久しぶりで、初めまして。


 梨奈の依頼件から五ヶ月ほどが経過したある日。

 夢籠は突然、僕の部屋に押し掛けるなり、第一声。



「今から出かけるぞ」


「え、どこに?」



 夢籠は呆れたような目で僕を見ながら、

 その名を口にした。



「決まってるだろ。

 お前の婚約者、いや、元婚約者って言うべきか。

 まあ、お前が愛してやまない、

 由野縁のところだよ」


「ええ!?」



 また『縁』に会えるなんて。

 それだけで僕の胸は昂揚して、

 二人の惨劇なんて

 記憶の奥底に追いやってしまった。


 あぁ、きっと僕も現金な奴なのだろう。

 それでも、

 恋に溺れる心音は治まることを知らない。



 夢籠の突拍子もない発言。

 けれど、僕には救いの手だった。


 何人もの人を傷つけて、 

 自分の願いのために奔走するのは正しいことなのかと。

 正しくはなくても、貫いてもいいことのなのかと。


 その問いに解が欲しくて、

 僕は縁の姿を追い求めてしまうのだろう。

 追い縋っている。


 君の死に様をこの目に焼き付けてから、

 もう七ヶ月が経ってしまった。

 会えない時間が長引く度、

 君を想う気持ちがしんしんと降り積もる。

 会えないだけ、愛おしさが増していく。

 心の中での縁の像が、どんどん美化されるのだ。



 つまるところ、君に、縁に逢いたくてたまらない。

 たとえ、それが僕の愛する縁でなくても、一目見たい。


 できることなら、会って、抱き締めたいよ。



 そんな甘い夢に浮かれていると、

 夢籠に釘を打たれてしまう。



「ところでさっきの話だが……もちろん、

 由野縁はまだ生まれてもいない。

 まあ胎児だな、この世に生を授かったばかりだ。

 目には見えないくらいの小ささだろうな。


 それと、もちろん、今回も幽体で行くぞ。

 バレたら面倒だしな

 ――それでもお前は、会いに行きたいんだろ?」



 夢籠が最後の一言と共に、僕の目を捉える。

 そんなこと、言わずもがなだ。



「もちろん。縁の存在を確認できるなら、

 それだけで今は、十分だよ」



 もちろん、綺麗には笑えない。

 嘘ではないけれど、

 本音というほど心を露出させてもいない。


 欲を抑えた言葉、我慢で守られた僕の欲望だ。

 詭弁的なまでに、綺麗な言葉にした。


 本当は寂しくて、物足りないのに。

 でも、一度我慢をやめると、歯止めが効かなくなる。


 ないものねだりをするようになるかもしれないから、

 やっぱり、僕の欲望に我慢は付き物だ。



「分かった。それじゃあ、早速行くとするか」 



 夢籠はさも当然のことのように、

 僕へ手を差し出してきた。



「これって、前と同じように手を繋いで行く、

 って意味でいいのかな?」


「ああ、そうだ。だから、さっさと手を取れ」



 別段、断る理由も意味もない。

 こくんと頷き、僕は夢籠の手を取った。



「じゃあ、お願いするね」


「ああ。手、離すなよ」

 

 

 どこかで耳にしたような台詞と、

 見覚えのある表情だった。


 ちょっと、格好いいかもしれない

 ――なんてくだらないことを考えているうちに、

 いつの間にか、僕らの幽体化が終わっていた。


 夢籠はお得意の力を使い、

 縁の両親が暮らす家を突き止めた。



 よく思うけれど、こういうのは

 文明の利器に頼った方がいいのでは……

 でも、現実問題二十五年前なので、

 それができなくて悶々とすることが多々ある。



 そうして、僕らは朧げな身体を浮遊させて、

 縁の両親が暮らす家を訪ねた。


 縁の誕生日から逆算すると、

 九月の今は、丁度母体に命を授かった頃だろう。


 しかし夢籠がわざわざ、

 会いに行こうと言ったのだから、

 何日だろうと縁の命は母体にある。


 それだけで僕の心は救われるんだ。

 過去も、今も、これからも。



 目には見えないほどの小さな縁。


 その存在だけで、どうしようもなく嬉しい。

 いてくれるだけで、

 僕は縁のためなら命さえ削ることができるから。


 この世界で誰かを傷つけてでも、

 守りたいという気持ちが、

 ふつふつと沸き上がってくる。 



「ここだ」



 夢籠は僕の返事もロクに待たずに、

 縁の両親の暮らす住居へ侵入する。


 もちろん、夢籠と手を繋いでいる僕も共に、

 侵入させられているわけだけれども。



「でもさ、妊娠数日から数週間程度じゃあ、

 本人はまだ気づいていないんじゃないかな?」


「まあ、そうだろうな。

 普通は、一、二ヶ月前後で気づくものだろうしな」



 夢籠は、僕らの声が聞こえる者はいないと

 安心しきっているのか、

 あまり喋るなと叱責されることはなくなった。



「……ところでさ、縁のお母さんってどんな人?」



 僕の言葉に夢籠は目を丸くし、硬直していた。

 勢いよく僕の肩を掴み、がたがたと揺らしてきた。



「お、お前なぁ……!

 まさか、元婚約者の母親の顔も知らないのか?」



 呆れと驚きが入り混じり、

 夢籠の表情は混沌としていた。


 僅かな声量で、多分、

 大声は出さないように気をつけているのだろう。



「うん、知らない。

 これは縁から聞いた話だけど、

 縁の両親は、縁が中学二年生の頃に離婚したんだ。


 離婚の原因は、母親の浮気だったから

 親権は父親が持つことになった。

 それから、縁は母親とほとんど会ってないって。

 婚約のときも、もちろん、父親にだけ会ったから、

 僕は何も知らないよ」



 僕にとって、縁の母親は興味の対象ではない。

 強いて言うなら、突然、縁の前に現れて、

 縁を傷つけることはないか、と危惧するくらいだ。



「…………」

 


 それなのに、夢籠は無言で、

 僕の頭にぽんぽんと手を置き、そっと撫でてきた。


 やめてよ、苦しくもないのに

 そういうことをされると辛くなってくるから。


 一分か、それくらいの時間が経過するまで、

 僕はされるがままにしていた。



「ありがとう、夢籠。

 まぁ、そういう訳で、僕も知らないから、

 夢籠の力で縁の母親かどうか、

 妊娠しているかどうかを確かめてほしい」



 すると、夢籠は訝しげな表情と共に

 可能な限りで僕から距離を取り始めた。

 手を離さなければ、

 距離を取っても意味はないと思うけれど。



「お前……マジで引くわー。

 妊娠してるかを確かめるって、気持ち悪い」



 夢籠が、変態を見るような

 侮蔑の目を僕に向けてきたから、

 弁明しようと口を開いた。


「べ、別に、変な意味じゃないよ! 

 だって、本当に縁がそこにいるのかなって……

 すごく不安になるから。

 僕は縁だけが生き甲斐だから……

 生きていることを確かめるってことって、

 そんなにおかしいかな、いけない、ことなのかな……?」



 言葉にしただけで、涙が溢れそうになった。

 頭では分かっているはずの出来事。

 だからこそ、僕はここにいるのに。

 誰よりも愛おしい人、

 縁といるときこそが幸せだった。

 自分よりも、大事な人。



「い、いや、そう意味なら、いいけどさ。

 お前の真摯さに負けて、やるよ。

 まあ、そもそも、俺としても、

 せっかく貯めた寿命を

 別人に注ぐのは避けたいことだしな」



 何だかんだと言いながらも、

 夢籠は要望に応じてくれているようだ。

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