40 : Bless you - 04
ダラスが林野を薙ぎ払い、そして教会を目視出来る場所まで進む。名はまだ視えない。状況はまだサイラスの不利を示していた。それでも。賭けはもう始まってしまっているのだ。引き際などとうに通り越した。
「来るぞ! テレジア!」
口腔内で長詠唱を始める。ダラスの巨躯が教会の敷地に踏み込む。その刹那を狙って半球状の魔術結界をせり出す。今度は三本の脚をもぎ取った。呪詛を纏った汚泥が教会の清浄なる神力によって霧散する。デューリ父神の加護を直接得ている分、聖水よりも効果が高い。浄化効率の面では十分に勝機があると言えた。
だが。
ダラスの脚はたちまちのうちに魔力によって再生され、何ごともなかったかのようにサイラスの魔術結界を外側から打ち破ろうとする。魔力の保有量が圧倒的に違う。そのことを強制的に理解させられたが、今更別の戦法など選べる筈もない。強烈な頭痛と吐き気に襲われながらもサイラスは長詠唱を再び開始した。結界を解くのは一瞬で出来るが、錬成にはどうしても詠唱が必要だった。
それからは詠唱を終えては結界を解き、そうして再び詠唱を行っての繰り返しだった。頭痛は時間の経過とともに激しさを持つ。息苦しささえ感じながらも、サイラスは何度となく繰り返しダラスの脚を切り取っては霧散させた。教会の清浄なる空気は今もまだその神力を保っている。まだ戦える。そう思って何十回目かの長詠唱を口腔内で始めると、不意に熱を持った液体が食道からせり上がってきた。口腔内ではとても収まりきらず、サイラスは聖堂の床に液体を吐瀉した。その色を見て、テレジアが悲鳴を上げる。血だ。
「坊や!」
「――騒ぐな。ただの吐血だ」
「ただのって量じゃないじゃないか!」
中腰の態勢で、ぐい、と口元を衣服の袖で拭う。血液は布地すら深紅に染めた。頭痛が収まる気配もないし、外のダラスの魔力が枯渇する兆しもない。ならば、サイラスはまだ詠唱を止めるわけにはいかないのだ。
立ち上がって口腔内で言葉を紡ごうとする。その肩をテレジアが無理やりに押さえつけた。反論をしよう。そう思ったのにテレジアの双眸から零れ落ちるものがあると気付いて、サイラスは言葉を飲み下した。
「テレジア、泣くな」
泣くな、と言ってもサイラスの肩を押さえつけるテレジアの双眸からは涙が溢れ続ける。その合間にも頭痛は繰り返し襲ってきていた。根本的に何も解決していないのに、サイラスの目の前には限界の二文字が明滅している。潮時なのだろう。これ以上はサイラスの肉体が持たない。魔力で増強したと言っても結局はヒトの身なのだ。長命種のダラスを相手に魔力の持久戦をしようなどということ自体が無謀だった。そう、判断をせざるを得ない。
ヒトというのは無力だ。
顔中をくしゃくしゃにして泣いている大切な相棒の涙を止めることすら出来ない。
「テレジア。泣くな。まだ最後の賭けは終わっていない」
「嘘をお言いでないよ。坊やの身体はもう限界じゃないか」
「嘘ではない。最後の、本当に最後の賭けがまだ残っている」
本当はこの手段だけは使わずに終わらせようと思っていた。だから、誰にも何も伝えていない。リアムは薄々気付いているだろうが、今更考えを改めろなどという議論をする気もないだろう。
だから。
「すまない。テレジア、私と共に本当の意味で人柱になってほしい」
「それは、どういう意味だい?」
「付いてきてくれ」
両肩を押さえていたテレジアの力が緩む。その手のひらをそっと押し返してサイラスはよろけながらも立ち上がった。ふらつく身体をどうにか支えながら、サイラスは聖堂の裏口へと歩き出す。テレジアが困惑の表情でサイラスを見つめていた。
「坊や、あんた何を考えて――」
「最後の、最後の賭けだ。だが、今なら勝算はまだ残っている」
肉体が限界を迎えているがサイラスの魔力の器にはまだ力が残っている。ダラスの魔力もそれなりに削り取った。その効力がやっと一つの実を結んだ。
サイラスの目には今、ダラスの名が視えている。
はっきりと、わかる。ただ、その名を呼ぶことが出来るのはたった一度だけだろう。
その機会を誤れば本当にこの街は壊滅の未来を迎える。
裏戸から教会が内包する林野の中へと出ていく。まだ昼頃だろうに魔術結界に覆い被さったダラスの所為で薄暗くなっていた。その中をテレジアに支えられながら進む。
「テレジア、あのダラスは随分と小さくなったと思わないか」
「えっ、ああ。そうだね」
「あの大きさであれば泉が丸呑みにしてくれるだろう」
教会の泉、というのは名前の上でこそ泉と呼ばれているがその実、中型の湖ぐらいの大きさを持っている。そこには常に神の息吹を受けた聖水が湛えられている。サイラスが魔力を削り取った今のダラスなら、この泉がダラスを呑み込めるかもしれない。
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