第十話

30 : Defensive defense - 01

 魔獣というのは嘘を吐かない生きものだ。

 虚飾も誇張も侮りも嘲りもない。その代わりに忖度も思いやりも同情もしない。善も悪もなくただ個として確立された自らのみを持つから、他者がどうであろうと関係がない。相手の都合も事情も鑑みない。だから、魔獣は全て有言実行する。それが魔獣という生きものだということをこの世界で生きるヒトは皆、知っている。

 つまり。

 ソラネンの街に広域の魔力干渉を行ってきたダラスが再び接触するまでには必ず三日間の時間があるということだ。

 それを長いと捉えるか短いと捉えるかは本人の主観によるだろうが、ソラネンの住人たちは一丸となってダラスの襲来に備えた。まずは時間のかかるものから、と魔力のあるものを尖塔に集めて、サイラスが力を共有出来るように術式を施した。ひとところに集まって長時間何らかの儀式をする、だとかそういうことではない。住人たちが持っている魔力の器に小さな穴を開けて、サイラスの器と同期する。ただ、個々に長詠唱を必要としたから、魔力を提供してくれるもの全てに術式を施し終わる頃には日が暮れていた。

 サイラスが小休憩を挟みつつ、術式を施している間にもときは過ぎる。ソラネンは今、一秒も無駄には出来ない。尖塔の魔術師たちは輝石のかけらをかき集め、ハンターギルドに矢と魔弾を、鍛冶組合に魔剣をはじめとした武器の生産をそれぞれ依頼した。残っているものは蒸留水を作ったり、錬金術学会と協力して傷薬や回復薬などの調剤を行っている。

 半ば事後承諾の体で古代魔術の使用を許可した役所のものたちは、戦力にならないものの避難誘導と備蓄食料の運び出しを始めていた。役所の地下には街中のものを七日生かすだけの備蓄がある、とのことだから長期戦は事実上不可能だと告げられたに等しい。街の四方の城門を閉ざした。安全が確保されるまで馬車便を止めるように、と市長の名で周囲の都市に伝書を送ったから物資の流通も止まった。ソラネンに滞在していた旅のものは役所が責任を持って保護する、ということを宣言したため、彼らは動揺はしているものの騒ぎを起こすには至っていないのが幸いだっただろう。

 ソラネンの街を覆う魔力結界の中心は教会の聖堂に位置する。半球状の結界の中で一番、空に遠い場所だ。裏手の小さな泉では聖職者たちが交代しながら聖水を汲む作業を続けている。その成り行きをテレジアが眠ることもなく、ずっと見守っていた。魔獣の末端でありながら、教会の中にい続けられるほど、テレジアの魔力とサイラスの魔力の波長は近しくなっている。それを目視させられた聖職者たちは時折、テレジアに神――デューリ父神の祝福を授ける祈りを寄越した。その度にテレジアはまるで自身が本当にヒトの身を持ったかのように感じた、と後になって照れ臭そうに話すのはまだ誰も知らない。

 二日目の朝を尖塔の仮眠室で迎えたとき、サイラスは身体が軽くなっているのを確かに感じた。この十年、減る一方だった魔力が満たされている。それと同時にソラネンの住人たちの様々な思いがサイラスの中に浮かんでは消えた。死を恐れるもの、外敵を憎むもの、サイラスへの期待や信頼、それからテレジアの身を案じる思いが視えたとき、この街を守るということの本当の意味を知ったような気がした。


「トライスター。おぬし、よい顔つきをしておる」

「ソールズベリ子爵家の血脈を反映しているだけだ。父の方がもっと精悍でよい顔つきをしていた」

「自画自賛の皮肉を返せるだけの精神状態であるというのは実に結構。そうでなくては我らもおぬしに命運を託せぬところよ」


 老翁はそう言って闊達に笑った。サイラスはこの魔術師の頭目のことが決して嫌いではない。幼くして両親を失い、ソラネンへと流れついたサイラスを魔力鑑定の結果からとはいえ、一番最初に必要としてくれたのがクラハド・カーバッハだ。基礎的な魔術の手解きもクラハドから受けたし、学院がサイラスを手放すと決めていたらこの老翁がサイラスの師匠であったことは疑うまでもない。

 そんな浅からぬ縁を感じながらサイラスは少しだけ落ち着いた空気をもとの場所へと引き戻す。

 クラハドが手のかかる子をあやすような顔をして苦笑した。


「カーバッハ師。外のダラスは一体何が目的なのだろうか」

「天才のおぬしをしてわからんことをこの老爺に聞くでないわ」


 年長者だからこそわかることもあるだろう、と反論するとクラハドは、わかっていることがあるのなら最初に伝えている、と言い返してくる。言葉のやり取りにおいて魔術師と学者と聖職者は三つ巴の関係にある。どの職にあるものもそれぞれのかたちで言葉を武器にしているから、引き出しの多さで優るものが最終的に勝利を得る。

 サイラスは学者ではあるが、魔術師としての側面もある。魔術の道をひた進んでいるクラハドと弁論を戦わせるのは決して無駄なことではないだろう。

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