26 : You are Different - 03
「坊やが戻ってくるまで何も話さない、ってさ」
言って、テレジアは正面の席に座る年若い男女に視線を投げる。サイラスが感じ取った通り、片方の椅子に座っているのは昨晩、この耳で聞いたエレレンの名手だ。昨日と何ら変わりなく気高く美しい姿をしていた。
その隣にいるのはスティーヴと似た波長の魔力を持つ青年で、テレジアの言動に対して静かに激しているのが伝わってくる。
「ぼくたちは別に諍いを起こすのが目的ではない、と何度言えばいい」
「そう言うのならまずその『外装』をどうにかおしよ」
外装――というのは多分、二人が身に纏っている刺々しい魔力のことだろう。この二人は二人が二人ともヒトならざるものなのだとテレジアの言葉が暗示していた。ということは、だ。この二人は魔力だけの末端で、本体はソラネンの外に控えていると考えるべきだ。
「仕方がないとは思っていただけないのかしら? わたしたちはこの街で唯一の異分子。己の身は己で守るしかないの」
「あたしの宿でそんな無粋な真似が通ると思われているのが不本意だね。坊や、あたしのあるじは本当に魔獣を見る目があって幸運だと思い知らされるよ」
「テレジア。私の分の華茶はないのか」
敵意を露わにしている相手を煽るな、という意味を込めて別の言葉を放る。煮豆茶を飲んでいたリアムがぐっと固まって、そうして幽霊でも見たような顔をしていた。
外敵かもしれない相手を目の前にして、それでもサイラスは最善を選ぼうとしている。その為には平静が必要で、少しでも多くの相手の情報を得なければならない。理屈なら誰でもわかっているだろう。それでも。恐怖と不安で逸る気持ちよりもサイラスは対話を望んだ。テレジアが呆れたように笑う。
「――本っ当に肝の座ったあるじだよ、あたしの坊やは」
「それで? ないとは言わんだろうな」
「自分の部屋に好きなだけ揃えて置いてるじゃないか。取りにお行きよ」
暗に「ない」という言葉が返ってくる。テレジアの言う通り、サイラスの部屋の戸棚には色々な種類の華茶が揃っている。国内外を問わず、サイラスの好みだと思ったものが十数種類あり、その日の気分で飲み分けていた。それでも、そういう問題ではない、とサイラスは主張する。
「私が戻ってくる、と確信していたなら華茶ぐらい作り置いてくれてもいいだろう」
「嫌だね。冷めた茶は気が利いてないだの今日はこの茶葉の気分じゃないだの言われながらどうしてあたしがそこまで坊やの為に尽くしてやらなきゃならないんだい?」
「と、いうような間柄だ。私とこの街のダラスとは」
わかったのならまずはその敵意に満ちた外装を解け、と言ったとき、外敵の二人は両目を見開いていた。男の方がぽつり、呟く。
「魔獣とヒトとの契約はもっと従属的なものだ」
「知らん。私に下僕は不要だ。だらか、これとはまぁ、戦友のようなものだな」
「あたしは別に下僕なら下僕でもいいんだけどね、あたしのあるじどのはそういうのがお嫌いらしい」
「私はもう子爵家の人間ではない。初心に立ち返り、一人のヒトとして生きるのであれば下僕など不要だと思わないか」
そもそも、サイラスに人の上に立つ資格があるのかどうかすら定かではない。人を支配して、そうやって責任を負えるだけの器があるのかもあやふやだ。だから、サイラスはテレジア――マグノリアに友人であることを望んだ。対等で同じ秘密を隠して、運命共同体として生きていく道を望んだから、二人の間にわだかまりなどないのだということを示したかった。
「セイと女将らしい台詞だなぁって思うよ、俺」
「軽口を言い合う主従など見たことがない」
「少なくともわたしたちのあるじではあり得ないことね」
「一応、これでも感謝はしてるのさ。だから、坊やの好きなようにするのがあたしの本懐さね」
「それが、あなたがこの街で住人の一人としての役割を演じている理由かしら」
「ヒトの社会なんて皆そんなもんじゃないのかね。それぞれの役割を負って、それぞれに努力をする。そういう美徳を教えてくれたのも坊やさ」
だから、あたしはこの街とこの街の住人たちのことを大切に思っているよ。
言ったテレジアの表情には一片のかげりもなくて、彼女が真にソラネンの住人の一人であることを誇っているのを伝えた。人柱、だなんて言われてもサイラスにもテレジアにもその陰鬱さは感じられない。そういうものを期待して来たのだろう二人の客人は少しの間、気持ちの整理が付かないようだったが、結局はお互いに目配せをして本題を切り出す。
「トライスターの栄誉学者殿。あなたをソラネンの人柱と見込んでのお願いがあるわ」
沈痛な面持ちでスティーヴが言葉を吐き出した。その「お願い」については薄々察しが付こうとしている。多分、こういうことだろう。
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