触れられない虚しさ


 家の中を僕と共に徘徊した夢籠は、

 居間の床に座っていた

 女性の腹部の辺りに手を翳した。


 夢籠の手元からぼぉっと

 オレンジ色の光が女性の腹部に放たれる。


 詳細は分からないが、夢籠は何か察したようだ。

 隣から覗ける夢籠の表情は感慨深げで、

 どことなく穏やかに見えた。



 穏やかな表情をしている夢籠を見ている限り、

 答えはもう決まっているけれど。

 僕は、犬のようにじっと待って、夢籠の報せを待つ。



 それからいくらかして、

 夢籠が手を翳しているところから、発光しなくなった。


 そうすると夢籠はその手を下ろし、

 僕の方に視線を戻したのだった。



「夢飼い、確認できたぞ」



 あえて、さっさと答えを口にしない夢籠は

 嫌がらせをしているのか。


 しかし、フレンドリーに

 なってきたのだと思い込むことにした。



「ところでどうだったの?」



 あまり長文すぎずくどすぎない問いで、

 夢籠にはこれくらいが最適だろう。


 その証拠に、夢籠もノリノリで返答をくれた。



「ああ。合ってたよ、由野縁の母親で間違いない。

 それに、本題の方も大丈夫だったぞ。


 微細だが、由野縁は母親の胎内で存在している。

 生きている、と言うとややこしいが、

 確かに命はあるという状態だ

 ――まあお前には、

 これぐらいでも十分だろうけどな」



 最後の台詞を言いながら、微笑んでいた。


 夢籠の言うとおりだ。

 十分で、生きてくれていると

 知るだけで胸が高鳴ってしまう。


 同じような理由で失われたはずの

 縁の生がここにあるのだと思うだけで、

 感激のあまり、しゃくり泣いていた。



「うぁ……ぁ、良かった」



 夢籠と手を繋いでいるために、

 片方の手は塞がったままだ。


 顔を覆い隠したくても片手だけでは隠しきれない、

 声も、涙も。



「まあ、泣くなとは、言わないが、

 それより先にやるべきことがあるだろ」



 そう言って夢籠は縁の母親の方を向き、

 顎で行動を促してくる。



「うん、そうだね。

 縁にこれをあげなくちゃいけないや」



 僕らは縁の母親にそっと近づき、正面に回り込む。


 それからペンダントの蓋を開け、

 縁専用に作り替えた寿命を取り出す。



 その光は無知で無垢な子どものように、

 どこまでも透徹な白色だった。

 光をぷかぷかと手の平の上で浮かべて、

 その扱い方にあたふたしていると、

 夢籠が横から助け舟を出してくれた。



「それを母親の腹の前で持ってろ。

 俺が由野縁がいる場所を照らしてやるから、

 それを目印にしてそれをそっと押し込むんだ。


 大丈夫だ、幽体のお前が触れようとしても、

 母親の身体には触れられない。

 安心して、寿命を渡せ」



 夢籠は空いた片方の手で僕の背中を勢いよく叩いた。

 幽体だけど、手を繋いでいる

 僕ら同士は触れることができる。

 つまり、結構痛かった。


 じんじんと痛む背中に目を遣っているうちに、

 夢籠は縁のいる場所を照らしてくれていた。



 オレンジ色の光が優しく僕の道を照らす。

 道標のような、星のような。


 ここ(「縁」の母胎)になら、

 これ(変換した寿命)を預けられそうだ。



 僕は一度、手の平に浮かべた光の球

(寿命を凝縮したもの)を自分の胸元に引き寄せた。

 そうして、無い温もりで光球を温める。



 直接触れられないことは分かっている。

 だからせめて、これくらいは許してほしいな。


 真っ白なヴェールに包まれたように

 純心無垢なその光を口元に引き寄せて、

 軽く口づけた。



「ちゅっ」



 形も曖昧な光に、キスをする。

 これほど虚しくて、滑稽なものはないだろう。


 しかしこうでもしないと僕の気持ちが持たない。

 確認するように、僕は隣にいる夢籠へ視線を向けた。



「いいよ、それぐらいなら構わないから」



