13 : Little Friend - 02

 ファルマード・フィレニア、というのはソラネンの街で長く司祭を務める老翁だ。青年期には少しの間だが尖塔の魔術師だったこともあり、魔術に対して全くの無学というわけでもない。魔術を知ったからこそ、尖塔と距離を置いた。そんな話を聞いたこともある。人としての徳を持ち、ソラネンの街では王立学院の教授連中ですらファルマードには敬意を払う。

 だからだろうか。

 サイラスはファルマードのことが好きだった。

 血のつながった祖父は二人とも、サイラスに物心が付く前に病死したと聞いている。二人とも立派だったとサイラスの周囲の大人たちは口を揃えて言うが、それがどういうことなのか、結局サイラスが実感することは一度もなかった。

 サイラスはソラネンにおける派閥争いの駒だ。学院が尖塔をけん制する為に都合よく利用されている。それについては致し方ないのだろうと諦めていた。学院の特待生として衣食住を保証してもらうのだから、多少の不満については呑むしかない。

 それでも。

 サイラスのことを一人の人間として扱ってくれないのは少しつらかった。

 フェイグ母神もデューリ父神もサイラスに祝福を与えないのなら、敬うこともない。

 そんな風にささくれ立っていたサイラスに下心も何の損得勘定もなく純粋に心を砕いてくれたのは、多分、ファルマードだけだった。

 尖塔の魔術師たちは魔力を伴った死霊を浄化する際、神気の込められた聖水を必要とする。神気と魔力をお互いに媒介として行う術式らしいのだが、聖水を調達する為に教会を訪うのが煩わしいらしく、術式の解説をしてやるのと引き換えに調達をサイラスに任せたい、と言ってきた。ソラネンに移り住んできて三週間目のことだったから、多分、教会に行こうともしないサイラスが教会を訪れる為の名目だったのだろう。

 果たして、毎週のように教会に通うことになったサイラスは相変わらず神に興味がなかったが、ファルマードの人柄に触れ、少しずつ彼のことを信じられるようになっていった。

 祖父、という存在がファルマードのような性質のものだったらいいのに。

 本当に、心からそう思う。

 王立学院の図書館で禁書を見つけたのはふた月前のことだ。帯出禁止になっているが、寄宿舎に持って帰りたい、と何ごともなかったかのように司書に申請すると何ごともなかったかのように受理された。危機感を覚えたサイラスはその足で教会を訪った。ファルマードに今、自分が経験したことを説明すると彼は大らかに笑って「では君とわたしだけの秘密にしよう」と言って別段禁書を取り上げるでも、封印するでもなかったのには流石に司祭の領分を越えているのではないかと思ったが敢えて言わないでいた。この街でそれが許されているのなら、サイラスが口を挟むことでもないだろう。

 それ以来、サイラスは禁書の解読に勤しんでいる。

 昨晩、術式の構成の一つを説き終えたから、今夜、それを試しに森へ出た。

 そこまではファルマードも認識しているだろう。

 問題はそこからだ。

 暖かい部屋で毛布にくるまっているとサイラスの感覚が少しずつ戻ってくる。テーブルの上には蜘蛛の子。ファルマードはその小さな生きものをまじまじと観察して、そうして言った。


「サイラス、わたしの見解を最初に述べよう。君の見つけた友人は魔力を帯びた蜘蛛ではなく、魔力を封じられた魔獣であるようだ」

「魔獣? これがですか?」

「酷く衰弱しているが、そうだ」

「でも、これは木の枝から落っこちてきたんです。そんなどじな魔獣、聞いたこともありません」


 サイラスが森の中で術式を展開したところ、その衝撃で木の枝から雪の塊と共に落下してきた。自力では雪の中から這い出せず、あのまま放っておいたら凍死か窒息死が関の山だと判断したからサイラスが雪を掘った。こんなどじで間抜けな生きものが魔獣である筈がない。

 そう、反論するとファルマードは柔らかく微笑んだ。


「それについてはどう弁解するのだね、『マグノリア・リンナエウス』」

「――――――」


 マグノリア、と呼ばれた蜘蛛の子の複眼に小さな橙色を灯る。

 雑音に近い高周波の声が何かを伝えようとするが、九つのサイラスにそれを聞きとるだけの技術はなく、何を言っているのか、見当すらつかなかった。

 それでもなお、ファルマードと「マグノリア」の会話は続く。


「そうか。人語を封じられているのだな」

「――――――」

「なるほど。では『マグノリア』、君の願いを叶える代償を聞こう。君はわたしたちに何をしてくれるのだね」

「――――――」

「よろしい。サイラス、禁書を持ってわたしに付いてきなさい。そこにもう一袋、魔石がある。それも忘れずに」

「司祭、先ほどからいったい何の会話をしておられるのですか」

「君と君の友人の未来を保つ方法を模索しているのだよ」


 その一つを君の友人が知っていると言っている。

 来なさい、と言ってファルマードは「マグノリア」を抱えると暖炉の火を消した。サイラスは慌てて魔石の袋を拾い上げる。袋はずしりと重く、それなりの量の魔石が入っているのだろうと予感させた。ファルマードはそれを確かめると司祭館の奥へと歩き出す。今まで通されたこともない部屋の一つに入ると彼はおもむろに本棚を横にずらした。すると、本棚の置いてあった床にはぽっかりと穴が開き、そこからは地下に向けて階段が続いている。どこにつながっているのか、尋ねてはならないことのような気がして魔石の袋を大事に抱えてファルマードのランプを追った。

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