもしれない」

 それは困ったな、と冗談を返したかったが、さすがに言葉にはできなかった。

 俺の体が万全なら守護できる、というのも違うだろう。相手は貴族、それも公爵で、ことは決して表に出ない、闇の中の出来事になる。

 いくら刺客を退け続けても、それはカプリカニア公爵とは無関係のままだし、いつまでも防ぎ続けるのは無理だ。いずれは潰されるかもしれなかった。

 カプリカニアを黙らせる必要がある。

 なんらかの方法で。

 何かできるだろうか、と思った時、切り札はある、と透がまだ不愉快そうなまま言った。

「切り札とは、なんでしょうか?」

 言葉を整えて確認すると、透がわずかに声を小さくした。

「夜道で襲われただろう? 記憶にないかな。一人の時にだ。飛刀が飛んできた」

 はっきりと覚えていた。

 ただあの時は、相手の姿は見えなかった。

 見えなかったが、後になって、検証するための材料があり、推測はできていた。

「実は、供がいる時にも、襲われたんです。ですが、あれは不自然な襲撃だった。その時、顔を見せた暗殺者がいた」

 正確には、暗殺者は霧矢という女で、そこへ更に襲いかかってきたのだが、それは説明を省いた。

 透が頷くと、扉の方を見た。

「入っておいで」

 扉が先ほど、透が入ってきた時は音を立てたはずなのに、今、見ている前では少しも軋まずに緩慢に開いた。ものすごい違和感だった。

 そこに立っている女性は、上等な着物を着ている。

 今は黒装束ではない。武器も携行していないようだが、あるいは隠し持っているのか。

 ただ、間違いなく、彼女だった。

 礼真だ。

 彼女は衣摺れの音さえもほとんど起こさずに、わずかに顔を伏せ、しずしずとこちらへ歩み寄ってきた。

 透は俺に肩をすくめて見せた。

 俺も肩をすくめることができたら、そうしていただろう。



(続く)

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