第3話 少女と少年

     ◆


 突然に現れた十六、七に見えた剣士が、目の前で追っ手に取り囲まれたので、やけっぱちで研ぎ師としての演技をした。

 そうしたら、その若い剣士がいきなり剣で剣を切った。

 私がけしかけた、というか、嫌がらせだったんだけど、とんでもないことだ。

 よく分からない剣士たちを退けた彼は、私が次々にやってくる人々の刃物を研いでいる間、ずっとそばにいた。三人の剣士の仲間らしい男たちが後からやってきたが、遠巻きにしていたようだ。

 それよりも私は慣れない研ぎ師の仕事に四苦八苦して、自業自得とはいえ、剣士の男の子を巻き込んだのを後悔し続けていた。

 そもそも叔父夫婦が夜逃げして、私は残されたものの中で、これはと思った砥石を持ち出して、道端で研ぎ屋をやったのだが、ついさっきまで、まったく、ただの一人も客がこなかった。

 それもそうだ。子供がうまく刃物を研ぐ、と思う人は普通はいない。

 年齢をごまかすために手ぬぐいを頭に巻いても、それは変わらなかった。

 それが今、実際に剣で剣が切れたがために、手が回らないほどの仕事がある。

 試し切りをするものを用意する気すらなかったのが、今はそれも好都合だった。

 最低限の研ぎだけすれば、包丁などは少しは切れるようになるから、それも助かった。

 さすがに包丁で包丁を切ろうとする人はいない。だから私のいい加減すぎる仕事も露見しない。

 夕方になり、私はまだ三人ほどが順番を待っていたが、店じまいを告げた。

 剣士の男の子が見ている前で、私は道具をまとめて、背負った。

「ほら、行くわよ」

 男の子が動かないので、私は手招きをする。不服そうだが、何かの小動物のように、彼は私の後ろに無言でついてきた。

 だいぶ銭が手に入ったので、今夜は美味しい料理とお風呂にありつけそうだ。

 それでも平凡な食堂を選んだ。銭は大事にしないと。

 食堂では卓が空いていなかったので、私は男の子と長椅子に並んで席に着いた。向かいでは見知らぬ男二人が商売の話をしている。こちらには視線を向けることすらない。

「私の名前は、蒼華・ブルウッド。あなたは?」

 自己紹介してみたけど、男の子は答えようとしない。

 ああ、そうか。そういうことか。

 私は財布から銭を取り出して、少年の前に積んでいく。

 全部で一貫銭が十枚だ。男の子の眉がピクリと動いた。

「これがあなたの芸の報酬ね。で、名前は?」

「……別に銭が欲しいわけじゃない」

 やっとそんな返事があった。涼しげな澄んだ声をしている。

「銭はあっても困らないでしょ。で、名前は?」

 答える前に店員が来て料理の注文をとった。私は麺料理と蒸した野菜を頼んだ。店員に視線を向けられたからだろう、男の子は豚肉を蒸したものを頼んでいた。

「名前」

 私がもう一度、促すと、ついに根負けした。

「瞳・エンダー」

「仕事は?」

 渋面を作り、瞳という名前の彼がこちらを睨むように見る。けど、その程度で動じる私でもない。

 何せ、守るものは何もない。天涯孤独で、これからは一人で生きないといけないのだから。

「私は育ての親に捨てられて、今は無職よ」

 こちらから打ち明けると、渋面に怪訝そうな色が混ざる。

「研ぎ屋じゃないのか?」

「あれは形だけ。銭が手に入れば、天帝府を出て、何か商売をするつもりだった。その銭は、あなたのおかげでちょっとは手に入った。明日もあそこに行けば、もう少し銭が手に入るでしょうけど、私は明日には天帝府を出るわ」

