第十三話

42 : Endless Morning - 01

 サイラスが再び意識を取り戻したのは三日後のことだった。

 清められた病院の一室。クラハド・カーバッハの隣のベッドでサイラスは目を覚ました。

 サイラスが目覚めたことに気付いたクラハドがいつも通りの食えない笑顔で迎える。


「随分と遅い目覚めであるな、トライスター」

「……カーバッハ師。まだ死んでいなかったのか」

「死んでおったらおぬしの後悔が増えるでな。死ぬに死ねん」

「私の計算に狂いがあったことについては詫びよう」

「何。おぬしが我の命の恩人であることもまた代えがたい事実。命あっての物種、であるゆえな」


 明るく陽が差し込む部屋の中で、クラハドが闊達に笑った。この老爺を明るい陽の中で見るのはいつぶりだろう。いつもは尖塔の薄暗い部屋の中でしか彼に会ったことがない。だからだろうか。サイラスの知っているクラハドよりずっと年老いたように見えた。


「『あれ』は私の見た幻ではなかったのだな」


 大きくくり抜かれた窓枠の向こう、林野のそのまた向こうにそれ――ダラスの姿をした巨大な輝石が屹立している。夢か幻か、衰弱が見せた願望かと思っていたがサイラスの目に再び映っているということは現実として存在しているのだろう。少しだけ気弱な言葉を口にするとクラハドが豪快に笑い飛ばした。


「おぬしのおかげでソラネンの街を守るに十分足るだけの輝石が得られた」


 誇るがよい、ソラネンの守護者。おぬしは見事このソラネンを守り切った。

 言いながらクラハドが枕元に置いてあった鈴を鳴らして医者を呼んだ。助手たちから伝言ゲームが始まって、そうして年若いが技術は確かだと評判の副院長を務める青年が顔を見せる。


「トライスター。三日ぶりの現世はどんな気持ちだい?」

「副院長。疲労感はまだ残っているが、お前たちの顔を再び見られて僥倖だ」

「嫌だなぁトライスター。ここはおれの病院なんだからきちんと序列を守ってもらわなきゃ」


 副院長先生と呼んでくれてもいいだろ。それと敬語も忘れないでくれよ。

 言いながら病室に入ってきた副院長が助手たちから器具を受け取ってサイラスの診察を始める。口と態度は悪いが、医者としては優れている。最短の手順でサイラスの診察を終えると、医学的に問題はないから明日にも退院してくれとの返答があった。


「退院してもいい、の間違いだろう。副院長」


 憎まれ口か、と思いながら悪口で返す。副院長は軽い調子でそれを受けたが、声はどこか硬さを残していた。


「いや、してくれ、で間違いない。きみたちが出ていかないと診られない患者がまだいるからね」

「それほど負傷者が多かったのか」

「そういうわけじゃない。きみの適切な判断のおかげで負傷者は最小で食い止められたよ」

「では――」

「気持ちが不安定になっているものが多い。司祭たちだけではとてもじゃないけど相談の数に対処しきれないんだ」


 ヒトは心が一番肝要だからね。心の揺らぎはヒトの言葉か薬かで落ち着けるしかない。

 言った副院長の表情には歯がゆさが滲んでいて、彼もまたサイラスとは違う戦いの中にいるのだということを教えた。


「副院長、問題がないのであれば私はこのまま寄宿舎へ戻りたいのだが」

「駄目だ。きみの身体には尋常ならざる負荷がかかっていたんだ。もう一日大人しくしているように」


 では、よい午後を。言って副院長は病室を出て行った。

 部屋にはクラハドと二人に戻る。老翁は「おぬしが戻れぬのなら呼んでやればよいであろう、トライスター」と気軽に言った。誰を呼ぶ、というのをクラハドは絶妙にぼかしたが、それに気付かないほどサイラスも愚昧ではない。


「魔獣の末端が三体も揃えばヒトの精神の均衡が危ういだろう」

「おや、トライスター? 我はおぬしの友人の話をしただけだが?」


 ジギズムント伯と腹を割って話してみたらどうだね。我はその間、院内を散策するゆえ。

 言ってクラハドは本当に部屋を出ていってしまう。あの老翁は有言実行の権化だ。サイラスがウィリアム・ハーディ――と呼ぶのが正直なところ正しいのか誤っているのか、今のサイラスには判断が付かない――と和解するまできっと部屋には戻って来ないだろう。狸爺め。そう憎らしく思ったが、それでも、サイラスの中にリアムと和解したいという気持ちは確かにあったから看護助手を呼んでリアムと連絡を付けてもらった。

 それからものの十分と経たないうちに石組の廊下をばたばたと慌ただしく駆けてくる足音が聞こえたかと思ったら、両耳の鼓膜を破らんばかりの勢いで大音量が響く。


「セイ!」


 無事に目が覚めたって本当か。本当なのか。半泣きと言ってもいいぐらい無様な顔でリアムが病室に飛び込んできた。

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