第二章 コンセイユ
あの奇怪な岩礁の事件から数ヶ月が経った。船の往来は減ったが、その分事件数も減り、殆どの人間は事件のことを話さなくなっている。ただ、毎日のように想像を日記に書いては読み返す者がいた。ネッド少年である。
好奇心旺盛な少年には父親がいない。海軍の船員であった父親は遠く異国の地で行方不明となったのだ。そう母親から伝えられて育った。父親の話を聞こうとするなり母親は悲しみに暮れた表情を見せるので、その日以来ネッド少年は自分から聞くことはしなかった。遺されたNの文字のペンダントと、銛、そして想像力で父親のことを思っている。
少年は家族の誰にも胸のうちを明かさず、好奇心に導かれるまま綴り続ける。毎日銛を持って出かけ、自分よりも大きなハタやタイを仕留めては家へ持ち帰り、食事を済ませると部屋へ籠って想像を膨らませるのだ。
変わらぬ日々を送っていたが、この日は違った。空に暗雲が立ち籠め、今にも雷竜が降りてきそうな、そんな日のことであった。
いつものように銛を持ち、砂浜に立つと雨が降り始めた。お気に入りの紺色帽子が突風で飛ばされ、走り追いかける。すると突然、何かに躓き地面に頭を打ち付けた。幸い地面は柔らかい砂であった為怪我はなかった。側に落ちた帽子を拾い上げ、躓いた原因を探す。足元の砂を掻き分けると、そこには少年の顔と同じくらい小さな生き物が弱々しく動いていた。
ウミガメにしては体は滑らかで、少しの光で照り輝いている。全く違う生き物であることは幼いネッド少年にも理解できた。蒼い体と朱色の瞳の生き物は、か弱く「ぴい」と鳴くと、ぐったりと伏せて動かなくなる。少年は急いで帽子の中に生き物を入れ、自宅へと駆けた。
母親は出掛けていた為、家の中は静かであった。少年は帰宅するなり、自宅の側の海から水をバケツに汲み、生き物を浮かばせる。小さく動いていた蒼き生き物は徐々に元気を取り戻し、ヒヨコが鳴くように「ぴいぴい」と声を上げた。
バケツが小さいようで、前のヒレで水面を掻くように叩く度に水飛沫がネッド少年の顔にかかり、彼の右頰の古傷をひりひりと刺激した。
「君は何処から来たんだい?」少年は生き物を指先で撫でながら尋ねた。生き物は「ぴい」と鳴くだけで、一向に答えは出ない。
何度か会話にならない会話をしているうち、ネッド少年は、この生き物を飼ってやりたいと思い始めた。なに、母親に見つからなければ大丈夫なのだ。夜に帰ってくる以外、外で働いている母親に見つかる筈がない。生き物が大きくなれば海に帰してやればいいだろう。そう思った少年は、生き物に名前をつけてやることにした。
「ノースはどうだろうか」ネッド少年が生き物に尋ねる。生き物は気に入らないのか、首を振るような仕草をすると少年の長い前髪に水をかけた。
暫く、名前を言う度に水をかけられ続けると少年は何かを思いついた。
「コンセイユはどうだろう?フランカ語で助言やアドバイスという意味だよ。僕は君に色んなことを教えてもらいたいんだ」
「ぴい!」
コンセイユは活気溢れる声で鳴いた。
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