第6話
「ん、元気っ!」
耳から外した聴診器を首にかけ、にかっと笑って雪の背中をポンッと叩く。
雪に〝体調良好〟との太鼓判を押してくれたこの男性。
そろそろ五十になるという伯父は、うなじが隠れるほどまで伸ばした髪をひとつに束ね、紺のデニムジーンズに胸元の開いた黒のカットソーといった、まるで大学生のような格好をしている。
二重瞼で切れ長の目に、凛々しい顔立ち。顔こそ父と似ているけれど、ゆったりとしていた父とは正反対に、快活で言葉遣いも少々荒い。
世間では、二学期が始まったばかりの九月。
暦の上では夏は終わっているにもかかわらず、あいかわらず厳しい残暑が続いている。
この日、伯父が遠路はるばる家までやってきてくれたのは、雪の健診のため。獣医師である伯父は、動物病院を営んでいるかたわら、こうして時間を見つけては、雪のことを診てくれているのだ。
「ありがとう、伯父さん。わざわざ家まで来てくれて」
雪に出会うまで自宅で動物と暮らしたことがなかったわたしに、当初より、伯父は専門家ならではのわかりやすいアドバイスを授けてくれた。おかげで、これまで病気ひとつすることなく、雪はすこぶる元気だ。
「気にすんなって。お前の顔も見たかったし、
リビングのソファに座って膝に雪を抱いたまま、伯父は自身の黒いダレスバッグをガサゴソと漁った。そうして中から取り出したのは、可愛らしくラッピングされた小さな長方形の箱。
「え? もしかして、もう作ってくれたの?」
「ああ。二日前に仕上がったんだと」
「……開けてもいい?」
「もちろん」
ラッピングを丁寧に剥がし、そっと箱の蓋を開ける。
「わーっ、可愛い!」
その中に入っていたのは、チェーンの細いホワイトゴールドペンダント。そのトップには、中央にサファイアの埋め込まれた五光星があしらわれていた。随所に細かく唐草調の模様が刻まれていて、全体的にアンティークのような上品な雰囲気を醸し出している。
……さすが伯母さん。わたしのツボを的確に押さえている。
伯母の陽子は、十年ほど前に大手ブランド会社から独立した、カリスマジュエリーデザイナーだ。自身で会社を立ち上げて以来、個人向けの小規模な案件から、企業用の大規模な案件まで、さまざまなアクセサリーを幅広く手がけている。
海外からのオーダーも多数あるようで、連日忙しそうに、けれど楽しそうに働いている。
「まだ作り始めてから一ヶ月しか経ってないのに……」
実は、伯母がこのペンダントの制作に取りかかったのは先月の中旬。父の初盆を執り行った際に、少し遅めの高校入学祝として作ることを申し出てくれた。
伯母の仕事の需要の大きさからして、こんなに早くでき上がるなんて思ってもみなかった……というか、異常だ。
「ひょっとして、優先してくれたの?」
こうとしか考えられない。
「そんな顔すんなって。『可愛い姪っ子のためだから』っつってたぞ。ほれ、こっち来てみ?」
ちょいちょいと、手招きした伯父のもとへ指示通りに近づく。すると、伯父は雪を膝から降ろすと、立ち上がり、わたしの手の中からひょいとペンダントを取って、それを首元につけてくれた。
「おっ、可愛いじゃん! さっすが星。なんでも似合うな」
頭をグシャグシャと撫で回しながら、こう絶賛してくれた。なんだか照れくさい。
伯母の作品なので、とても高価な物だということはわかっている。学生なんかでは、とうてい手の出せない代物だということも。
先月申し出てくれたときに断ろうかとも思ったのだが、せっかくの好意を無駄にしたくはないと思ったし、なにより彼と約束した。
ちゃんと人に甘える、と。
「あっ、陽子にも見せてやろうぜ」
そう言って壁際にわたしを押し寄せると、伯父は自身のスマホでわたしの写真を撮り、その場で伯母に送信した。すると、伯母から即座に「ありがとう、星ちゃん! おめでとう、私!」といった、なんともハイテンションな返事が送られてきた。
つくづく思う。本当に、わたしは幸せ者だ。
