第三章 秘密
コンセイユと名付けられた謎の海洋生物は、海水入りのバケツから飛び出すとネッド少年の足元に絡みついた。少年の顔を見つめると前のヒレをバタバタと動かす。ネッド少年は暫く様子を眺めていたが、高い所に登りたいのだと理解し、優しく抱き上げた。
コンセイユは腕の中の暖かさが気持ちよかったのだろうか、幾度か大きく頭の上の鼻孔で呼吸をし、深い眠りについた。
ネッド少年はコンセイユを自分のベッドの上に寝かすと、重く濡れた髪を乾かすためにチェストからタオルを取り出した。鏡を見ながら髪を乾かす。柔らかくウェーブのかかった長い前髪と短く跳ねた後ろ髪が気に入っているのだが、外の雨とコンセイユの水飛沫とで見る影も無くなっている。ばさばさとタオルで拭くと突然くしゃみをした。少年の服もびしょ濡れだったのだ。これでは風邪をひいてしまう、と紅白のボーダー服から唯一持っている正装のインテガ伝統模様の服に着替えようとまたチェストを開けた。ボーダー服を脱ぐとき交差させた腕の先、右手に痛みが走った。
「ああ、できもののせいか」
ネッド少年は痛みを和らげるために手を振り、左肩を見た。そこには生まれつきのできものが三つ、鱗のようにできている。町医者に診てもらおうとしたが、少年の家にはお金がない。その為、鱗模様が大きくなろうとも何も出来ずにいた。
何とか服を着替えると、誰かが家のドアを叩いた。
「おーい、ネッド!居るんだろう?アロナックスだ!開けてくれ!」
少年は大声を聞いてすぐにドアを開けた。男は全身を濡らしながら肩で息をしていた。
「アロナックスおじさん、大丈夫?外は寒いでしょう。家の中で休んでいって。温かいスープを用意するね」
「ありがとう、ネッド。お母さんは買い物かい?」
「そうだよ。多分今日は帰って来れないんじゃないかな」
ネッド少年は新しいタオルをアロナックスに渡すとキッチンで火を起こし、香辛料と野菜を棚からいくつか取り、ナイフで刻み始めた。男はタオルで顔を拭うと、「ふう」と息をついた。
少年がスープを作っている間、何かを言い出そうかアロナックスが悩んでいるようだった。
「おじさん、何か言いたいことがあるの?」少年は不思議に思い、訊いた。
「ネッド」アロナックスは言った。「岩礁がまたインテガの砂浜近くに現れたみたいなんだ」
「なんだって!ああ、でも、僕には…」
そう、母親や新しい友達コンセイユがいるのだ。放って調べに行くなど到底できない。心の中で葛藤が渦巻く。しかし、とりあえずはスープを作って自分もアロナックスも温めようと好奇心を打ち消したのだ。
暫くして、スープが出来上がった。トマトとコリアンダーとクミンシードのスープだ。甘酸っぱいトマトとコリアンダーの独特の香り、そしてクミンの濃いまろやかなコクのような香りが混ざり合って部屋に広がる。即席だが、なかなか上手くいった。
「どうぞ」ネッド少年がスープをボウルによそい、アロナックスの前に差し出す。寒がっていた男はスープの前で手を広げると暖を取った。スプーンを受け取ると、丁寧にすくい一口めを飲み込んだ。
「とても温かくて元気が出るよ。ありがとう、ネッド」
「良かった!じゃあ、僕も…」
褒められた少年はスープを啜った。仕上げに入れたブラックペッパーが辛みを出してなかなかに美味しい。お金があったら、もう少し具材が欲しい所だが!
スープ作りが終わってしまったので少年は、かの岩礁の生物が気になり始めた。飲み干したボウルの底を見つめていると、アロナックスが声をかける。
「私も一緒に見にいこうか?」
優しい一言であったが、ネッド少年に悩みの種を蒔いた一言でもあった。このような雨の中、コンセイユを置いて出て行っても良いのだろうか。秘密を打ち明けてしまえば良いのだろうか。様々な思いが心に渦巻く。少年の顔色を伺っていた男は、少年の肩を持った。
「私はもう眠いから、このまま寝かせてもらって良いかな?」
唐突な言葉に驚いたが、これがチャンスだと思った少年は頷いた。もし、帰るのが遅くなってもアロナックスなら家の留守を任せられる。コンセイユを岩礁まで連れて行けば秘密を守ったまま好奇心と共に旅立つことができる!
椅子にもたれたまま眠るアロナックスの隣の部屋で、ネッド少年は冒険の準備をし始めた。カバンに服や日記を詰めたとき、コンセイユが小さく「ぴい」と鳴いた。コンセイユの見つめる先を見ると、父の遺品のペンダントと銛があった。
「そうだ!」
ペンダントのチェーンを括り、コンセイユの首にかけると、彼(であるか、彼女であるかは不明であるが)はとても喜んだ。ネッド少年は、銛を携えて背筋を伸ばして立つ。良い気分だ。
もし帰ってくるのが遅くなっても、母親やアロナックスが心配しないように手紙をテーブルに置いた。左腕でコンセイユを抱きしめ、右手いっぱいに荷物を持ち、こっそりと家を出る。
大冒険の始まりだ!
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