25 : You are Different - 02

「ふん。傭兵風情に何がわかる」

「さぁ、何だろ?何もわからないんじゃないかな」


 全知全能の神様ですら、本当のことなんて何も知らないと思うよ。そんな風に軽く言ったリアムの言葉は反語だった。まして凡夫たるリアムに何を知れるというのか、いや、何も知らないに違いない。が続く。そしてその向こうにまだ、何もわからないことについて罪悪を感じる必要はどこにもない、が続いているのを受け取ったとき、サイラスは思わず苦笑した。それはシキも同様だったらしい。人生の美しさを語るのはソラネンの平穏を取り戻してからでも十分に間に合う。今、なすべきことは美学の応酬ではなく、現実問題の早急な解決だ。


「――気が削がれた。頭のおかしなやつには付き合いきれん」


 言ってシキが速度を上げる。

 次の角を正面突破する。そんな宣言が聞こえたかと思うとぐん、とサイラスの景色が揺らいだ。隔壁を超える為の助走だ、と気づいたときにはサイラスを背負ったまま、シキの身体が空中に浮かぶ。

 そして。

 視界が明度を失った。柔らかな下草が緩衝材となり、足音が聞こえなくなる。それでも振動は安定していた。木々の小枝が時折、痛いぐらいの勢いでサイラスの顔を撫でる。その度に速度が増しているのを実感させた。サイラスの足ではこんな風に林野を感じることは出来ないから、どこか新鮮な感じがする。暗がりの中、シキが正確な足運びで駆け抜けていく。陽の射し込まない林の中は決して平坦などではない。なのにシキは石畳の上を駆けるのと何ら変わりなく進んだ。それに並走しているリアムもなかなかのものだ。そんな感想を抱いた頃、目の前に光点が見える。林の終わりだ。シキの方向感覚が誤っていなければ、この先にサイラスの寄宿舎が建っているだろう。

 それを三人が視認すると緊張感が一気に高まる。

 呼吸を乱してもいないシキがサイラスに問う。


「トライスター、変異はないか」

「見慣れない魔力の波長が二人分ある。片方がおそらくスティーヴ・リーンだろうが、残りの片方については現時点では何もわからん」

「魔獣か」

「それもわからん。もう少し情報がほしいところだ」

「ならば急ぐぞ。傭兵、貴様まだ速度を上げられるだろう。先に行け」


 顎をしゃくってシキが指示を出す。お前の指図は受けない、とリアムが反発するだろうかと思ったが彼は平然とシキの言葉を受けて速度を上げる。


「セイ、裏口から強行突破してもいいだろ?」

「テレジアへの弁明なら任せておけ。私が全責任を負う。お前の思う最善を頼む」

「坊ちゃん、セイのこと頼んだ」


 言って、リアムの背中が一気に遠ざかる。その後を追ってシキもまた林の先へと駆け続けた。少しずつ明るさを帯びてくる視界に眩しささえ覚えているとサイラスの目の前に煉瓦造りの寄宿舎が見える。間違いない。これはテレジアの切り盛りするサイラスの寄宿舎だ。


「トライスター。後は貴様で何とかしろ」


 俺はここまでのようだ。先行したリアムの手によるだろう、無理やりにこじ開けられた木戸の前でサイラスは地面に降ろされる。暗がりの中ではあんなに安定していたシキの呼吸が大きく乱れていた。大きく息を吸い込む音が寄せる波のようにサイラスの耳に届く。「助かった」と「ありがとう」を口にするのはもう少し後の方がいいだろう。そう判断してサイラスは木戸の中へと駆け込んだ。背中の向こうで毅然とした振る舞いを保っていたシキが路面に倒れ込む音が聞こえたが、サイラスは振り返らなかった。多分、シキもそれを望んでいるだろう。

 感覚器官を総動員してサイラスは寄宿舎の中を進む。魔力の波長は寄宿舎に入った辺りからはっきりと手に取るように感じられていた。サイラス自身の波長と共鳴するもの――テレジアの波長が一つ。それとは混ざり合わないものが二つ。それ以外は特に感じられない。寄宿舎で魔力を持つ学生は全部で三人いるが、彼らは外出しているのだろう。宿の外の遠くに波長が感じられた。

 テレジアの判断なのか、ただの偶然なのかは判然としないが彼らが外にいる方がサイラスとしてもやりやすい。犠牲になるものは少ない方が楽なのだから。


「テレジア! リアム! 無事か!」


 波長の在り処を手繰って石造りの階段を駆け上る。三階の二室のうちサイラスの部屋でない方に魔力が集中しているのがはっきりと手に取るようにわかる。そこは今、空き室になっている筈だ。サイラスの部屋に施した結界が破られている気配もない。何をしているのか。逸る気持ちを抑えながら、サイラスは部屋に飛び込んだ。

 そこに待っていたのは意外なことに寛いだ様子で茶器と向かい合っている四人の姿で、サイラスはあっけにとられる。


「テレジア?」


 ぽかん、と間抜けな顔をしていただろう。サイラスが寄宿舎の女主人に声をかけると彼女は幼子を相手にしたように肩を竦ませた。

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