第2話 赤い髪と赤い瞳

     ◆


 どうせこうなるだろう、とは思っていた。

 そもそもからして遊郭で用心棒をするなんて、場違いだった。

 自分の腕前のことはよくわかる。向かってくる奴の実力も、一目でわかる。

 しかし俺にはどうやら、先を読む力がない。

 遊女の一人を逃がしてやったのは他意のないことで、朱美という名前だったが、地方の故郷に帰りたい、と言ったのだ。

 本来的に遊女が遊郭を出る可能性があるとすれば、身請けされるか、そうでなければもう客を取れないという判断をされるかだ。遊郭の経営に参加できる遊女は滅多にいない。

 だから朱美が故郷の話をしたのは、俺にとっては聞き流してもいいことだった。

 しかしその朱美という遊女が言うには、遊郭の用心棒たちが、自分をいじめるのだという。

 初めてその話を聞いてから、何度か、実際にその場面を見もした。

 用心棒は朱美をいいようにし、見ていられなかった。

 もちろん、銭を払うこともない。

 報復という意味も込めて、その用心棒が見張っている時間を狙って、朱美を逃がした。

 ただ、俺自身が逃げ出す間がなかった。

 太陽に照らされる中央天帝府の街並みの中を、影から影へ伝うようにひっそりと逃げたが、いよいよ追っ手が迫っているのを感じた。

 どうにかやり過ごすしかない。

 細いが人が多く行き交う通りで、視線を走らせると、道の端の方に座り込んでいる少女がいて、その前には砥石がある。水の入った小さな器も見えた。

 そこに歩み寄ると、少女がこちらを見上げる。

 真っ赤な瞳に、意外に意志の強そうな光がある。

「これを研いでくれ」

 俺は腰にある短刀を鞘ごと少女に突き出した。

 この国では剣を使うものが多く、刀は東方でよく使われる武器だ。

 剣とは技の系統がやや異なり、俺が刀を使うのは癖にあっていると思っているからである。俺に技を教えた師もそう指摘した。

 いきなりの俺の行動に、少女は胡散臭そうに視線を向けてくる。

 横から視線を感じる。追っ手か。

 俺は勢いで、少女が頭につけている手ぬぐいを奪った。

 顔でも隠せれば、と思ったのだが、それよりも少女の長い赤い髪が広がり、逆に目立つ結果になった。

 さすがに少女が怒りをにじませ、俺の手から手ぬぐいを奪い取る。

「見つけたぞ!」

 大声が響き、かがんでいた俺が立ち上がると、三人の剣士が、もう俺を取り巻いている。通行人が逃げるでもなく、すぐに人垣を作っていた。

「瞳、自分が何をしたか、わかっているのか」

 そういったのは、まさに朱美を好きにしていた用心棒だ。

 俺が何も言わないので、シンとしている。

 しかし、静寂はすぐに破られた。

「さあさあ、皆さん! よく見ておくれよ!」

 その声に、俺も剣士たちも、見物人も、声の主の方を見た。

 そこにいるのは、真っ赤な髪の毛と瞳の少女で、表情にはさっきまではなかった闊達なものがある。

「えー、そちらの方の手にはある剣は、私がたった今、研いだものでこざいます! 私なんぞにそんな技がないと思われても仕方がない。しかし今からこの方が、私の研いだ剣で、そちらにいる方々の剣を切ってご覧にいれましょう!」

 さすがに見物人たちがざわめき始める。

 それよりも俺の困惑の方が強かっただろう。

 俺はこの少女が何もしていないのを見ている。

 砥石に当てさえしていない。

 そもそも刀は渡さず、短刀を差し出そうとしたのだ。

 それが剣で剣を切るなどと言っている。

 頭がおかしいのか?

「さあさあ、皆さん、よく見ていってくださいよ! 私の技が確かなら、これから剣が三本、二つになりますからね!」

 そこまで一息に言って、少女が俺に短刀を差し出す。というより、投げつけた。

 視線を交わすが、何か切実で、しかし怒りが燃えたぎっているような光が返ってくる。

 剣を切るか、そうでなければお前が切られろ、と言いたげな光り方をしているのが分かる。

「やってみよう」

 俺がそう言って刀を抜き放つと、瞬間、少女はムッとしたようだ。

 自分でけしかけただろうに。

 俺が刀、それも抜き身の刀を手にしたからだろう、俺を追っていた用心棒三人が躊躇いなく剣を抜いた。

 構えに隙はない。さすがは天帝府の遊郭の用心棒だ。

 剣を切る、か。

 呼吸を意識すると、自然と全身から無駄な力が抜ける。これを学び、身に着けるのに長い時間を使ったものだ。

 気というものは、ほとんど伝説で、要は意識の持ちようだった。

 なんとしてでも切る。

 そう思えば、樹木でも、岩でも切れる。

 剣なども切れるのだ。

 人を切るよりは、剣を切る方が容易い。

 精神的に、気後れするのが一番悪い。

 三本の剣しか見えなくなり、その視野が徐々に剣士の手、腕、肩、上体、全身と把握する。

 動きは一瞬だった。

 三つの筋を剣が走ってくるのが、緩慢に見えた。

 自分がどう刀を走らせたか、言語では説明はできない。

 その刹那に、その刹那にだけ意味を持つ筋、最適な筋を、刃が走った。

 手応えはだいぶ遅れて、手に伝わった。

 澄んだ音は、残響だけが俺の耳に入った。

 その音は、地面に転がる三つの剣で、まさに真ん中で剣は断ち切られていた。

 無傷の三人が距離を取り、顔面蒼白でこちらを見ている。

 周りを取り囲むひとびとは、沈黙していたのがわっと歓声をあげる。

 それに恐れをなしたように、三人はこちらに背を向けて駆け去って行った。

 逃げ出した背中が消えるより前に、数人が少女に話しかけている。いくらで刃物を研いでもらえるのか、という内容だ。

 まだ愕然としていた少女が気を取り直し、適当な額を口にしている。それで大勢が駆け去る。研ぐものを取りに行ったのだろう。

 俺はまだ抜いたままの刀の刃を見た。

 刃こぼれはない。しかし少し、鈍っただろうか。

 刀を鞘に戻し、うまく演技をした少女の方を見ると、瞳が先ほどよりギラギラと光っている。

 不穏だったが、その口をついて出た言葉は、もっと不穏だった。

「仕事が終わるまで、待ってて。話があるの」

「でまかせの通り、剣を切って見せた」

「いいから」

 少女の年齢はいくつだろう。やっとそれに意識が向いた。

 背は低い。目鼻立ちは整っている。その容貌でも十八には届かない、しかし十四でもないだろう。

 無難に十六か。

 こんな娘に関わってもいいことはなさそうだが、恩義はある。

 俺はどう答えるべきか、少し考え、息を吐いた。それだけで少女が強気な笑みを見せる。

 俺はもう一度、嘆息するしかない。



(続く)

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