第四話

09 : Emergency Call - 01

 魔術師の見る夢には意味がある。

 サイラスは純然たる魔術師ではないが条件を箇条書きにするとギルドの規定上、かなり高位の魔術師の扱いを受けることになる。潜在的な魔力の強さ、だとか、短詠唱で放てる術式の多さ、だとか、術式の持続力、だとかそういった基準で高スコアを叩き出し続けていることもあり、魔術師ギルドはいまだにサイラスをギルドの管理下に置きたいと思っている。

 そんな高位の魔術師と同等のサイラスの見る夢には必ず意味がある。

 暗闇の中小さな明かりが浮かんでいた。赤みを帯びた橙色は幾つかの光の塊であり、学術的な言葉でいう複眼であると気付く頃にはその化け物はサイラスの眼前に巨躯を晒していた。黒鉄色の外殻、炎の片鱗を纏ったような体毛、サイラスの頭上高くに煌々と輝く橙色の複眼。どこをどう見ても巨大な蜘蛛のモンスター――ダラスだった。

 昨晩、スティーヴ・リーンに問われたからか。本当にこのソラネンの近郊にダラスが現れたのか。この映像がサイラスの懸念の発露でなければ、ダラスはサイラスに思念を送れるだけの距離にいる。ダラスというのは概ね生きた年月の長さに比例した成長を遂げるとされていた。サイラスの視界に映っているものを目測すると約十フィート。三十年か、三十五年程度のまだ年若いダラスに見える。真に長命なものは尖塔の高さをゆうに超えるから、これでも小さな方だ。ただ、これだけの大きさのモンスターが都市近郊に存在するという時点でもう既に大問題だ。ダラスは人を喰う。ソラネンの街を取り巻く城壁などこの大きさのダラスの前では何の障壁にもならない。石積みの壁を突き破って終わりだ。黒鉄色の外殻はそれだけの強度を持つ。サイラスの脳裏に最悪の事態が想起された。

 困惑の境地にいるサイラスを更に困惑させたのはダラスから「声」が聞こえたことによる。


「マグノリアを知っているな」


 通常、ダラスは知性を持たない。知性がないから言葉を発することもない。ヒトと相互理解をする為に呼応したりもしない。ただ何も言わず、何も告げず一飲みにして終わりだ。にも関わらずこのダラスは「声」を発した。身体構造上、声帯がないから声といっても思念波に近い。サイラスの聴覚に直接干渉してきているようだった。


「お前は何者だ」


 ダラスに問いなど意味がないとわかっていたが、サイラスは問わずにはいられなかった。ソラネンの街を襲う危険の予知夢であれば、少しでも詳細な感覚を得たい。真にダラスがソラネンの近郊にいるのであるのだとしても同じだ。サイラス自身に問うのか、実在する脅威――ダラスから引き出すのかの違いがあるだけで、サイラスが行わなければならないことに変わりはない。サイラスはソラネンの平穏を守りたいと思っている。この泥のような夢から覚めた後に何をするべきか。段取りをしながら、見上げるほどの大蜘蛛と対峙する。恐怖心は勿論ある。今、夢の中だったとしても、このダラスがサイラスを飲み込めばサイラスの精神は死に至るだろう。精神の死は現実世界の肉体の緩やかな死を意味する。そして、今、サイラスは徒手であり、短詠唱の魔術の幾つかが使えるに留まる。目の前のダラスが真に害意を持っていればサイラスは生きて二度と朝日を見ることはないのは確実だった。

 それでもなおサイラスは大蜘蛛に問う。お前は誰だ、と。

 その問いかけなど聞こえていないのか、あるいは聞くつもりがないのか、でなければダラス自身の言葉を発するので精一杯の状態にあるのか。答えを巡らせながら可能性を一つずつ潰していく。ダラスはただ「マグノリアを知っているな」と一方的に尋ねるのみだ。となるとこのダラスは送信専用なのだろうと察する。マグノリアというのは花の名前だ。木蓮の学名であることまでは一拍で理解出来たが、ダラスが問うているのは樹木のことではないのだろう。知っている、と一言でも答えたが最後、ダラスはサイラスに襲いかかってでもサイラスの知っているマグノリアに関する情報を引き出そうとするのが目に見えている。

 だから、サイラスは否定を繰り返した。夢の中の暗闇が薄明かりに変わるまで、サイラスは何十回も否定した。夢の時間はじきに終わる。この無限に続くかのような悪夢も日が昇れば強制的に終了されるのがわかっていたから、サイラスは耐えた。

 空間の端が白み始める。ダラスの姿が少しずつ半透明になり、サイラスは待ち望んだ朝の到来を知る。これで終わりだ。そう思ったからサイラスは最後の「知らん」を放り投げた。それと入れ違いでダラスの言葉が変化する。


「知らん。知っていたとして、お前にそれを教える利もない。ゆえに答えは一つだ。『知らん』」

「三日後、もう一度来よう。マグノリアにそう伝えておけ」


 そう言い残すとダラスの姿は完全に消失した。酷い倦怠感を残して、サイラスの夜が明ける。隣の部屋のウィリアム・ハーディは無事だろうか。瞬間、考えてサイラスは自らの思考で打ち消した。リアムは魔力を持たない。魔力のないリアムに魔力的干渉を行うのはどれほどの賢者をもってしても事実上不可能だから、彼は心地よい微睡みの中にいるだろう。そのことだけがサイラスを酷く安堵させた。眠っていたのに眠る前よりも疲労感が強い。それでも。サイラスは自らがすべきことがあると知ってしまった。それをなすのがこの街でトライスターの座にあり、魔術師になりきれない学者という中途半端な人生を許されているサイラスに課された使命であるとわかっている。

 わかっているから、サイラスはゲストルームにいる友人を安らかな眠りから引きずり出す罪悪に耐えた。


「リアム、話がある。起きろ」


 毛布を剥ぎ取るとリアムが毛布にくっ付いてくる。サイラスに膂力はない。あるとしても純粋剣士であり、細身ながら筋肉の塊であるリアムを支えられるだけの力があるのなら、サイラスは今頃魔術の研究ではなく機械工学や自然工学の研究をしているだろう。そのぐらい、サイラスはひ弱だ。

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