02 : SSS -02
昨年と一昨年の定期点検のことを思い出す。
その中で推移を予想すると、少しずつだが駆除する生物の量自体が増えているから、今年は昨年より少し多めに持っていく必要があるだろう。
「そうだな。少し待て。倉庫を確認してくる」
輝石と呼ばれる小さな石は魔術の詠唱に必ず必要だ。輝石一つで耐えうる術式の回数は大きさや輝きの強さによって違っていたし、術式の難易度によって必要な魔力の含有量も違う。ただ、ソラネンの地下程度であれば凶暴な害獣と出会う可能性は殆どないから、一番小さな輝石を持っていくのが妥当だろう。
そんなことをリアムの目の前で黙々と考えているとリアムはふっと表情を緩めた。
「セイってさぁ、本当にいいやつだよな」
「お前ほどではない」
「えー、俺は全然いいやつじゃないよ」
「ならばそういうことにしておいてやろう」
研究室内の壁にかけられた台帳を確認する。倉庫に輝石は十分にあるから五分程度で戻って来られるだろう。
その旨を告げるとリアムが言う。煮豆茶のおかわりがほしい、と。
ポットの中にあと三杯分はあるから好きに飲め、とサイラスが返すとリアムがきょとんとした顔をした。
「セイ、お前、割と本当に天才だったんだな」
「トライスターの称号を三年も守り続けているのだ。天才に決まっているだろう」
「えー、それ自分で言っちゃう? 言っちゃう?」
「お前にしか言わんよ」
トライスターというのは学者の名誉称号だ。毎年、冬の終わりに学者の論功を試す試験が行われる。試験が三分野にわたり、その分野の最高得点を記録した学者に「S(スター)」の称号が与えられる。それを三分野とも得ると「SSS」――トライスターという学者の最高峰にあることを示す称号に変わる。サイラスは十六の歳から現在に至るまで、三年間無敗のトライスターを収めていた。
そのサイラスからすれば、リアムが煮豆茶が好きなことも、煮豆茶のおかわりを要求することも想定の範囲内だ。そう言外に含ませるとリアムが破顔した。
「セイ、ありがとう」
「どういたしまして」
「じゃあお言葉に甘えて! 煮豆茶! いただき! ます!」
サイラスが硬質な音を立てて煮豆茶の入っているポットをテーブルに置いた。リアムが大袈裟に両手を叩き合わせて謝意を伝える。
煮豆茶はまだほんのりと湯気が立ち上がる温度を保っているようだった。
「ゆっくりしろ、リアム。今日は一日晴れになる予定だ。地下水道に籠もるにはちょうどいいだろう」
雨なら雨水が流れ込んで話にならない。曇りでも臭気が籠る。晴天が地下水道の定期点検に一番向いている。サイラスの宿舎と王立学院の研究室との間に天文館がある。天文館が観測した情報はソラネンの市民であれば誰でも自由に閲覧することが許されている。天気図は今日の降水確率は一割にも満たないことを示していた。そんなことを考えながら気休めを口にするとリアムはまたしてもぽかんとした顔をした。
「セイ、天文博士の称号までほしいのか?」
「寧ろ私は私の学識で得られるものは全てほしいのだが?」
「お前のその前向きな復讐、応援してるぜ」
「理解があって助かる」
サイラスは九つの時に全てを失ったと思った。
家族も、屋敷も、財貨も、地位も、名誉も全てなくなったと思った。
それなのにどうしてサイラスだけは生きているのかとフェイグ母神を呪った頃もある。生と死を司るなら責任を持ってサイラスまでも殺めていけと思ったことが何度もある。
それでも。サイラスはまだ今日も呼吸をしている。母神が何を思ってこの運命をサイラスに授けたのかは知らない。それでも、サイラスはまだ生きていて、今日の次に明日があることを願っている。
だから。
これはそんな運命を強いた母神への復讐だ。
サイラスは生きて、生きて、どんなに苦しくても生きて、ソールズベリ子爵家をかすめ取っていったやつが持っているよりずっと大きな名誉を得てやると決めた。家柄に囚われない未来を与える為の試練だったとか母神がのたまうのなら鼻で笑ってやろう。手酷い手段でしか人を試せないような神は存在するに値しない。神も人も関係がない。呪われたのだから呪い返す。その為の手段として人を傷つける道は選ばない。そんなことをすればサイラスもフェイグ母神と同類になるから、その一線だけは何があっても越えないと決めた。
だから、これはサイラスの前向きな復讐なのだ。
リアムはそれを知っている。知っていても、復讐が不毛だからやめろなどとは言わない。
そんな理解ある「友人」がいることの尊さもサイラスは知っている。
今ある充実は過去を溶かすだろう。喪失の痛みは決して消えない。それでも今日と明日を生きているうちに別の輝きを見出すこともあるだろう。
それが一年後のことなのか十年後のことなのか、サイラスは勿論、誰も答えを知らない。知らないが、人は生きている以上誰も同じ運命を背負っているのだから、自分だけが特別に不幸だとか嘆くのは無意味だからトライスターの称号を得たあの日、サイラスは悲劇の主人公の座を降りた。
定期点検に必要な素材を倉庫から調達して戻るとリアムは三杯目――最後の煮豆茶を飲んでいるところだった。置き場所を教えたわけでも、使う権利を与えたわけでもないのに煮豆茶の褐色は白濁している。どう見てもサイラスの研究備品である粉末乳を使ったのは明白で、一歩間違えば劇毒を誤飲していたかもしれないぞ、と思うと溜息が漏れた。
その説教をして通じる相手か、サイラスは一瞬考えて溜息をもう一つ漏らした。
「リアム。報奨金が出たら酒場に連れて行ってくれ」
「おう、任せろ! 俺がお前の分も支払ってやるから安心して飲め!」
「馬鹿を言え。私は下戸だ。酒など飲めんと何度言わせる」
「じゃあ何だ」
「先週から旅の楽士が来ている。エレレンの名手だそうだ。一度聴いてみたい」
エレレンというのは中振りの弦楽器だ。流麗で繊細な音から、豪快で激しい音まで楽士の腕前によって表現の域は広い。現在では主に大衆音楽を奏でるのに用いられるが、宮廷音楽を奏でることもある。そのエレレンの名手がソラネンの酒場で演奏を披露している、と言われて興味を持たないほどにはサイラスも世間を倦厭していない。
ただ、一人で酒場に行くのが躊躇われたからリアムを巻き込んだ。
その旨を伝えるとリアムの両肩が落胆で下がる。
「はいはい、トライスターの学士さまはご健全なご趣味をお持ちで」
「リアム、お前も楽士を見れば意見が変わるかもしれん。何せ、当代一の美女だと学生たちが騒いでいたからな」
「美女? セイ、お前そういうことは早くに言えよ!」
意気消沈から興味津々へとリアムの顔色が変わる。どちらが健全な趣味だ、と揶揄ってやりたい気持ちに駆られたが微苦笑で打ち消す。
今年もまた騒がしい季節が始まる。
その面映ゆくてくすぐったくて、面倒で退屈で楽しくて輝いている明日をまだ欲している自分自身を知ってサイラスもまた笑んだ。幸福はどこにでも転がっている。そのことを教えてくれる友人がいる幸福を噛みしめてサイラスは研究室の扉にそっと鍵をかけた。
ソラネンの空は今日も青く澄み渡っている。
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