28 : You are Different - 05

 ソラネンの街は林野を内包し、高い城壁に囲まれている。その防壁に実は一か所だけ綻びがあるということを知っているのは多分サイラスと消失したファルマードだけだろう。戦闘能力に長けないサイラスたちが確実に外敵を仕留める為に敢えて外壁には綻びを残している。その場所から敵が来る、ということがわかっているというのは実は戦闘において大きな優位性を持つことと同義だ。普段は古代魔術で外壁の綻びを隠しているから、ソラネンの市民はそんな「釣り」をしているとは思ってもいまい。現に、サイラスの魔力が今、枯渇している原因である「釣り」をソラネンの二大ギルドは認知していなかった。

 釣り場には幾重にもサイラスの魔術が施されている。それを魔獣が何の形跡も残さずに通過することは不可能だ。魔力を持たないものは近づくことすら出来ないように結界を張った。では、どうすれば外部から地下水道のマグノリアを知ることが出来るのか。いや、それ自体が誤った思考なのではないだろうか、と不意にサイラスは思う。


「テレジア、十年前、お前はどうやってこの街へとやって来た」

「かか様とはぐれちまってね。餌になるようなものがないかと彷徨っていたら爺の釣り場からいい具合の魔力が漏れているじゃないか。釣りをするヒトがいるだなんて思ってもみないあたしは丁度いい獲物だったって話さ」


 魔獣が出現するのには何種類かの学説がある。霊木から生まれ出ずるから植物の名を冠するのだ、とか、魔獣の一部から分裂するのだ、とかとにかく誰も確かめたことがない出自について明確な答えは未だ得られていない。ただ、こうして魔獣と話をしていると時折、親という言葉や子どもの頃、という言葉などが出てくるあたり、完全なる虚無の世界から生まれるわけではないのだろうと察することが出来た。


「ダラスの十年はヒトの一年にも満たないのだったな」

「そうさね。あたしは坊やたちの概念で測るなら、多分まだ十代の小娘なんだろうさ」


 坊やは十年で随分成長したねえ。あたしはすっかり置いてけぼりじゃないかい。

 言って昔を懐かしもうという雰囲気を醸し出すテレジアに釘を刺そうとしたサイラスだったが、別の意図を持った言葉によってそれは遮られた。


「――ちょっと待って、待って! 女将、十代にはとても見えないんだけど!」


 よくて三十半ば。そんなリアムの言葉にテレジアが悪戯に笑った。


「坊や、リアムの坊やに説明しておやりよ。魔獣がヒトの姿をするのには理由があるって」


 こういうとき、テレジアと対等な契約を結んだ自分自身のことを詰ってやりたい気持ちになる。後ろめたい理由があるのではない。恥と思っているわけでもない。

 それでも。


「――リアム、お前が見ているテレジアは私の母の姿だ」

「えっ?」

「魔獣は最初に契約したヒトの願望を反映してヒトの姿を作る。九つの私には母親の面影が必要だった。だから、テレジアは私が唯一持っていた母親の肖像を模して今の姿をしている」


 少し早めの口調でそう言い切る。魔獣は姿を変えられるが、基礎となるのは最初の姿だと知ったとき、サイラスは困惑すると同時に安堵した。再び相まみえた母と別離するときはサイラスがこの世界と別離するときだから、二度と喪失の痛みを味わうことがない。母の姿で、母の声で母とは違う言動をするテレジアと十年を生きてきた。生きていた母が見せなかった表情もある。荒っぽい部分もある。ずけずけとものを言うテレジアのことを下品だと思ったこともある。その小さくて大きな違いが母親とテレジアを別のものだと教えてくれた。

 一人前の大人になってまで母親の面影と別離出来ないでいる、というのが一般論で言えば恥じ入るべきことだと知っているからサイラスはばつの悪い思いをしながら説明する。なのに。


「セイの母上ってきっと優しかったんだろ」


 そんなリアムの言葉が聞こえて、サイラスは束の間自分の耳を疑った。


「えっ?」

「だって女将、滅茶苦茶美人だもんな! これで性格がよかったら男は皆めろめろだって!」

「リアムの坊や。それはあたしの性格が悪いって言いたいのかい?」

「えっ? いや、そう……でもないんじゃないか」

「リアム、私の母もそうやわな性格ではなかったぞ」


 細心の注意を払った無神経な台詞に同じように細心の注意を払った嫌味が返る。ふざける展開だ、と思ったからサイラスも悪乗りに参加することにした。ウィステリアとクァルカスの二人がそれぞれの反応で呆れているのが伝わる。

 それでも。


「坊や。十年も一緒にいて、あんたはまだあたしの性格もわからないのかい」

「言わなかったか、テレジア。お前は十分いい女だ、と」

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