第8話
「星は、お母さんのこと嫌い?」
「……嫌い。だってすぐ怒鳴るし、すぐ叩くし」
「……そっか」
「お父さんは、好きなの?」
「うーん、そうだな……星につらく当たるお母さんは好きじゃないけど、でも嫌いにはなれないな」
「どうして?」
「お母さんには感謝してることがたくさんあるんだ。……その中でも一番は、星を産んでくれたこと」
「……」
「お母さんのこと、好きになってほしいとは言わない。でも、恨まないでほしいんだ。星のお母さんは、お母さんだけだから」
❈ ❈ ❈
一月前までの暑さは鳴りを潜め、木の葉が紅く色づき始めた十月下旬。
文化祭や体育祭といった二学期の主な行事も無事に終わり、先日行われた中間考査の結果も発表された(ちなみに、今回もベストスリーに滑り込むというミラクルが起きてしまった)。
この日は、お互い部活が早く終わったので、久々に結花と下校することに。
道すがら、教師への不満や部活での出来事など、高校生ならではのトークに花を咲かせた。
「コース選択、どうするかもう決めた?」
「うん、文系」
「星には愚問だったね」
「そうだね」
普通科特有の話題も、また然り。
わたしたちの高校では、一年時は文理共通なのだが、二年生になると、文系コースと理系コースに二分されることになっている。
先日、〝コース選択表〟なるものが、一年生全員に配布された。どちらのコースを希望するか明記して、来週末までに提出しなければならないのだ。
数学をはじめ、理数科目が嫌いなわたしには、〝理系〟なんて選択肢は微塵も存在しない。わたしとそれらの相性の悪さは、結花だって重々承知している。
なんてったって、中学時代からの付き合いなのだから。
「伯父さんには、もう話したの?」
「少しだけね。今日家に来てくれることになってるから、そのときに選択表を見せて、詳しく話すつもり」
選択表には保護者のサインが必要となるため、今夜伯父と相談し、お願いするつもりだ。
わたしのことを、本当の娘のように可愛がってくれる伯父。進路に関しては、わたしの意見を尊重してくれているし、夏休み前に行われた三者面談にも、時間を調整してわざわざ出席してくれた。
相談すれば、きっとどんなことでも聞いてくれる。
「……」
それでも、あのことは、まだ伯父には言っていない。
……昴さんにも。
ふうっと、思いがけず漏らした溜息。短く小さなそれは、かすかな音とともに、空気に溶け込んで消えた。
「……星、何かあった?」
「え……?」
わたしのこの溜息が聞こえてしまったのだろうか。目線を下に落としたわたしの横顔を、心配そうに結花が覗き込んできた。
「なんか最近元気ないよね。……悩み事?」
「えっ、と……悩み事、っていうか……」
一瞬重なった視線を、ふいっと逸らしてしまった。
事情を説明したくないわけではない。黙っている理由は、誰にも心配をかけたくないから。
相手になるべく気を遣わせないように伝えるには、どう言葉を紡げばいいのかわからない。そんなことを考えていると、なかなか言い出せなかった。
口下手な自分が、なんとも腹立たしい。
「言いにくいなら、無理にとは言わないけどさ……」
わたしが言い淀んでいると、先に結花が口を開いてくれた。
普段は有無を言わせない勢いでグイグイと迫ってくる彼女だが、こういうときは、絶対に無理強いをしない。
彼女のそんな性格が、わたしにはとてもありがたかった。
「でも、結城先生にはちゃんと話さなきゃだめだよ?」
額に少し皺を寄せ、けれど柔らかく、結花はわたしにこう釘を刺した。「先生に隠し事なんてするんじゃないぞ!」ということだろうか。
これに加えて、「もちろんあたしも聞くからね!」と、わたしの肩に手を置き、ニカッと笑ってくれた。
「うん。ありがと、結花」
本当に、結花にはいくら感謝してもしたりない。天真爛漫な彼女に、わたしは幾度となく救われた。
彼女の優しい明かりが、どうか翳ることのないように。
心の中でそう小さく願いながら、わたしは彼女との家路を辿った。
❈
もう何度目かの溜息を吐きながら、脳内を占拠する憂鬱な事柄に頭を抱える。
うちひとつは、先月母から送られてきた手紙。内容は、「今から約一ヶ月後に開催予定の某記念式典に出席するため、東京に来ることになったので、その会場で待っている」というものだった。
そしてもうひとつは、所属する吹奏楽部がゲストとして招かれた、とある記念式典。
偶然とは恐ろしいもので、この二つの式典はイコールで結ばれる。わたしは、必然的にその会場へ赴くこととなってしまったのだ。