「やっぱ女の子はいいな。ウチのお坊ちゃんたちは愛想がねぇのなんのって……」
再度ソファに腰掛け、緑茶をすすりながら、なにやらしみじみとこう語った伯父。なので、わたしも向かい側に座り、話題にのぼった二人のお坊ちゃんの近況について尋ねてみた。
「
「ああ。大学はまだ夏休みだけど、サークルとかバイトとかで忙しくしてるみたいだな。ほとんど家にいやしねぇ」
伯父夫婦には、千尋と真尋という、二人の息子がいる。一卵性双生児の彼らは、今年二十一歳を迎える大学三年生だ。
わたしが二人と初めて会ったのは、アメリカから帰国した直後の夏休み。
それまで〝いとこ〟というものに馴染みのなかったわたしは、突然できた身近な存在に、少し戸惑ってしまった。どう接すればいいかわからず、父の後ろに隠れては、まるで人慣れしていない動物のように、様子をうかがっていたのである。
そんな可愛げのないわたしの手を、二人は優しく引いてくれた。けっして日本語が上手だったとは言えないが、臆することなく話をしてくれた。
二人が高校、大学と進学するにつれ、会える機会は必然的に減ってしまったけれど、今も変わらず、わたしのことを気にかけてくれている。
「そうなんだ。……彼女ができたのかな?」
経験したことがないので想像することしかできないが、大学生ともなれば、付き合いもいろいろとあるのだろう。
それに、浮いた話のひとつやふたつあったって、まったくもって不思議ではないはずだ。
「いやー、どうだろうな。千尋のほうは可能性あるかもしんねぇけど、真尋はないだろ。あいつ素っ気ないし、マジで全然気が利かねぇからな」
「そんなことないよ。真尋兄、わたしには優しくしてくれるもん。それに、二人ともかっこいいし」
中性的な顔立ちをしている天宮兄弟。
昔はよく女の子に間違われたりしたらしく、かく言うわたしも、最初二人を見たときはお姉ちゃんだと思ったほどだ。けれど、その声を聞いてお兄ちゃんだということが判明し、幼心に衝撃を受けたことを今でもよく覚えている。
両親と比べると口数は少なく、弟の真尋兄のほうが兄の千尋兄よりも若干社交性に欠けてはいるものの、どちらもわたしのことを、本当の妹のように可愛がってくれているのだ。
と、思ったことを思ったとおり口にしただけなのだが、わたしが投げた球は、伯父によって見事なまでに予想外の方向へと打ち返されてしまった。
「そう言うお前はどうなんだ? 最近雰囲気変わって、ますます可愛くなったし……もしかして、彼氏でもできたか?」
打ち返された球を受け止めることができず、思わず固まってしまった。
伯父のカラカラという笑い声が、室内に響く。
「……」
「……」
「……」
「……マジか」
否定も肯定もせず、黙り込んでしまったわたしのこの態度に、伯父は図星だと勘づいたようだ。
「あー……うん。まあな。お前ももう十六だしな。……で、相手は?」
「……年上の人。今、大学四年生」
「えっ!?」
「で、でも……ちゃんとしてる人なんだよ! すごくしっかりしてるし、賢いし、優しいし……!」
「学部は?」
「法学部。でも、高校の先生になるって」
「そう、か……。あ、いや、反対してるわけじゃねぇんだ。少し驚いただけで」
「……ごめんなさい」
「こらこら、謝る必要なんかねぇだろ。べつに悪いことしてるわけじゃねぇんだから」
付き合っていることや、そのことを黙っていたことに対して、どこか気が咎めていた部分があったのだろうか。とっさに謝罪をしてしまったが、伯父は一言もダメだとは言わなかった。
「……俺は、相手に関して心配はまったくしてない。石橋叩きすぎてぶっ壊すぐらい慎重なお前が選んだ人なんだから、それだけ信頼できる人なんだろ」
それどころか、こんなふうに言われてしまった。
「……石橋? ……壊す?」
「そうそう。お前の人見知りは半端じゃねぇからな。ある意味、雪よりネコっぽいぞ」
「……ネコ?」
伯父の口から次々と語られるワードに混乱する。