 ふぅん、と瞳が小さな声で言った。

「あなたの仕事は? 瞳」

 またこちらから圧力をかけると、彼はもう諦めたらしく、口を割った。

「遊郭の用心棒だったが、遊女を逃がした。命を狙う、というほどじゃないが、物騒な連中が俺を探しているだろう」

 ああ、そういうことで、あの三人が剣を抜いたのか。いや、瞳の方が先に刀を抜いたんだったか。

 それも、私の言葉で。ちょっと責任は感じるな。

 料理が運ばれてくる。私は麺を啜り、瞳は肉を食べ始めた。私は蒸し野菜の盛られた蒸篭を彼の方に押しやる。彼はムッとしたようで、こちらにそれを押し返してきた。

「それで」

 私は食事の間に、彼に訊いてみた。

「あなたはこれからどうするの?」

 肉を咀嚼して、ぶっきらぼうな返事がある。

「天帝府を出るべきだろうな。自由にやるさ」

「じゃあさ」

 こちらからそういったところで、さっと手で言葉を制された。

「あんたの研ぎ屋のための手品をやる気はない、先に言っておくが」

「えー」

 じっと見据えてみても、瞳は頑として譲らない雰囲気だ。

「あなたと私でお金を稼げばいいじゃない。天帝府を出て少しの間だけよ。いいじゃないの」

「俺は剣士だ。道化じゃない」

「道化だって立派な職業よ」

 敵わないな、という様子で、瞳が首を横に振る。いかにも嘆かわしげだった。

 私が蒸し野菜を食べ、食事がおおよそ終わった時、測ったように食堂に三人の剣士が入ってきた。

 ほとんど同時に、すっと瞳が席を立つ。卓には一貫銭が六枚置かれている。彼と私の食事の代金を支払っても十分な額だ。

 もっとも、瞳は四枚、私が渡した一貫銭を回収したことになる。なんだかんだで銭が欲しいんじゃないか。

「達者でな」

 囁くようにそう言って、瞳はさりげなく店の奥へ行ってしまった。厠があるという札がかかっているのが見えた。

 本当に物騒な連中に追われているんだ。

 あまり関わらない方がよかったかもな。

 そう思っているところへ、その物騒な連中が私の方へやって来る。

 ちょっとちょっと……。

「お嬢さん、ちょっといいかな」

 ……これは少し、まずいかも。

「何も知らないけど、何をお訊ねですか?」

 身構えながらこちらから質問すると、三人の中で一番年長の、しかし一番圧迫感を発散している剣士が、胴間声で言う。

「瞳という剣士は、お嬢さんと一緒にいたはずだが、どこにいる?」

 結局、こうなっちゃうんだよなぁ。

 私は店員を呼んで銭を払って、椅子から立ち上がった。剣士たちは動いていない。

 ただ視線は明らかに攻撃的で、私を見逃す、放っておく気はなさそうだ。

「こちらです」

 仕方なく、そう声をかけて私は店の奥へ歩き出した。剣士たちがはっきりとより一層の緊張した。

 臨戦態勢ということだ。

 あー、もう!

 私は考えるのをやめた。

 唐突に身を翻し、走った。剣士の横をすり抜ける。

 三人の剣士のうちの一人が声を上げ、手を伸ばした。

 襟首を掴まれそうになったけど、掴まれたのは首にかけていた手ぬぐいだけだった。ボロボロなのだ、失っても悔しくはない。

 卓の間、客の間を走り抜けて、通りに出た。

 背後の声を無視して、全力で走った。

 ああ、店に砥石を忘れてきた。

 でも財布は持っている。

 あんな変な男の子に関わるから、こうなるんだ!

 夜の天帝府は、外れの通りでも人が行き交う。人の間を縫って、どことも知らない横道に飛び込む。

 瞬間、誰かとぶつかった。

 相当な勢いが私にあったはずが、相手は微動だにせず、尻もちをついたのは私だけだった。

 顔を上げると、街灯の明かりの中で、こちらを目を丸くして見ているのは、当の問題の男の子、瞳・エンダーだった。

 時間が停止し、しかし背後からの慌ただしい足音で、また時間が流れ始める。

 瞳が私の手をつかんで引っ張りあげると、駆け出した。

 私はほとんど引きずられるように、夜の中央天帝府の通りを駆けて行った。



(続く)

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