08 : Bad Joke - 03
舞台上に明かりが灯り、酒場の中が俄かに沈黙で覆われる。その注目の中、一人の女が袖から登壇する。手には年代物の使い込まれたエレレン。美女という前評判は決して過大ではなかったな、という印象を与えた。手入れの行き届いた流れるような栗色の髪。透き通るような白磁の肌。演目の都合だろうか。彼女の美貌にはやや過剰に見える化粧を施された造形はどう客観的に評価をしても美しい以外の文言にはならず、異性にあまり興味のないサイラスをしても納得させるだけの魅力があった。世の中の娯楽は酒か美女かだと言って憚らない友人はさぞかし興奮しているだろうな、と視線をやると案の定、彼は酒気も入っているだろうが喜んでいる。拍手の渦の中、舞台中央に置かれた椅子にスティーヴが腰掛ける。そして。彼女のエレレンの演奏が始まった。
途中、都合二度の幕間を挟んで大衆音楽、賛美歌、古典と演目が移り変わる。サイラスは二部以降の内容が充実していたのでかなりの満足を得た。旅芸人だからか、古典の解釈が若干異なっていたのが唯一の気がかりだが、これはこれで芸術として成立している。学士風情が口を挟むことでもないだろう。そう結論付けて終演の礼を取っているスティーヴへ惜しみない拍手を送った。
「そちらは旅をしておられるの?」
スティーヴの演目が終了すると同時に、酒場は本日の店仕舞いを告げる。ソラネンの条例において深夜時間帯以降の営業はいかなる業態においても禁止されているから、誰も文句は言わずにそのままそれぞれの帰途に着く。
サイラスとリアムも寄宿舎へ帰ろうと店を出た。酒場で酒と水以外のものを注文するのはサイラスぐらいのもので、今日、調達出来るのは生姜水だけだと言われたからずっと生姜水を飲んでいた。当然、口の中が刺激物で少しひりついている。
帰ったらテレジアに紅茶でも入れてもらおうと話しながら、ゆっくりと流れる人混みに混ざっていると不意にそんな声が聞こえた。振り返ると旅の楽士――スティーヴが立っている。
リアムが不思議そうに小首を傾げて問いに答えた。
「俺? 俺はそうだよ」
「そちらは?」
「私はただの学士だ」
旅の楽士がサイラスたちに何の用事があるのだろう。思いながら、サイラスとリアムは思わず顔を見合わせた。目線でやり取りする。何だ。何の用件なのだ、彼女は。
そのやり取りの合間にもスティーヴの問いは続く。
「お二人はご兄弟? とてもよく似た雰囲気を感じるのだけれど」
初耳だ。髪の色、身長、顔つき、生まれ、持病も体質も何一つサイラスとリアムで共通したことなどない。周囲からは凸凹だとか、ちぐはぐだとかそんな評判しか聞かない。
なのに目の前の女はサイラスとリアムが似ている、と言って決して譲ろうとはしなかった。
その答えを探して、リアムが噴出する。美女から個人的な問いかけを受けて舞い上がっているのかもしれない。
「セイ、俺たち口説かれてんのかな? こんな面白い冗談、初めて聞いたよ俺」
「チップが不足しているのなら素直にそう言え、楽士殿」
それぞれの思う結論を口にすると、スティーヴはその両方を否定して、そっと差し出されたサイラスのチップを受け取る。
「いえ、そういうわけではないの。でも、いただけるのならいただいておくわ」
「楽士殿、私たちは兄弟でも旅の仲間でもない。ただの、友人だ」
念押しのようにもう一度他人であることを告げると、彼女は心底不思議そうにしながらもう一つだけ尋ねてもいいか、と言った。
「なら、旅の方。噂話でもいいの、何か聞いたことはないかしら、この辺りにダラスが出る、だとかそういったこと」
「ダラスってあのダラス?」
「そう。小山ほどもある大きな蜘蛛のモンスター」
何十年も何百年も生きる長命のモンスターで、ダラスは人だろうが家畜だろうが口に入るものは何でも喰らう。知性を持ち合わせていないから、人里近くに現れれば当然その街の脅威になる。ゆえにこういった情報は役所はもちろん、魔術師ギルドやハンターギルドで管理されている。
ソラネンのギルドに問い合わせるのではなく、旅の戦士であるリアムに尋ねる、という点が引っかかったがサイラスはソラネンの街の外のことにはあまり明るくない。
スティーヴの危惧がどこにあるのか、サイラスには判然としなかったが問われた内容に事実だけを返した。
「俺は知らないな。セイ、お前、何か知ってる?」
「ダラスが出て騒ぎにならない道理がないだろう。ソラネンは今年も平和そのものだ」
「そう。ならいいの。お二人とも、よい夜を」
言ってスティーヴは暗闇の中、器用に片目を瞑ってみせる。
そして、その後は彼女も宿に戻るのだろう。石畳の上を旅籠の区画へと向けて歩いて行った。その背が見えなくなるまで見送って、サイラスたちも寄宿舎へ帰るために街路を歩き始めた。間もなく時刻は深夜帯に突入する。ソラネンの街全体が穏やかな眠りに就こうとしていた。
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