〝慎重〟なことも〝人見知り〟であることも、自分自身十分に認識しているつもりだ。……が、いざ人から、それも例えを交えながら説明されると、正直、既存の自意識の上書きに困ってしまう。
「とにかく、その彼との関係を大切にしなさいってこと!」
グルグルと思い悩んでいると、端的にパシッとこう言い切ってくれた。
伯父の言わんとすることを百パーセント理解することはできなかったが、彼との交際を認めてくれたということだけはよくわかったし、それがなにより嬉しかった。
「ありがとう、伯父さん」
「おう! 今度、ぜひ会わせてくれな。……一応確認しときたいこともあるし。お前の保護者として」
「?」
最後の一言に込められた本心が今日一謎めいていたが、わたしがそれを確認する間もなく、伯父はこのあとすぐに帰ってしまった。
❈ ❈ ❈
土曜日の午後。駅の構内。
約束の時間よりも五分ほど早く到着したわたしは、雪を入れたハードタイプのキャリーバッグを抱え、彼が現れるのを待った。
外はじりじりと太陽が照りつけ、行き交う人たちは、みな真夏の格好をしている。
わたしもこの日は、フレンチスリーブの青いチュニックワンピースにレギンスといった涼しい服装を選び、髪も二つに分けて緩くふんわりと結ってきた。
胸元では、伯母からもらった例のペンダントが、繊細な輝きを放っている。
「星!」
「昴さん。お疲れ様」
わたしがここへ来てから十分ほど経ったころに、彼——昴さんがやってきた。
紺色のVネックのインナーと、白地に青のボーダーパーカー。そして、ダークカラーのデニムジーンズ。少したくった袖が、かっこよさにさらに磨きをかけている。
私服の彼と、こうして会うのは六回目。身長があるので、この人は何を着ても本当によく似合う。
「雪も、元気そうだな」
「ニャー」
格子の間から指を入れて喉元を撫でると、昴さんは雪のこのキャリーバッグを携行することを申し出てくれた。
「ごめんな、遅くなって。ゼミの集まりで大学行ってて」
「ううん、気にしないで。五分だけじゃない。……それより、わたしのほうこそごめんね。伯父さんが急にあんなこと言い出しちゃって」
実は、これからわたしたちが向かうのは伯父の家。
あれからすぐに「彼氏と一緒に夕飯食うぞ!」との連絡が入り、急遽昴さんに都合をつけてもらったのだ。
七月と八月は、教員採用試験のために東奔西走していたという彼。それがひと段落し、まだ夏休みが残っているとはいえども、大学に行ったり、家庭教師のバイトをしたりと、何かとタスクは満載のようだ。
中でも一番手強そうなのは、卒業論文の準備。
卒業論文が、どれほどハードで、どれほど重要なものか……なんとなく知識はあるし、心得ている。
伯父の突然の要請に快く応じてはくれたものの、無理をさせてしまっているのではないかと、わたしは懸念していた。
「大丈夫だよ。それに、伯父さんにとって、星は大事な一人娘も同然だろ? 挨拶しとかなきゃなって、思ってたんだ」
……なんてできた人。
付き合い始めて二ヶ月と少し。〝星〟と呼ばれることにも〝昴さん〟と呼ぶことにも抵抗はなくなってきたが、彼と話し、彼の考えを聞くたびに、つくづく歳の差を実感させられる。
やっぱり、彼にはなかなか近づけない……。
ホームに移動すると、お目当ての車両がちょうど入ってきたところだった。それに乗り込み、並んでシートに座る。
昴さんの膝上の雪を見遣れば、体の向きを変えたり、伏せてみたりと、なんだか落ち着かない様子だった。
「雪、緊張してるみたい」
「そうだな。初めてなんだろ? こんなふうに出かけるの」
「うん。伯父さんの車は何回か乗ったことあるけど」
「……俺も緊張する」
自身の膝上の雪よろしく、溜息を吐き、項垂れてしまった昴さん。いつもなんでも器用にこなしてしまう彼にしては珍しい。
「心配ないよ。伯父さん結構リベラルな人だから、話しやすいと思う。……ちょっと強引なところあるけど。伯母さんも面白いし、すごくいい人なんだよ。……ちょっと変わってるけど」