夕飯を終え、片づけも済ませた後。
わたしは、ダイニングテーブルに着いたまま、苦々しい顔つきで母からの手紙を睨み続けている。この状態のまま、かれこれもう二十分が経過した。
イタリアはフィレンツェのアンティークな花柄模様があしらわれた、至極上品な封筒と便箋。それに似つかわしくない、用件だけを淡々と述べた、無愛想な文面。
六月にわたしにあんなことを言い放っておいて、なんともまあ自分勝手な人だと、怒りを通り越して呆れ返る。部活のほうは致し方ない。けれど、母と会うつもりなど毛頭ない。……もう、うんざりだ。
「……でも、昴さんには言わなきゃだよね。結花にも、そう言われたし」
今日一番の長い溜息を吐き、膝の上に鎮座している雪に、後ろから抱きつく。
卒業論文を目下執筆中の彼は、以前より日数は減らしているものの、家庭教師のバイトも継続している。そのため、なかなかお互いの都合が合わず、文化祭以来、直接会えたのは一度だけだ。
今日は確かバイトは入っていないはず。なので、電話で連絡を試みることに。
左手で雪を支え、右腕をにょきっと伸ばして、テーブルの隅っこに置いてあったスマホを手元に引き寄せる。そして、テーブルに置いたまま右手の人差し指で画面を操作し、登録してある彼の番号をタップした。
出られないことも覚悟のうえでスマホを耳に当てたが、彼は三回コールで応えてくれた。
『はい』
「昴さん? 急にごめんなさい。今、大丈夫?」
『大丈夫だよ。どうした?』
こうして彼と通話をするのは実に四日ぶり。SNS上でのメッセージ交換はほぼ毎日しているが、直接話をすることはここ最近あまりない。
彼のこの温和な声を耳にするだけで、心が安らぐ。
「あの、ね……ちょっと聞いてもらいたいことがあるの」
『うん』
「少し長くなっちゃうかもだけど、いいかな?」
『いいよ』
彼の了承を得られたことに安心したわたしは、先月末からの一連の出来事や、母の素性について、彼に告白した。
「実はね……文化祭の日の夜、あの人から手紙が届いて」
『えっ……』
「あっ、ウィルソン東京って知ってる?」
『ん? ああ、もちろん。有名な高級ホテルじゃないか』
「そこで、来月の第四土曜日に記念セレモニーがあるんだけどね。あの人、そこの会長の娘で……」
『えっ!?』
母は、世界的に事業を展開している〝ウィルソン・ホテルズ〟の会長の娘で、自身もそこの重役に納まっている。
今回、その傘下にあるホテル——ウィルソン東京が開業五十周年を迎えるとのことで、来月予定されているセレモニーに、主催側の人間として出席するらしい。
「ホテルまで来るようにって言われたんだけど……先週、ウチの吹奏楽部に、ホテルからそのイベントで演奏してくれないかって依頼があって」
わたしたちは、夏に行われた吹奏楽コンクールで銀賞を受賞したということもあり、金賞受賞校とともにセレモニー終盤での演奏をホテル側より要請された。目立ちたがり屋でミーハーな顧問の先生が、部員になんの相談もなく、がぶりとこれに食いついてしまったのだ。
実際のホテルの運営は日本で行っていることや、通っている学校名(どころかわたしの現状いっさい)を告げていないことから、わたしがこんな形でその場に参加するようになっていることを、おそらく母は知らない。
あまりにも多い情報量と、その濃厚な中身に、困惑しながらも静かに聞いてくれていた彼が、ここでようやく口を開いた。
『えーっと……ちょっと整理させてくれな。お母さんは、ウィルソン・ホテルズの会長令嬢で、来月開かれるウィルソン東京の五十周年記念セレモニーに出席するため、来日すると』
「うん」
『星は、このあいだのコンクールで銀賞を取ったから、金賞を取った高校と一緒にウィルソン東京に呼ばれて、そのセレモニーで演奏すると』
「そう」
『つまりは、お母さんとウィルソン東京で一緒になるんだな』
「です」
さすが昴さん。わたしの拙い説明をここまで完璧に要約できるなんて。
わたしと母の関係をすでに知っている昴さんなら、当然わたしの意見に同意してくれると思っていたので、母と会う意思は皆無だということを彼に伝えようとした。
「でもわたし、あの人と会うつもりは——」
『会ったほうがいいよ』
「……え?」
言い終える前に彼からかけられた言葉。それは、わたしが期待していたものとは大きく違っていた。
胸の中で渦巻く真っ黒な闇。木々が
心が、淀む。
『会って、直接話したほうがいいと思う』
なんで、そんなこと言うの?