 その後に、「さっさと済ませろ」

 そう言われそうな気がした。

 だから僕は頷いて縁の母胎の前に手を突き出し、

 その光をそっと押し込んだ。


 手元から離れるときの、

 ひゅるっとすり抜けていく感触が妙に切なかった。



「離れちゃった……

 ねぇ、夢籠、これでいいの?」



 くるりと振り返って、夢籠に確認をしてみる。



「ああ。よくやったな、夢飼い

 ……ほら、見てみろよ」



 にやっと笑う夢籠だったけれど、

 いつもみたいに厭な笑い方じゃなくて、

 誇らしげで心地好かった。


 それから、夢籠が指さす方を一瞥してみると、

 目が引きつけられた。



 縁の母親の身体から白い光が溢れ出していた。

 より詳細に説明するなら縁がいる周辺から、

 あの光と同じ色をした光が放たれている。



「届いた、のかな……」



 僕が独り言のように呟くと、

 夢籠は僕の頭を引っかき回して、こう囁いた。



「届いたよ」



 これ以上この場にいても、

 ロクなことがなさそうなため、

 僕らは退散することにした。


 まあ、ロクなことにならない

 理由の主な原因は僕だろうけど。



 そして、案の定、館に帰ってから、

 僕はわあわあと慟哭していた。



「縁が生きているかさえ確認できたら

 ――とは言ったけど

 やっぱり姿くらい見たかったよ。

 会えなくても、顔くらい、見たかった

 …………ぁ、ぅぁぁあああ!!」



 口では幾つもの綺麗事を言えるけど、

 心だけは騙せやしなかった。


 足りない、物足りない、君が欲しい。


 今でさえ、こんなにも息苦しいのに、

「縁」が生まれて、

 その姿をこの目に焼き付けられるようになったら、

 僕は気が狂ってしまわないだろうか。



 けれどきっと想いが深まるのは、

 愛おしい人が傍にいないときだ。

 だからこそ、恋愛は苦しみに満ちている。



 手に届く距離にあるのに触れられず、

 認識すらされない。

 それがどれだけ辛いことなのかは、

 まだ体験していない僕には

 空想上の痛みしか分かり得ない。



 僕は知らなかった。

 目の前にいるのに触れられないことが

 存在を、想いを、

 認識されないことがどれほどの地獄なのか。


 空腹時、目の前に餌がないのとあるのとでは、

 空腹に耐える苦しみが

 天と地ほどかけ離れていることを。



 たとえそれでも、縁が愛おしかった。

 その姿を追い求めた。


 中身は異なると知っていても、

 目の前の君に縋らずにはいられない……。



 僕は我を忘れて、ただの子どものように号哭した。

 どうにもならないと分かりながら、喚き散らした。


 手当たり次第に物を投げ付けたい気分だったのに、

 掴めそうな物は転がっていない。

 だから、ひたすらに壁を殴った。


 それは、自傷行為のようにすら思えた。


 泣きじゃくり始めてから一時間ほどが経過し、

 やっと僕も落ち着きを取り戻し始めた頃、

 夢籠は諭すように僕に言った。



「そこまで会いたいなら、

 また会わせてやっても構わない」



 僕は思わず顔を上げ、その話に食らいついた。



「本当に!?」



 けれど、夢籠の話はそこで終わるような、

 甘い話ではなかった。



「その代わり触れることも、言葉を交わすことも、

 認識されることすら叶わない。

 それでもいいか?」


「今度こそ、ちゃんと縁の姿が見られるなら

 ……それでもいいよ」    


「ああ、保証する」



 梨奈の一件から一年と経たないうちに、

 西田系列のグループは倒産していった。


 幣造さんの遺産を当てにしていた

 親戚たちの横領やら賄賂やら、

 色々裏で行っていたことが露見したようだった。



 それは今は亡き少女、梨奈の願いであったこと。

 でも、僕らが手を下したわけではない。


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