彼の気持ちはわかるので(逆の立場なら絶対食事も喉を通らない)、すかさずフォローをいれる。それでも悩ましげにしていた彼には申し訳ないが、わたしはまったくといっていいほど案じてはいなかった。彼ならきっと、伯父や伯母に気に入ってもらえるという確信があったから。
電車で揺られること約一時間。
時刻は、午後四時を回っていた。
最寄りの駅へと着いたわたしたちは、徒歩で伯父の家を目指した。
すると、道中、昴さんの口から意外な事実が語られた。
「星の伯父さんの家、このあたりなんだな」
「え? うん。どうしたの?」
「俺の実家、まあまあ近いかも」
「えっ!?」
彼がこちらの出身だということは聞いていた。でも、まさかこの近辺だったとは……。世間は、なかなかに狭いらしい。
閑静な住宅街に、さきほどからかすかに聞こえる犬や猫の鳴き声。駅から十分ほど歩くと、それらがしだいに大きくなってきた。
あまみや動物病院——わたしがここを訪ねるのは、実に半年ぶりのことだ。
自宅と病院が同じ敷地内に隣接して建っており、二つの建物は一階の渡り廊下で繋がっている。
草花で覆われたアイアン製のアーチゲートをくぐり、青々と生い茂る芝生を踏みしめながら、自宅のほうへと向かう。
築十年。三角屋根から煙突が生えた、6LDKのシックな北欧住宅だ。
玄関のインターホンを鳴らすと、「はーい」という返事が聞こえたあと、両開きの木製ドアがガチャリと開けられた。
「いらっしゃい。よく来てくれたわね」
出迎えてくれたのは、伯母の陽子。
センター分けした前髪を、後ろ髪と同じくらいまで伸ばしたボブヘアー。透明感のあるナチュラルメイク。
とても四十代なかばには見えないほど、伯母はとても可愛らしい。
「初めまして、結城昴です。今日はお招きくださり、どうもありが——」
「イケメン!! ちょっと星ちゃん!! すんごいイケメンっ!!!!」
が、やはり思ったとおりの展開になった。
昴さんを見て興奮した伯母が、その大きな瞳を自身のジュエリーに負けず劣らずキラキラとさせながら、ものすごい勢いでわたしに迫ってきたのだ。
常日頃より、綺麗なものを愛でるのが好きだと公言している伯母。どうやら、彼はその〝綺麗なもの〟にどんぴしゃだったようだ。
当然のことながら、昴さんはこの事態に呆然としてしまっている。
「こら、陽子。落ち着けって。ビビってんじゃねぇか」
伯母の気迫に押され、言葉に詰まってしまった彼に、助け舟が辿りついた。
仕事をしていたのだろう。白衣を着たままの伯父が、病院のほうから庭を通り、こちらへとやってきた。
「おー、噂通りデカいな。星の伯父の天宮恒だ。よろしくな」
「あ……結城昴です。こちらこそ、よろしくお願いします」
ここへ来る電車の中では緊張していると言っていた彼だが、伯母の言動とそのテンションに度肝を抜かれたせいで、伯父とすんなり握手を交わせてしまった。
結果オーライだ。
「ごめんなさいね。想像してた以上にかっこよかったから、つい……。伯母の陽子です」
無事に伯母とも挨拶が交わせたところで、わたしたちは家の中へお邪魔することに。
伯父の家には、さまざまな生き物たちが暮らしている。さながら小さな動物園だ。
玄関でまず出迎えてくれたのは、大きな水槽を優雅に泳ぐ熱帯魚たち。その隣には、メダカの水槽が並んでいる。……たしか、和室には土佐錦もいたはず。近くの部屋からは、文鳥のさえずりも聞こえてくる。
そして、リビングでは、二匹の小型犬と一匹の中型犬、それから三匹のネコが、銘々にくつろいでいた。
「伯父さん、また増えたね」
「おうよ」
半年前と比べると、ネコが一匹増えている。
「お前が雪飼い始めたのと同じくらいの時期にな。出先から連れて帰ってきたんだ」
伯父の家にいる犬猫たちは、すべて捨てられた子たちばかりだ。
獣医師として、人として、見過ごすことはできないのだろう。こういう子たちを見つけては、持っているネットワークを駆使し、伯父は献身的に里親探しをしている。