『次、いつお母さんに会えるかわからないだろ?』
昴さんだって、聞いたでしょう?
『こんな機会、滅多にあるものじゃないから』
昴さんだって、見たでしょう?
『もしかしたら、お母さんの心情に、何か変化——』
あの人の、わたしに対する言動を。
「昴さんには……」
なのに……どうしてそんなこと言えるのよ!!
「昴さんには、わかんないよっ!!」
『あっ、星! ちょっ——』
終話マークを指で押さえつけ、スマホをテーブルの上に放り投げた。驚いた雪が、慌ててわたしの膝から飛び降りる。
しばらくのあいだ何も考えられず、テーブルに突っ伏したまま微動だにすることができなかったが、やっとのことでリビングのほうへふらつきながらも移動すると、そのまま力なくソファになだれ込んだ。
「……っ……ふっ——」
クッションに顔をうずめ、わたしは声を押し殺すようにして泣いた。
彼がわたしの気持ちを理解してくれなかったことがとても悲しかったし、つらかった。だけど、それ以上に、彼に対してあんなことを言ってしまった自分に腹が立って、後悔した。
わたしの胸中は、いまだかつて味わったことのない苦しさに
❈
「おいおい、どうした? 電気も点けないで」
突如耳に入ってきた声と感じた明るさに、肩をビクッと震わせる。
うずくまっていたソファからゆっくりと体をもたげ、声のしたほうに目をやると、そこには伯父の姿があった。
約束していた時間は、午後八時。
あれから、一時間ほど経過してしまっていたようだ。
「雪も心配してんぞ」
伯父のその腕には、沈鬱な表情をした雪が抱きかかえられていた。ひっそりと玄関で項垂れていたところを、伯父が連れてきてくれたらしい。
「電気点いてるほうにいると思ってそのつもりで入ってきたら、すぐそこにいてビビったぜ」
リビングダイニングでひとつづきになっているこの部屋。どうやら、ダイニングの電気を点けっぱなしでこちらに来てしまっていたようだ。
「彼氏とケンカでもしたか?」
伯父は、ソファに座り直したわたしの足もとに雪を降ろすと、わたしの隣に腰をかけながら、あながち外れてはいない予想を投じてきた。
さきほどの昴さんとのやり取りが、脳裏に蘇る。
「ケンカ……っていうか、わたしが一方的に、彼にひどいこと言っちゃった……」
伯父と目線を交わすことなく、口ごもりながら、呟く程度に声を発した。
べつに言い合いをしたわけではない。言い合いにもならなかった。彼の言葉を最後まで聞かず、わたしは電話を切ってしまったのだから。
「ふーん、なるほどな。それで自己嫌悪中ってわけか」
わたしの様子をうかがい、不安そうに足に擦り寄ってきた雪を撫でる。この子にも、嫌な思いをさせてしまった。
「……お前のことだから、このままいけばずーっと負の堂々巡りだからな。どれ、伯父さんに話してみ?」
「った!」
軽く握った手の甲でわたしの頭をコツンと小突くと、にっと笑いながら伯父はこう言ってくれた。その厚意が、腐ったわたしの心に響く。
これ以上伯父に心配をかけたくない。今までの度重なるわたしのズレた配慮は、かえって気を遣わせる結果となってしまっていただけだ。伯父には、きちんと話すべきだった。
「……わたし、伯父さんに言ってなかったことがあるの」
呼吸を置き、気持ちを切り替える。そして、なるべく要領よく伝えられるよう意識をしながら、ゆっくりと語り始めた。
「六月に、あの人が直接家に来た」
「なっ……ほんとか!? ……大丈夫だったのか?」
「うん。昴さんのおかげで」
父の葬儀後に母から手紙が送られてきたことや、それらをすべて無視し続けたこと。それから、彼がまだ教育実習生として高校に来ていた四ヶ月前のあの夜の出来事などを、わたしはすべて伯父に打ち明けた。
「それで、先月また手紙が来たの」
伯父は、ときに相槌を打ったりしながら、真剣な面持ちで、わたしのこのたどたどしい話に耳を貸してくれていた。
