第四章 ノーチラス号

降りしきる雨の中、ネッド少年は海へと駆け出した。あの岩礁の正体を今こそ暴くとき!不安と好奇心で胸を温め、冷えた体を奮い立たせる。掲示板のある町役場の角を曲がり、パン屋の看板の下をくぐり抜け、人の目につくことなく砂浜にたどり着いた。もちろん、この大雨の中海に近づく者などいない。

「ぴいぴい!」

突然コンセイユが鳴いた。その声は辺り一面に響き、誰かを呼ぶように鳴き続ける。

「あっ!」

少年は大きな声を上げた。近くの岩場に、海面からイッカクの角のように立派な槍が現れたのだ。ネッド少年はイッカクを見たことはない。だが、本で読んだように大きく天を貫くかのような槍を持つ海の生物はそれ以外考えられない。

もっと近くで観察してみよう。腕の中のコンセイユとカバンを岩場に下ろし、岩場の頂上目指して踏み出した。

雨に濡れた岩場は凍った池の上のように磨かれて―

つまり、ネッド少年は一歩踏み出したときに足を滑らせ、背中から海へと落ち、沈んだのだ。泡が口から漏れ、踠き海面へ這い上がろうとする手を銛が塞ぐ。水を蹴ろうとしたが、足が岩と岩の間に挟まり身動きがとれない!踠けば踠くほど体内の酸素が減り、苦しくなる。

哀れな少年は、ついに力尽きた。


眩しい。

溢れんばかりの光が少年を迎えた。ああ、ここが父のいる天国だろうか。光の中を探るべく右手を伸ばす。すると、手の先に暖かいものが触れた。手だ。自分の倍はあるだろう大きな手が包み込む。

「おとうさん…?」

ぼやけた視界の人影はただこちらの手を握るだけ。

ネッド少年がゆっくりと体を起こし、左手で目を擦ると視界がひらけた。

「起きたか」

人影が形を現す。

海軍のような帽子を被り、服も同様であった。髪は栗毛で瞳は蒼い。ただ、長い前髪で顔の右半分を隠している為、右の瞳があるかどうかは分からない。顎髭は短くすっきり整えられている。怪しいが、助けてくれたであろう人だ。

「ありがとうございます」

感謝を伝えて思い出した。コンセイユを置いてきてしまった!

「君の友人は窓の外にいる」

海軍の男は帽子を被りなおし、窓を指差す。ネッド少年は急いで金属製のベッドから降りると、大きなガラス窓に向かう。

外が水色だ。赤い小さな木が岩場から生えている。

いいや、木ではない。珊瑚だ。ここは海の中だ!少年が腰を抜かすと、後ろに立っていた男に肩を叩かれる。驚いて彼の顔を見ると、窓の外の一点を見つめていた。その瞳は優しく、まるで戦地から自宅へ帰ってきたときのような安堵にも満ちていた。

もう一度窓の外を見ると、首にNの文字のペンダントを付けたコンセイユがやってきた。

「良かった!コンセイユ、君がこの人を呼んできたの?」

コンセイユは、その言葉が聞こえていたのか聞こえていないのか、理解していたのか理解していないのか分からないが、確かに首を縦に振り肯定していた。

「彼が呼んだのは私ではない。この、ノーチラス号を呼んでいたのだ」

男が壁を撫でながら、言った。船を呼ぶだって?しかも、原理は分からないが海底に沈んでいる船を?関わってはならない人に会ってしまったのだろうか。少年は不信感でいっぱいだった。

「助けてくれてありがとうございます。でも、僕帰らないと」

荷物は無いが、コンセイユだけでもいてくれたら良い!脱出しよう。ネッド少年の決意する様を見ていた男は口を開いた。

「今地上に上がらない方が良い。岩場で足を滑らせても二度めは無いからな」

なんなのだ、この失礼な男は。

少年は強引に外へ出ようとドアを開くが、出口が分からない。パイプが張り巡らされた長い廊下にドアがいくつもあり、何処へ繋がるのか見当もつかない。

『どこへ行くつもりかな?』

中性的な不思議な声が心の中に響いた。失礼な男の声ではない。どこか懐かしい声に少年は言葉を返す。

「出口に行きたい」

『ははは、出口はあるけど出られないと思うよ。私が君を出してあげるか決めるのだから』

高く笑った声に、少年は壁に寄りかかりながら暗い声で尋ねる。

「君は誰?まさか、僕の体に変なことしてないよね」

『私はノーチラス号。先ほど紹介された、潜水艦ノーチラス号だよ。神に誓って変なことはしてないから安心して』

ネッド少年は聞いたことのない言葉に首を傾げた。「潜水艦」。声に出してみるが、本で読んだことも見たこともない。見たことはないのだが、この船が潜水艦ならば見たことにはなる。混乱し始めた少年を見かねたのか、ノーチラス号は声をかけてきた。

『あと、外に出たとしても君の生きられない環境だと思うよ。ここはインテガ海の真ん中だ』

まさか!では、さっき窓から見た景色はインテガ海の底だったのか。

ネッド少年は絶望したが、先ほどの部屋に戻り、別の船員を探して事情を話せば何とかなるだろう、と希望も抱いていた。

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