皇居ラン、何聴く?
八川克也
皇居ラン、何聴く?
警視庁が見えてきて、桜田門前だ。皇居を一周した。
日課の皇居ランを終え、少し歩きながらクールダウンする。耳からイヤホンを抜き、スマホの音楽を止める。
ふと見ると、少し前をいつも見るランナーの男性が歩いていた。
同じような時間に走るようになって一ヶ月だ。声をかけてみることにした。
「こんにちは」
「ああ、こんにちは」
向こうもこちらの格好を見て、同じ皇居ランナーだと分かったのだろう、特に警戒されることもなく挨拶を返された。
「最近、よく会いますね」
「そうですね、ちょっと仕事の都合で十分ほど走りはじめがズレたので、それででしょうね」
「走られて長いんですか」
「もう二年ほど」
「大先輩じゃないですか、私はまだ二ヶ月ですよ」
笑いながら少しだけ腹をさする。
「少しでも運動不足を解消しようと思って走り始めたんですが、皇居の周りは走りやすいですね」
ちらとお堀、それからその向こうの皇居を見る。
「皇居の周りは信号もなくて、スムーズに走れるんですよね」
「そうそう、だから音楽が聴きやすくて」
「はい?」
「音楽。聴きやすいですよね」
「ええ、まあ……」
ちょっと何を聞かれたのか分からないが、取り敢えず同意する。
「リズム良く走れますね」
「でしょう。音楽のペースに合わせて走りを変えられて、いいコースですね」
「ええ……」
どうも違和感のある会話になる。音楽について話したいのだろうか。振ってみる。
「音楽、何聞かれてるんですか」
「いやあ、私は90年台の懐メロ辺りが好きなんです。そちらは」
「私はあまり……。特に好きなものはなくてサブスクのサービスでランダムに聞いてます」
「へえ……」
変わってますねぇ、という言葉を飲み込まれてような気がして、尋ねてみる。
「何か、変わってますかね?」
「いやあ、珍しいな、と思いまして」
「珍しい?」
「だって音楽聞くために走ってるんですよね?」
「え?」
「ん?」
「どう言うことです?」
本格的に分からなくなって私は聞く。音楽を聴くために走っている? ——いや、走るついでに音楽を聞いているだけだ、私は。
「だって、音楽を聴くには走るのが一番ですよね?」
そう聞き返されても返答に困る。
「音楽を? 聴く? 走る?」
「え、そうですよね、皆さん、音楽を聞いてますし」
男性は周りを見回し、私も釣られて見る。
確かにランナーの多くは耳にイヤホンを挿している。
「音楽を聴くのに、軽く運動しながらだと雑念も減って、音に集中——できますよね?」
「いや、そうかもしれませんが……」
思っていなかった話の方向に戸惑う。ランナーの人たちは皆んな、走るだけでは退屈だから音楽を聞いていると思っていた。走るついでに音楽の、はず。
「私はその——走るついでに音楽を聞いているんですが」
「——変わった人ですね」
今度は男性の方が戸惑ったような表情をした。
「走るくらい、集中した方が良くないですか? ああ、もちろん個人の自由ですけども。いやあ、それにしても音楽を聴くためじゃないのに走ってるなんて」
不思議なものを見るように頷かれる。
「ああ、すみません、時間が。私はこれで」
何も言えないままの私を残して、男性は去ってゆく。
私は立ち止まり、追い抜いていく何人ものランナーを見送る。みな、イヤホンを耳に挿している。
皇居ラン、何聴く? 八川克也 @yatukawa
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