31 : Defensive defense - 02
「マグノリアを知っているダラス、というのがどうにも引っかかるのだ」
「おぬしもわかっておろう。魔獣の発生の仕組みは神しか知りえぬ。聖職者どももおぬしら学者も長年研究を続けておるがわからん、というのがわかっておるだけだ。ただ」
言ってクラハドは言葉の先を濁らせた。
知っている。こういう顔をしているときのクラハドは残酷な真実を告げる覚悟をしている。だから、多分、彼は今からサイラスに何らかの死刑宣告をするのだ、と身構えることが出来た。
「ただ?」
「女将はダラスであろう。ダラスは同族食いで悪名高いのを知らぬわけではあるまい」
「まさか」
「我の思い過ごしであればよいが」
ダラスの悪食は有名だ。自らが魔力を蓄える為に魔力を帯びているもなら何でも捕食する。そして、最も効率のよい手段として成熟期を迎えた同族を食らう、というのは魔獣を研究するものにとって基礎的な知識だ。情も何もない。ただの魔力の供給源として同族を捉えている。
それでも。
魔導書は皆こう但し書きをする。ダラスが同族と相まみえる間隔はおおよそ百年に一度あるかないか、だと。
まさか。あり得ない。そんな気持ちがサイラスの中に充満した。十年だ。十年もの間、サイラスはテレジアと二人で上手く――かどうかは今となってはもう自信がないが――ソラネンの街を守ってきた。
最初はただの出来の悪い蜘蛛の子だとしか思っていなかった筈のテレジアに愛着を持っている。仕方がないだろう。十年だ。十年あればヒトの心は変わる。ヒトは集団で生き生きものだから、環を保とうとする。環の中にあるものを許容するように順応するのも当然のことだ。
なのに。
「カーバッハ師。専守防衛でなくてはならないのか」
テレジアが標的の可能性が高い、とクラハドが言ったと理解出来た瞬間、サイラスの頭の中にはどす黒い感情が渦巻いた。相手のダラスがどこにいるのかは魔力の波長を手繰ればわかるだろう。今のサイラスにはそうするのに十分な魔力がある。魔獣は次元を超える、とも言われる。その亜空間にまで介入をすることは許されないのか。
危機が――サイラスと十年を共に戦った友人の命の危機が迫っているのに、攻めてこられて初めて戦うことが出来る、だなんて馬鹿げている、と半ば本気で思った。
その感情の一端を言の葉にするとクラハドの眉間に綺麗な皺が寄る。
「トライスター」
「こちらから打って出るというのは許されないのか」
相手に悪意があるのは明らかだ。挑発――を通り越して宣戦布告をされたのも同然で、その状態でどうして大人しく攻撃されるのを待たなければならないのだ。正当防衛でなければ何故許されないのか。どうして傷付けられるのをよしとせねばならないのか。どうして、この期に及んでまでエルヴィン王が取り交わしたという相互不可侵を一方的に守り続けなければならないのか。
どうしても、どうしてもサイラスには納得が出来なかった。
感情の制御なんて簡単だと思っていた。冷静を貫けないようでは学者としてどころか大人として半人前だということもまだわかっている。
それでも。
十年を共に生きた友人の危機に目を瞑ることは出来なかった。
そのことを一心に陳情するとクラハドが何度か嗜めるようにサイラスに呼び掛けた。それを無視して自前の正義論を語る。その度にクラハドはサイラスに呼び掛けたがサイラスはそれを何度でも無視した。
「落ち着かんか、トライスター」
「しかし!」
「よいから落ち着かんかこの聞かん気の小坊主!」
何度目かの暴論を諫めるようにクラハドが無詠唱でサイラスの頭上から水を降らせた。突然の滝水にサイラスは全身水濡れになる。頭を冷やせ、と物理的に忠告をされてようやく、サイラスは言葉を止めた。
「カーバッハ師。友を守りたいと思うのは罪なのか」
「ここでは精神問答の講義は行っておらん。青臭い正義感を振りかざしたいだけなのなら教会にでも行くがよい」
おぬしの仕事はひと段落しているであろう。
暇ならば仕事を探して手伝っていればそんな雑念が生まれる余地もない筈だ、と言外に続く。
「……」
「トライスター。よく聞くがよい」
正義の在り様は人の数だけある。殴られる前に殴るのと殴られてから殴り返すのと、どちらの罪が重いかとサイラスは今考えているが、別のものからすれば経緯などどうでもよく、結局は殴ったのだから同じだけの罪だ、と判ずるものがいても決しておかしくはない。法規が定められるのはそういう十人十色の価値観を均すためで、本当の意味で罪の重さを知っているのは本人しかいないのだ。神ですら罪の重さを定量化出来ない。それが人の心の仕組みだ。
だから。
「ヒトというのは業の深い生きものよな、トライスター」
生きているだけで罪を生む。そんな生きものはヒトの他には一つも存在しない。
そう、言ったときのクラハドの表情は凪いだ水面のように穏やかで、そして同時にとても哀しそうだった。
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