39 : Bless you - 03
でも、そういう馬鹿に命運を託すのはそれほど嫌ではない。そんな風にウィステリアは微笑んだ。この状況下でまだ微笑を浮かべることが出来るというのはそれも一種の才能だろう。
才能には数えきれないほどの種類がある。人の数だけ違う才能があると言っていい。その一つひとつを比べて順位付けすることは勿論可能だろう。その番付でサイラスはおよそ天才の域を超えた存在であると自負している。
だから。
「ウィステリア。私はまだお前の名を聞いていなかったな」
「あなたが無事に戻ってきたら教えてあげてもよくてよ」
「ではクァルカスにもそのように伝えてくれ」
お前たちのあるじたれるよう善処する。そう、告げるとウィステリアは両目を軽く見開いて、そうしてやはり馬鹿を見る目で優しく言った。
「サイラス・ソールズベリ=セイ。わたしはあなたに呪いをかけるわ。全身全霊で」
「その種類の呪いのことをヒトが何と呼ぶか知っているか」
「知っているに決まっているでしょう」
祈る、というのよ。ウィステリアは穏やかに微笑んで、そうしてヒトがデューリ神へと祈りを捧げるときの仕草を真似た。魔獣であるのに神に祈る作法を実演出来るところに彼女の誇り高さを感じる。そうまでしてでも、ウィステリアがサイラスの勝利とその先にある生還を望んでいることを拒絶せねばならないほどサイラスもまた弱くはない。
この強さをくれたのはソラネンの街そのものだ。
「テレジア! 聞こえているな!」
今から彼女を釣り餌として最後の「釣り」を始める。そう宣言すると教会の聖堂からいつも通りのテレジアの声が返ってきた。あたしは坊やの決定に従うと言っているじゃないか、と。
そのあまりにもいつも通りで、心の揺らぎのない声にサイラスの中にある余計な緊張が溶けて消えた。
息を吸う。今からすべきことの手順を何度も何度も頭の中で繰り返して、そうしてサイラスはウィステリアの作った亜空間に足を踏み入れる。
無と無限の世界である亜空間に入った、と思った次の瞬間にはサイラスの視界が暗転して、そうして教会の聖堂の中に立っていた。薄暗い聖堂の中、神像の前に立っている後ろ姿が見える。日を追うごとに薄くなる幼い日の記憶。その記憶の中で微笑んでいた母と同じ造形で、なのに全く違う表情を浮かべたテレジアがサイラスを振り返った。
「すまない、テレジア」
結局、テレジアを安全地帯から引きずり出す事態になってしまった。テレジアの本体は聖堂の地下で眠っている。その懐に戦うすべを持たない市民を守り抱いて、最も堅牢な魔術結界を保っているテレジアを前線に引っ張り出すことだけはしたくなかったが、私情を挟んでいる場合ではない。わかっていたが、謝罪の言葉が口をついて出た。
テレジアが軽く首を横に振る。
「およしよ、坊や。そういうのはしくじった後に言うもんさ」
「天才だ、神才だ、鬼才だのともてはやされて私は少し自惚れていたな」
「その評価が本物になるいい機会じゃないか。肝心なときに臆病だねえ、あんたは」
「街一つ。その全てを懸けて実証実験をする未来がある、だなんて知っていれば私ももう少し謙虚でいられたのかもしれん」
あんたは十分謙虚な生きものだよ。言ってテレジアが苦笑した。
「坊や、さっき言った通りさ。あたしはあんたの決定に従う。あんたと契約を結んだことはあたしの誇りだからね」
「お前は皆の守りを頼む」
「心得てるよ」
「ならば、始めるとするか」
これがあらゆる意味で最後の挑戦になるだろう。
サイラスは聖堂の中、ゆっくりと瞼を閉じた。教会の敷地の境に埋められた輝石の魔力と同調する。借りもののソラネンの皆の魔力がそれに呼応するかのように反響し、増幅した。練度、精度、ともに申し分ない。そのことを確かめて、サイラスは城壁の外側に展開していた魔術結界を解いた。瞬間、不定期的に襲ってきていた頭痛から解放される。ダラスが北門の内側に前進を始めた。教会の結界はまだ錬成していない。
つまり。
「そこにいるのか、マグノリア!」
教会の中にいるテレジアの魔力をダラスが感じ取る。贄を求めているダラスの複眼が激しく明滅し、標的を定めた。そして、ソラネンの入り組んだ街路を無視して巨躯が移動を始める。美しい造形を誇る街並みがそれに伴って破壊されていくが、その好悪を問うているだけの余裕は誰にもない。命あっての物種、とシキ・Nマクニールが言ったのが不意に思い出された。そうだ。その通りだ。生きてさえいれば明日をまた紡ぎ直すことが出来る。壊れたものを新しく作り直す為には、まず、命があるという大前提が必要不可欠だ。
この街の誰もがそれを実感し、祈る思いでサイラスの策謀に命運を懸けた。
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