11 : Emergency Call - 03
「リアム。目測でいい。テレジアは去年と比べてどのぐらい痩せて見える」
「そうだな、十ポンド以上は確実だけど、でもそれって自然増減の範囲内じゃない?」
リアムの目にはそう映るのか。一年にふた月しか顔を合わさないリアムですらその認識ならば、ソラネンの住人の大半はテレジアの身体に起きている異変には気付いていないと考えるべきだ。
「自然増減するにしてもあれの基礎代謝では余程のことがなければ不自然だとは思わないか」
「セイは余程のことがあった、って思ってるんだ?」
「三年連続で十ポンドずつ体重が減るのが普通のことだというのなら私の考えは杞憂で終わる。寧ろ、そうだと言ってほしいぐらいだ。そうだろう、テレジア」
ちら、と談話室の入り口を見る。そこには毎日顔を合わせている筈のテレジアが苦笑いを浮かべながら立っていた。そうしてまじまじと改めて見ても、テレジアの痩せ方は普通ではない。三年で実に三十ポンドもの減量をしたのが彼女の本意ならばサイラスは何の心配もしない。寧ろ無神経なやつというレッテルを貼られるのすら喜んで受けようと思う。
だが。
「ボウヤの目は誤魔化せないねえ。そうさね、最近は食欲もなくて」
「知っている。お前の食べ残しが毎年増えていたからな」
「善良ってのは案外難しいもんだねえ」
そうしてサイラスは後悔と罪悪で胸が押し潰されそうな感覚を味わった。
十年前のあの日。サイラスには選択肢などなかった。テレジアにとっても負荷の高い行為だとわかっていた。それでも、サイラスもテレジアもこれしか選べなくて今日まで来てしまった。ヒトと世界の理を無視している。許されないことだとわかっていた。それでも、どうしようもなかったのだ。そうしなければ、サイラスもテレジアも今日という日を見ていないだろう。
神など信じていない。救いなど期待もしていない。それでも神罰は下る。世の中は本当に不条理の連続だ。そんなことを噛み締めながらサイラスはテレジアと言葉を交わす。
ただ、リアムへの詳細な説明を割愛したから、彼もまた別の意味で混乱の渦中にいた。
「ちょっと待って! 待って! セイも女将も何の話をしてるんだ?」
「リアム。いつか言わねばならんと思いながら五年も黙っていてすまなかった」
「だから! それが何の話なんだって!」
「お前のいう女将は私と使役契約を結んだ魔獣だ。わかりやすい言葉に言い換えればこれは私の使い魔ということになる」
「えっ?」
「ダラスの生態についてはどこまで知っている。繁殖期を迎えたダラスに自我が芽生えることは? 魔術師と契約したダラスがヒトに擬態出来ることは?」
知らないだろう。なぜなら、これは全てサイラスが王立学院の書庫の奥で見つけた禁書に記された古の魔術の在り方だからだ。魔獣との棲み分けが進み、現代魔術において魔獣を使役する必然性は下がった。ヒトはヒト、魔獣は魔獣。そういう風に暮らす場所を分け、相互不可侵とした。だから、お互いの領分を犯すことがあれば、そのときはどんな手段を使ってでも侵入者を排除することが許されている。勿論、侵入者の生死など問わない。
シジェド王国は魔術的に進んだ国家であり、王国領土内における魔獣は魔獣でギルドを作り、言葉や感情などの知性を持つものはその代表を定め、代表同士でやり取りをすることが取り決められている。
シジェド王国に暮らしていてこのことを知らないものはいない。
無法者と懇意にすることなどあってはならないのだ。
サイラスのしていることは誰がどう見てもその規律に抵触するものであり、トライスターの研究員として決して許されることではない。
風来坊を気取っているリアムをしても理解は得られなかったのか。そんな冷たい感情が胸の内に滑り込んで来そうになる。もう間もなくサイラスの心が凍る。その僅か手前、リアムの太陽の声が聞こえた。
「セイ、話してくれてありがとう」
「――リアム」
「そんなの、普通話すことじゃないと俺も思うよ。それにさ、セイのことだから何か事情があったんだろ」
「リアム」
「女将もさぁ、化けるの上手すぎるだろ」
二人とも機会があったら是非演劇の舞台に挑戦するべきだ。そんなことを言うリアムの両頬の上を輝きが流れ落ちていく。知っている。リアムは優しいやつだ。こんな風に秘密の暴露をされて、サイラスやテレジアを責めたり出来ないぐらいには優しいやつだ。それでも、本当の本当に信頼されていたなら、もっと早くに相談してくれればいいのに。そう思ってしまうのも仕方のないことだ。わかっている。それでも、サイラスが真実を告げればリアムはこの禁忌の共謀者に名を載せてしまう。それがどれだけ危険なことなのか、サイラスが苦悩したことをリアムは知っている。知っているから、彼は一言も二人を責めないでただ己の無力に悔し涙を流している。いいやつだ。本当にいいやつだ。本当なら一生サイラスが黙っているべきことだったのに、巻き込まれて、その段になってようやく事情を知らされて激昂したりしない。リアムの優しさに甘えている自身を知って、サイラスの胸はまたつきつきと痛んだ。
それでも。
もうことは始まっている。
その瞬間はリアムがこの街を発つふた月後まで待ってはくれないだろう。
だから。
「リアム、私とテレジアの昔話を聞いてくれ」
多分、そこから全てが始まっているだろうから。
そう、言うとリアムは上腕で目元をぐっと拭って、そうしていつも通りの太陽の笑顔で応える。その双眸には真実、強さが輝いていてサイラスはいい友人に恵まれたことを一瞬だけデューリ父神に感謝した。
ときは十年前にさかのぼる。その夜、サイラスが経験したことをどんな言葉で伝えるのがいいか。判断に悩みながらもサイラスはゆっくりと語り始めた。
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