第5話 すぐそばの死の気配

     ◆


 私が最低限の荷物を持って元の路地へ戻ると、瞳は刀を抱えるようにして座ったまま、動かないでいた。

 声をかけるのも躊躇われるほど、ピクリとも動かないし、静かすぎた。眠っているのかもしれない。

「遅い」

 低い声に思わず足を止める私を、彼はチラとも見ないままだ。まぶたも閉じられている。

 ゆっくりと歩み寄り、ちょっと恐々と彼の横に腰を下ろした。

 沈黙しているのも居心地が悪いけど、何を話せばいいだろう。

「あんたは」

 それでも私は口を開いた。

「どこで剣を習ったの?」

「天帝府で」

 ボソッと返事がある。夜の静けさが乱れない程度に抑制された、それでいてよく聞こえる声だった。

 しかし、当たり前だ。ここが天帝府だ。

 天帝府で剣を習った、と言われても、天帝府には無数に道場があるし、つまり意味が無いか、はぐらかそうとするよくわからない返答なのだけど、その響きだけで、余計な質問を拒絶する意志は、さすがに私にも見えた。

 もう何も言わず、黙っているうちに周囲が明るくなっていく。

 時計がないから時間がわからないな、と思った瞬間、いきなり瞳が立ち上がったので「わっ」と声を上げてしまった。

 立ち上がったまま、不思議な動きをしているのは、体を力ませたり脱力させたりしているらしい。それで全身がほぐれるんだろう。私も真似したいけど、どことなく無造作な動きではないので、真似したところで私には無意味だろう。

 それでも私も体をほぐすべきなので、立ち上がって、屈伸などしたけど、その横でもう瞳は腰に刀を差し、こちらをじっと見ている。

「何よ?」

「素人の動きだな、と思った」

 だって、素人だし。

 何か言い返す前に、来い、と瞳は路地を出て行こうとする。私は荷物を背負いあげて、素直にそれを追っていった。

 いつの間にか通りの明かりは消え、束の間の静けさの中に天帝府はある。

 通りには酔っ払いが寝転がっていたり、座り込んでいるけれど、この時間だけは客引きもおらず、本当に静かだ。喧嘩する人もいない。

 城門が夜の間は閉ざされているので、それもあるんだろう。

 通りをゆっくりと荷車が二人がかりで引かれていくのと同じ方向へ、私と瞳は歩いた。

 前方に城壁があり、真っ直ぐの通りの先では、巨大な城門が閉ざされているのがすでに見えている。

 どこか遠くで鐘が鳴らされ始めた。

 城壁が開く時間だ。

 開くのを待っている人が相当数いたけれど、昼間の人出と比べれば少ない。

「待て」

 城壁が開かれていくのを見ている時で、まだそこまでは長い距離があった。

 私の前を手で遮った瞳に視線をやると、どこか感情のない表情で、まっすぐに前を見ている。

 何が、と思う間もなかった。

 大通りに通じている道から、五人ほどが進み出てくる。全員が剣を佩いていて、そしてどことなく、今の瞳の表情と共通するものがある。

 冷静さ、というよりは、無感情に近い気配だ。

 私は一歩、二歩と下がった。

 それを合図にしたように、五人が同時に剣を抜き、瞳を包囲するように立ち位置を変えた。私も当然、その包囲に含まれている。

 ちょっとちょっと、このまま、切られたんじゃたまらないわ。

 だけど、私が五人の間を駆け抜けられるとも思えない。

 近づけば一撃で致命傷を受けるのは、想像しなくてもわかる。

 なら、瞳に近づけばいいか、と言えば、そうでもない。

 瞳の邪魔をすると、結局は私も倒れている、と思う。

 どうしたら……。

「そこを動くな」

 瞳が言った。

 それを待っていたように、五人が一斉に動く。

 私は緩慢に、五つの刃が向かってくるのを見ていた。

 これはどうも、死んだかな……。

 目を閉じなかったのは、心の準備ができなかったからで、ここに至ってもまるで他人の夢でも覗き見ている気持ちだった。

 閃光が走った、ように見えた。

 その閃光が時間の流れを通常に戻し、五人の剣士は同時に距離を取っている。

 私の真横で、瞳が刀を構えていた。

 何が起こったのか、よくわからない。

 瞳がものすごい速さで動いた。刀もその中で抜かれたのだ。

 それを見てしまうと、基準があやふやで、誰が早いのか、すぐにわからなくなる。

 瞳はとにかく速い。でも周りの五人が遅いわけでもない。

 全てが一瞬で、まるで魔法のようだった。

 刀の構えを変えながら、瞳は五人を常に視界に置こうとしている。

 私は今になって、足が震え始めた。

 誰も何も言わない。

 私の歯の根が合わなくなり、奥歯がカチカチと音を立てているのが、いやに大きく聞こえる。

 五人がまた、同時に動いた。

 今度はさっきよりもはっきりした事実がわかった。

 五本の剣を瞳は全て払いのけ、同時に五人を牽制している。

 やっと音が聞こえて、火花も見えて、それが理解できた。音も光も、まるで遅れている。

 五人が刀の切っ先を逃れ、距離をとる。

 何か、瞳の持つ刀の刃が、光の尾を引いて走るので、その光が五人を押しとどめているようにも見えた。

 この均衡が、いつまで続くのか。

 瞳一人で、五人を倒せるのか。

 五人の表情には焦りはない。動揺もない。

 それどころか、とにかく瞳を斬る、ということだけを考えている気配だ。

 危険なことに、たとえ一人や二人、死ぬことになっても、瞳を斬るという意思さえも見え隠れする。

 剣の位置が変わり、立ち位置も変わる。

 瞳もそれに応じるけれど、私がいる分、動きが制限されているようだ。

 やっぱり、死ぬかも。

「それまで」

 その声は、瞳でも私でも、五人でもない。

 ハッとしてそちらを見ると、上等な着物を着た男性が立っている。

 腰には剣があり、体格も立派だ。

 ……誰?

 私が凝視する前で、その人物が五人の剣士と瞳の間に進み出てきた。

 瞳がふぅっと、息を吐いたのがわかった。



(続く)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る