しかし、どうしても行き先の見つからない場合は、こうして自分の家に迎えているのだ。
そんな伯父のことを、わたしは心の底から尊敬している。
「雪ちゃんも出してあげたら?」
伯母に促され、昴さんが、雪をバッグの外へと出してやった。雪に興味を示した何匹かが、ゆっくりと近づいてくる。けれど、このような状況に慣れていない雪は、すぐさま彼の後ろにさっと隠れてしまった。
「ほら、雪。大丈夫だって」
自分の後ろで動こうとしない雪に、昴さんは優しく声をかけてやる。すると、オロオロしながらも、雪はトテトテと前に出てきた。
それからは、あっという間だった。
雪が六匹と馴染むのも、昴さんが六匹に懐かれるのも。
「すげぇな。あいつらがあんなふうにじゃれつくなんて」
いつの間にやら白衣を脱ぎ、着替えを済ませた伯父が、腕を組みながらこう感心していた。
目線を合わせるため、床に座り込んだ昴さんに、伯父の家の子たちが一斉に飛びかかったのだ。見事なまでに、揉みくちゃにされてしまっている。
この子たちは、その境遇ゆえ、警戒心が非常に強い。伯父が彼に感心したのは、それを考慮してのことだろう。
「昴さん、そういうとこあるから」
安心感。安定感。信頼感。
彼の纏っているオーラには、人や動物を引き寄せる、何か特別な力が込められている気がする。上手く説明できないけれど。
「なるほどな。お前もすぐに懐いたわけだ」
「え?」
「なんでもねぇよ。 んじゃ、俺は火でも
「あっ、俺手伝います」
「おっ、悪いな。じゃあ、庭まで来てくれるか?」
ポカンとしているわたしをよそに、伯父は昴さんと一緒に外へ出ていってしまった。
「それじゃあ、私たちも準備しましょうか」
「あ、うん」
この日は、伯父の提案でバーベキューをすることになった。
アウトドアを好んでいる伯父は、庭の一角をバーベキュー用に整備してある。そのため、材料さえ用意すれば、すぐに楽しめるようになっているのだ。
わたしは伯母と二人でキッチンへと赴き、食材の支度に取りかかった。
「……そうだ。伯母さん、このペンダントありがとう。お礼言うの遅くなってごめんなさい」
胸元のペンダントを見せながら、やっと口にすることができた謝意。伯母の顔を見たら一番に伝えようと思っていたのだが、いろいろあってタイミングを逃してしまい、今になってしまった。
「いいえ。よく似合ってるわよ、星ちゃん。やっぱりその色にして正解だったわね」
何の素材を使うか、何の石をはめ込むか、さまざまな試行錯誤を繰り返して、このペンダントを作ってくれたらしい。青色が一番好きなわたしは、一目でこれを気に入ってしまった。
「昴さんも、そう言ってくれた」
つい先日、このペンダントを付けて彼と食事に行ったのだが、そのときによく似合っていると大絶賛してくれた。以来、学校へ行く以外は、出かける際に必ず身に付けるようにしている。
「彼、とっても素敵な人ね」
「……うん」
伯母のほうを見ることなく返事をし、皮を剥いてくれた野菜を、焼きやすい大きさにカットしていく。
「ほんと、わたしなんかにはもったいないくらい」
うつむき、ぽつりと落とした音吐。まな板に当たる包丁の音が、なんだか虚しく響いた。
「そんなことないわよ。星ちゃんがすごくいい子だから、素敵な彼に出会えたのよ」
「……え?」
「恒さんも言ってたわよ? 『星が選んだ人なら間違いない』って。だから、もっと自分に自信持って」
伯母の言葉が、胸奥にじんわりと浸透していく。
不安だった。
彼のことは大好きだ。ずっと一緒にいたいと願っている。
けれど、隣にいるのが自分なんかで本当にいいのだろうかと、彼の魅力を知るたびに思ってしまう。
こんなことを考えてしまうのは、一緒にいてくれる彼に対して失礼だとわかっている。こんなことを考えてしまう自分も大嫌いだ。
でも今、伯母に励ましてもらえたことで、幾分か気持ちが軽くなった。「ありがとう」と小さく伝えれば、伯母は柔和な笑みで応えてくれた。
一時間ほどで準備は完了し、わたしたちは、双子の兄弟がサークルから帰宅するのを庭で待つことに。
