第6話 新しい場所へ

     ◆


 五人を斬ることは容易い。

 俺はそう思っていたが、何か、ここで五人を斬る必要性は完全に否定されていると思ってもいた。

 それが蒼華の前で人を斬りたくないという一点から来るのかは、自分でもわからない。

 二度、五人同時に攻めてくるのを打ち払った。

 二度目には、わずかに相手の一人の剣が、蒼華へ向かいそうになった。

 次こそは、蒼華を狙って俺を崩し、たった一撃でも浴びせてくるはずだった。

 そうならなかったのは、前触れもなく現れた青年が間に入ったからで、俺はその人物のことを知っている。

 助けられた、とは思いたくないが、助けられた形だ。

「無駄な殺生は陛下のそばでは好ましくない」

 低い声でその青年が言うと、五人は訝しげな様子だったが、警戒してか、わずかに距離を取った。

「遊女を一人、逃がした」

 剣士の一人がそういった。五人は今まで無言だったのだ。

 青年がそちらを見て、懐から何かの小袋を取り出した。それが剣士達の前に投げられる。地面に落ちた時の音で、金の粒が入っていると俺にはわかった。

「それで足りるだろう」

「面子がある」

 剣士たちは袋を拾わず、そしてまだ、剣を鞘に戻していない。

 青年は剣を抜かずに、それと堂々と対峙している。

 対峙できるのは、剣を抜いているかいないか、などという形以前に、格が違う。

 俺に技量の差、人間としての差がわかるのだから、剣士たちも察しているはずだ。知れないのは俺の横で目を見開いている蒼華くらいだろう。

 剣士たちは目配せもしない。まだ決めかねているのだ。押すか、引くか。

 その様子に、青年が落胆したようで、すっと何かを懐から出した。

「私はこういうものだ。それでもやるかね」

 反応は今までになく劇的だった。

 剣士たちが大きく距離を取り、剣を構え直したのだ。しかしそれも形だけで、先ほど声を発した男が「下げよ」といって剣を鞘に戻すのに合わせて、他の四人も剣を鞘に収めた。

 何とか血を流さず切り抜けられそうだ。

「それで良い。どこへなりとも行け」

 剣士の一人が落ちたままだった小袋を拾い上げ、五人は小走りに去っていった。

 いつの間にか周囲には野次馬が数人いたが、斬り合いが起こらなかったからだろう、残念そうに散っていく。

 青年が俺の方を振り返り、肩をすくめた。

「お前も案外、騒ぎが好きなようだな、瞳」

「そういうわけではないんだが、この小娘も無関係じゃない」

 そういう俺に、青年が微笑む。蒼華はまだ状況が飲み込めないようだ。

「それで瞳、天帝府を出ていくのか?」

「やっぱりそれがいいだろうと思う。いいきっかけさ」

 うん、と青年が頷き、すっと俺のそばに体を寄せると、さっき剣士たちに見せたものを、そっと俺に手渡した。

 襟飾。

 剣聖府に所属するものが持つ、最高位の剣士に仕えるものの証明だった。

 しかも、ただの襟飾ではなかった。

「これは受け取れない」

 素早く押し返そうとするが、持っていけ、と青年が言う。

「お前は確かに剣聖の「弟子」ではないが、「後継者」であることに変わりはない」

 胸が苦しくなり、痛みさえもある。

 俺は剣聖が特別に任命した後継者でありながら、何ら役目を果たせなかった。

 無駄な混乱の中で、無駄なことをした。

「いいから持っていけ、瞳。剣聖はいずれ、お前に全てを譲るさ」

「それはあなたにこそふさわしい名誉だ」

「あなた、などとしゃちほこばるな、瞳。ここで俺とお前で剣術比べでもするか? きっと俺の方が負けるさ。違うか?」

 どう答えることもできないまま、俺はその手のひらに収まる黄金で作られ、貴石のついた襟飾を、つき返すことを諦めた。

 頭を下げ、それは懐に入れた。

「それで、どこへ行くつもりだ?」

 一歩引いて、青年が問いかけて来るのに、俺は少し間合いを取って立ち尽くす蒼華の方を見た。

 蒼華は今までのやり取りをそばで聞きながら、何も言わなかったが、まだ突然の展開の連続に、気を飲まれているようだ。

 俺は蒼華に向けて顎をしゃくった。

「その娘にしばらくは、くっついて行くことになる。どこに行くかは、そいつ次第だ」

 やっと気を取り直した蒼華は不機嫌剥き出しの顔をするが、何も言わなかった。

 青年が一度頷き、ぽんと俺の胸を叩いた。

「達者でな、瞳。また会える日を楽しみにしている」

「ありがとう」

 背中を向けかけた青年が動きを中断して、こちらに向き直る。

「遊女を逃したというのは、その遊女に惚れていたのか?」

「まさか」

「じゃあなんで、逃がした?」

 哀れだった、と口をついて出そうになったが、ぐっと飲み込んだ。

 彼女は哀れんでほしくないだろう。

 俺の自己満足のためにしたことだ。

 他人を憐れむ俺を、俺自身が求めただけのこと。

 黙っていると、青年はどう解釈したのか、嬉しそうな笑みを見せ、今度こそ背中を向けて去っていった。

「いったい何がどうなったわけ?」

 青年の背中が小さくなってから、蒼華が俺にそばに立って、確認してくるが、俺は黙って城門の方へ歩き出した。慌てて蒼華がついてくる。質問も一緒にだ。

「なんかものすごい大金持ちみたいだけど。服装もだけど、あの小袋、あれ、金か銀が入っていたんじゃないの?」

「気にするな。どうせあんたのものじゃないしな」

「少しは投資してもらえるかもしれないじゃない」

「誰から誰にだ? まさか、あんたにか?」

 じっと見据えてやると、蒼華はうろたえたようだが、すぐに気を取り直したと視線の強さでわかる。

「私に投資しなかったことを後悔させてやるわよ」

「あの様子だと、今はまだ、投資する対象じゃないと見られていたわけだがな」

 論破したつもりもなかったが、もう何も言わずに、蒼華は俺の背後についてきた。

 城門を抜けても城壁に沿うように建物が並んでいる。

 天帝府の大都市も、しばらくは見ないで済む。

「どこへ行く? 蒼華」

 声をかけてやると、蒼華は少し考えた後、どこか吹っ切れたような笑みで応じた。

「お金を稼げる場所へ行きましょう」

 そんな都合のいい場所があるか、と言いながら、俺は思わず笑っていた。

 とにかく、視界は開けつつある。

 何があるかはわからないが、とにかく、世界は広いし、今、それを俺たちは見晴らしているのだ。

 幸運が待っているか不運が待っているかは別にしても、待っている何かを迎えに行くことが、できるのだ。



(続く)

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