「——けど、会って話したほうがいいって昴さんに言われて。それで、カッとなっちゃって、わたし……」
「そっか……」
数ヶ月前からついさっきまでのことをひととおり話し終えたわたしは、うつむいたまま口をつぐんでしまった。
正直、もう何をどうすればいいのかわからない。痛みと不安に押し潰されてしまいそうだ。
伯父も、なにやら思案に沈んでいるようで、じっと押し黙っていたのだが、わたしの頭にポンッと手を乗せると、少し重たそうにその口を開いた。
「俺は……陽子もだけど、お前の母親のことになると、やっぱどっか冷静さに欠けちまうからな。情けない話だけど、ほんとにお前のためになる判断ができる自信が、正直ねぇんだわ」
「……」
「でも、今の話聞いててもそうだけどさ。先月直接会ってみて思ったのは、彼がお前に対して言ってることやしてることは、全部お前のためになることばっかだった。だから今回だって、お前のことを一番に考えてそう言ってくれたはずだ。……そこは、ちゃんとわかってんだろ?」
「……うん」
伯父の言うとおりだ。彼は、いつだってわたしのことを一番に考えてくれている。彼は優しすぎるから、その優しさに自分は甘えすぎていた。だから、自分が思っていたことと反対のことを言われただけで裏切られた気分になり、あんな無茶苦茶な態度を取ってしまったのだ。
わたしは、彼を信じると決めたのに。
そのとき、ダイニングテーブルの上に放置したままとなっていたスマホが、ピロンッという電子音を発した。SNSのメッセージが届いたという合図だ。パタパタとそちらに向かうと、わたしにつられて雪もついてきた。
そっと手に取り、確認する。
「……昴さんからだ」
それは、彼から送られてきたものだった。
「おっ、ナイスタイミングだな。なんだって?」
「……そこの公園まで来てるって」
なんと、わざわざ家の近所まで来てくれているらしい。
とても嬉しい。……嬉しいのだが、あんなことを言ってしまった手前、行っていいものなのか、行ったとしてもどんな顔をすればいいのか、自分の中で気持ちが錯綜している。
「何やってんだ。早く行ってこい!」
まばたきもせず、画面を眺めながら固まっているわたしの背中を、伯父がトンッと押した。その反動で、足が前に二、三歩進む。
そうだ。思い悩んでいるひまなんかない。なによりもまず、わたしは彼に謝らなければならない。
「進路諸々の話なんざあとだ、あと。……お前が帰ってくるまで、待っててやるから」
「伯父さん……ありがとう!」
後押しをしてくれた伯父にお礼を言うと、わたしは雪を連れて、急いで彼の待つ公園へと向かった。
初めて昴さんと雪に出会った、あの公園へと。
❈
「昴さん!」
街灯の淡い光に青白く浮かんだ公園。そこへ近づくと、木製のベンチに座っている彼の姿を見つけた。思わず公園の外から名前を呼ぶ。
彼は、わたしに気づくとその場に立ち上がり、柔らかく微笑みかけてくれた。
そんな彼のもとへと行きたがり、わたしの腕の中で、もぞもぞと身じろぎをする雪。地面に下ろしてやると、一直線に彼目がけて駆け出し、その腕の中へと飛び込んだ。
息急き切って彼と雪のところまで向かい、呼吸が整うのを待って、顔を合わせる。
そして、伝えた。
「あんなひどいこと言って、ごめんなさい……」
言葉の重みや、その威力というものは、幼いころから十分にわきまえているつもりだった。いったん吐き出してしまったものは、二度と呑み込むことなど……取り消すことなどできないのだと。だから、人一倍心がけていたはずだったのに……それなのに、一番大切な人に、わたしはなんてことを言ってしまったんだ。
悔やんでも悔やみきれない。笑って見せてはくれたけれど、わたしは彼に愛想を尽かされてしまったかもしれない。
怖い……。
でも、彼からのどんな言葉も、わたしは全部受け入れるべきだ。それが、どれほど厳しい言葉でも。
そう心に決め、唇をキュッと結び、両手のこぶしをグッと握り締めた。