空には、紫雲が棚引き、一番星が煌々と輝いていた。
❈
「え」
「先輩?」
この家の双子が帰ってきた。帰ってきたのだが、ここにいる六人が一様に目を丸くし、驚いている。
昴さんを見て最初に一文字発したのが千尋兄。それに続いて喋ったのが真尋兄だ。そして、真尋兄のこの言葉に、わたしは耳を疑った。
彼は確かに言った。〝先輩〟と。
「千尋に真尋?」
……世間は、たいがいに狭いらしい。
「なんだ、お前ら。知り合いか?」
「知り合いも何も……」
「高校のとき、バスケ部で副キャプやってた先輩なんだけど」
なんと昴さん。二人と同じ高校でバスケットボール部に所属していた、ひとつ上の先輩だったのだ。
二人曰く、彼は強豪に名を連ねる凄腕のスモールフォワードで、三年のときには全国大会にも出場し、ベストエイトにまで上った経験があるとのこと。百八十八センチの長身から繰り広げられるダンクシュートで、たびたび会場を沸かせていたのだそうだ。
千尋兄も真尋兄も、それぞれポイントガードとシューティングガードとして、一年のときから公式試合に出場していたらしい。ちなみに、昴さんたちが引退したあとのキャプテンは、千尋兄だ。
アメリカにいたころから、わりと身近なスポーツとして、バスケには慣れ親しんでいた。
「まさか、千尋と真尋が星の従兄だったなんてな」
全員揃ったところで開始となったバーベキュー大会。三人の青年たちが焼く係りを買って出てくれたので、わたしは座ってただひたすらもぐもぐと口を動かしていた。
千尋兄も真尋兄も身長が百八十センチ近くあるため、わたしからすれば十分大きいのだが、昴さんと並んでいると、どうしても小さく見えてしまう。十センチの差は、やはり大きい。
「いやいや、それはこっちの台詞ですよ」
「星の彼氏が結城先輩だったなんて、なんのドッキリですか」
「今日、星の彼氏がウチに来るって話してたら、妙にちょっかい出す気満々だったよね、真尋」
「なにをおっしゃってるんでしょうねおにいさまは」
先輩と久々の再会を果たしたということもあってか、兄弟の口数はいつもよりかなり多かった。それに、どこか嬉しそうだ。
話題がコロコロと変わるので、聞いているこちらも楽しいし、ほっこりしてしまう。
「真尋が髪染めてるから、今だとどっちがどっちかわかりやすいな」
「そんなこと言って先輩、高校のときは俺も真尋も髪の毛黒かったのに、一回も間違えなかったじゃないですか」
「そうですよ。どうしてですか?」
大学に入った今でこそ、真尋兄が髪をアッシュに染めているので一目で見分けがつくが、高校までは何もかもが同じだった二人。わたしも何度か間違えたことがある。
だから、この質問は、純粋にわたしも気になった。
「え? あー……」
すると、昴さんは眉をしかめ、視線を左上に向けながら考え込んでしまった。
そうしてしばらく唸った後。彼は、やっとその答えを口にした。
「……真尋、全然覇気がなかったよな。普段も練習中も試合中も」
昴さんのこの回答に、飲んでいた烏龍茶を吹き出しそうになるのをどうにかこらえる。伯母は
言われた当の本人は、自覚はしていたらしいのだが、涼しい顔をして肉を頬張っている。
「あんた、そんなので部活できてたの?」
訝しそうな目つきで、伯母が真尋兄にこう問いかける。息子の部活に臨む姿勢に関し、もう過去のことではあるが、昴さんに申し訳ないといった様子で頭を下げていた。もちろん、そのことについて、彼はまったく気にしてはいない。
「やる気は見せてたよね、一応。キャプテンが怖かったから」
「あの人、鬼のような人だったからね。俺ずっと思ってたもん。『なんで結城先輩がキャプテンじゃないんだろう』って」
「思ってるだけじゃなかったよね、真尋は。しょっちゅう口に出してキャプテンに絞られては、結城先輩に助けてもらってたじゃん」
「俺、先輩のこと愛してたから。……忘れられない。部活帰りに食べさせてもらった、あのアイスの味」
