14 : Little Friend - 03

階段を降りながら、ファルマードが淡々と語る。


「サイラス、君には言っていないがわたしも魔術の心得がある」

「尖塔におられたのでしょう? それは知っています」

「ではなぜ尖塔を出たのか、ということを考えたことは?」

「尖塔は面倒な制約がたくさんあるからではないのですか?」


 魔術師ギルドは自由に見えてその実制約だらけだ。明文化されていない上下関係、魔術を使って得る利益の規制や所得に応じた尖塔への寄贈額の取り決めなど、殆どが暗黙の了解で成り立っている。王立学院の教授連中の方がまだ目に見えたルールに縛られている分、わかりやすい、とサイラスですら思うほどだ。

 ファルマードは人徳に優れているから、実利主義の尖塔とそりが合わなかった。そういうことではないのか、と答えると彼は苦く笑う。


「半分正解で半分は不正解だ。制約が煩わしかったのは事実だが、それに見合うだけの益はあったよ」

「ではなぜ」

「簡単なことだ。『わたしが尖塔の魔術師では不都合なこと』が起きてしまった」

「意味が分かりかねます」

「サイラス、君は知っているだろう。尖塔の魔術師は古の魔術を用いることが許されていない」

「はい。それは知っています」


 ただ、それは今に始まったことではなく、古の魔術を読み解く技術が風化し、その結果、術式が伴う波及効果を想定することが出来なくなったからだ、と王立学院からも尖塔からも説明されている。そのことか、と問うと人はこの半世紀の間に詭弁を覚えたのだね、とファルマードが切なげな顔になった。

 長い長い階段が終わり、地下道のような場所に出る。よく見ると水路があるが臭気がそれほど強くなかったのは、今が冬だからだろうか。ファルマードのランプに導かれて石造りの地下水道を進む。

 ファルマードの問いはまだ続いていた。


「サイラス、この街を守っているのは何だと思うかね」

「城壁と規律、それから騎士ギルドの皆さんではないのですか」


 学術都市ソラネンにおいて武力を司るのは主に騎士ギルドの役割だ。尖塔の魔術師たちも戦闘の為というよりは個々の知的好奇心を満たす為に魔術を学んでいる傾向にある。他の職業に就いているものも多少の違いはあれど、皆、学ぶことに主眼を置いていた。

 だから、防衛は騎士ギルドの役割だ、と答えるとファルマードは「それは表層的な回答だな」と柔らかい声のまま言う。


「学術都市――その根幹を支えているのが、これだ」


 言うと同時にファルマードが短詠唱で魔術ランタンを灯した。刹那、青白い光源が幾つも生まれて地下水道の中を明るく照らし出す。

 そこにいたのは――巨大な、吹き抜けのように天井が高くなった空間にすっぽりと収まっている一頭の魔獣だった。学院の生物学系の研究室でよく見る白色のハツカネズミを極限まで大きくしたような魔獣――ジアルを実際に見るのは生まれて初めてでサイラスは息を呑む。

 どうしてここにこんなものがいるのだ。そもそもここはどこだ。無数の疑問が生まれては霧散する。

 その無限にも近い一瞬の中で、サイラスはあることに気付いた。

 蜘蛛の子から感じる魔力の波長と目の前のジアルの魔力の波長が似通っている。通常、魔力の波長というのは固有のもので親兄弟でもそうそう似ることはない。

 つまり。


「司祭、これの魔力を封じ、この場所まで私を運んだのはジアルの計略なのでしょうか」

「まさか君が『グロリオサ・リンデリ』の罠にかかるとは思ってもみなかったことだけが計算外だ」


 ファルマードのその言葉がサイラスの仮定を肯定していく。

 魔力の波長は固有だ。だから、サイラスが蜘蛛の子から感じ取っている魔力は蜘蛛本体のものではなく、封印に使われた「グロリオサ」の魔力なのだとしたら納得がいく。同じものから同じ感触を得るのは当然のことだ。だが、そうすると次の疑問も生まれる。ここは他の区画と比べて天井が高く、ジアルが収まるだけの空間があるが、サイラスが直前まで通っていた通路にはその余裕がない。ジアルが通れる筈がないのに城壁の外の蜘蛛の子にどうやって術式を付与したのか。これだけの強力な魔力を保つ為の食事はどうしているのか。どうしてこのジアルは「眠って」いるのか。サイラスにはわからないことだらけだ。

 それでもファルマードは言った。

 これは「『グロリオサ・リンデリ』の罠だった」と。


「司祭、一つだけわかりました」

「何かね。『千年に一人の大賢者候補』よ」

「『グロリオサ・リンデリ』の罠にかかったものが無傷で逃れるすべはない。そうでしょう?」

「正解だ。そして君はグロリオサの張った罠にかかってしまった。ことが恙なく終わるまで君には犠牲になってもらうしかない」


 ファルマードはそう言いながらも表情を変えることがない。千年に一人の大賢者候補、というのは流石に過大評価だ、と思ったがそれを訂正している場合でないのが自明でサイラスは現状把握と問題解決の為に精神力を集中させた。そんなサイラスを穏やかな表情のまま見つめているファルマードが一体何を知っていて、何を企てようとしているのか。僅か九つのサイラスにそれを推してはかる力量など当然あるわけもなく、頭の中は混乱による混乱で埋め尽くされている。

 それでも、どうしても。どれだけ智を巡らせても祖父のように親しんだファルマードを責める気にはなれなくて、最終的には許容という答えがサイラスの脳裏に明滅して消えてはくれない。

 ジアルの紅色の双眸がゆっくりと開かれるのにも気が付かないほどの混乱の中で、サイラスは揺れていた。

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