「いや、気にしてないよ。……俺のほうこそ、ごめんな。言葉足らずだった」
ところが、彼はわたしを非難するどころか、わたしのこの謝罪に首を横に振ると、自分にも非があるのだと頭を下げた。
そんなふうに言われてしまえば、それこそどうすればいいのかわからない。
昴さんは全然悪くない——そう、口にしようとしたときだった。
「……っていうか、言う前に切られたんだけどな。ちょっとヘコんだ」
「!!」
彼から追い討ちをかけられた。
「ごっ、ごめんなさ——」
「冗談だよ」
「!?」
ガンッと、鈍器で殴られたような衝撃を受け、彼に再び詫びるやいなや、ふっと笑って茶化されてしまった。
地味に大きなダメージに悶えていると、一転、彼は真摯な表情をわたしに向けた。
「ほんと、ごめん。お母さんに対する星の感情は、俺なんかが思ってるよりずっと複雑なのに……無責任だった」
「そんなことっ……!」
「ううん、もっと言葉を選ぶべきだった。星が今まで受けた傷や痛みは、絶対に忘れることなんてできないよな。あの夜、言われたことだって……」
「あ……」
確かに、昴さんの言うとおり、母からの仕打ちを忘れることはできない。
母は、何かを思い出すと、
あの夜言われたことも、もちろん覚えている。
「思い返したくもないくらい忌々しい過去だってことも、お母さんに会いたくないっていう気持ちも理解できる。当然だ。……でも、俺ずっと引っかかってることがあってさ。なんで星をしきりにアメリカに連れて帰りたがってるのかって。……星、言ってたよな? 『いまさらだ』って。ほんと、いまさらなんだよ。たぶん今度も、その話をしようとしてるんだろうな」
「……」
「どうして今なのか、何を考えているのか、一度顔見てちゃんと話したほうがいいんじゃないかな? それから、星の意見をきちんと伝えればいい。じゃないと、きっと同じことの繰り返しだと思う」
わたしは今までいったい彼の何を見てきたんだ。彼が自分の気持ちを理解してくれない? とんだ大間違いだ。彼は、わたしの気持ちを最大限考慮してくれているじゃないか。そのうえで、母との関係まで見いだそうとしてくれている。
わたしは、本当に大馬鹿だ。
「ひとりが不安なら、俺も一緒に行くから」
「昴さん……」
どうしてこの人は、わたしが望んでいる言葉を、こんなにも与えてくれるんだろう。
本当は気づいていた。母との関係を、このまま有耶無耶にしていてはいけないということを。
彼の想いが伝わり、身体中が、心の奥が、幸せで震えるのを感じる。
「けど、俺は星のお母さんに、すごく感謝してる」
「え……?」
ここで、彼は思いがけないことを口にした。
なぜ彼が母に感謝をするのか……疑問符しか浮かばなかったが、それは、彼のこの笑顔と言葉によって、瞬時にかき消された。
「だって、星を産んでくれた」
「……!!」
随分前に、わたしはこの言葉を聞いていたことを思い出す。確か、母と離婚した直後の父の言葉だ。
「だから、この場所で星と出会えた。これ以上のことないよ」
「……っ……昴さんっ!!」
「わっ!!」
ここに来て感情が一気に高まったわたしは、雪を抱えたままの彼に抱きついた。とっさのことだったけれど、彼はしっかりとわたしを支えてくれた。
父に愛情を注いでもらっている一方で、何度か自問したことがある。わたしは、生まれてきて本当に良かったのだろうかと。
これを口に出せば、父につらい思いをさせてしまうことになるとわかっていた。だから、心の中にそっとしまっておいたのだが、やはり拭い去ることはできなかった。
けれど、あの夜母に否定されたことを、彼は肯定してくれた。
もう揺らいだりなんかしない。わたしは、どんなことがあっても昴さんを信じる。
過去に向き合い、今度こそ、前に進み出すんだ。
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