さすがに最後のこの一言には、真尋兄の後頭部に伯母の平手が飛んだ。
わたしたちは、二時間ほどバーベキューを堪能すると、締めに昴さんが持ってきてくれたマスカットを美味しくいただき、この日はお開きとした。
片づけ後。伯父夫婦にダイニングまで連行された昴さんは、なにやらいろいろと押しつけられていた。全力で首を横に振っている彼の態度からして、あれはおそらくお土産だ。
その様子を横目に、リビングで雪たちと戯れていると、千尋兄と真尋兄がわたしのもとへとやってきた。
「今日は結構食べてたね、星」
「いやいや、千尋がのべつ幕なく星のお皿に肉盛ってたからね」
「真尋もね」
父が体調を崩してから、もともと細かった食がさらに細くなり、雪に出会う前は、下校時に病院で点滴を打ってから帰宅するという時期があった。
当時のわたしを知っているからこその、二人の言葉。
「うん、お腹いっぱい。みんなで食べたから、すごく美味しかった。ありがとう」
わたしがお礼を言うと、二人は同じ顔でふわりと微笑んでくれた。
「でもほんと驚いたね」
「まさか星の付き合ってる人が結城先輩だったなんてね」
同じ声で同じように、改めてこう言った千尋兄と真尋兄。わたしも、彼と二人にこんな接点があったなんて、思いもしなかった。
「三日くらい前かな。父さんが、『清い交際がどうのこうの、確認しないとなんとかかんとか』ってブツブツ言ってるの聞いたけど、結城先輩なら何も心配要らないから」
「そうそう。あんなに心の広い器の大きい人、滅多にいないよ」
「……真尋が言うと、妙に説得力あるよね」
「でしょ」
けれど、二人が昴さんのことを先輩として心から敬愛していることが伝わってきたので、伯父にも言われたとおり、彼との関係をもっともっと大切にしていきたいと、強く思った。
「星、そろそろ帰れるか?」
「あ、はーい」
ようやく昴さんが伯父夫婦から解放された。案の定、手にはお菓子や雑貨といったお土産が握らされている。どうやら二人に負けたみたいだ。
午後九時。
こうして、わたしと昴さんは、伯父の家をお暇することに。
「実家がこっちなんだったら、帰省ついでにいつでも寄ってくれ。……ウチの姪っ子のこと、よろしく頼むな」
「はい。ありがとうございます」
わたしたちを見送るため、伯父一家は門のところまで出てきてくれた。わたしのことを彼に頼んだ伯父の表情は、心なしか晴れ晴れとしていた。
四人に大きく手を振って、もと来た道を二人並んで歩く。そよそよと吹き抜ける夜風が、爽やかでとても気持ちがいい。
初めて大所帯に飛び込み、遊び疲れたようで、雪は昴さんに抱かれたバッグの中で丸くなっていた。
外の世界を知らず、普段一緒にいるのもわたしだけ。だから、今日のこの体験は、雪にとって貴重なものとなったに違いない。
「いい家族だな」
「うん。今日、昴さんに会ってもらえてほんとに良かった」
「千尋と真尋の家だとは思わなかったけど」
「それ、みんな思ってるよ」
考えれば考えるほど可笑しくなって、二人で声を出して笑った。
離れて暮らしているにもかかわらず、四人には助けられてばかりだ。どれだけ感謝しても、したりない。
「……昴さん?」
不意に、彼がわたしの手を握ってきた。少し戸惑いながらも握り返し、それに応える。
少し間を置いた後。
彼は、静かにこう言ってくれた。
「……今度俺が実家に帰るときは、星も一緒に行こう」
「えっ!? でも……」
「俺の家族にもぜひ会ってもらいたいんだ。星に」
手のひらから伝わる温もりで、体の内側まで満たされていくのを感じる。
ほかの誰でもない、わたしに——そう言ってくれているみたいで、ちょっぴり目元が潤んだ。
一度だけ短く鼻をすすり、小さく頷く。
「昴さん」
「ん?」
「ありがとう」
「こちらこそ」
頭上には、満天の星空が、まるで歌っているかのように広がっていた。
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