今までで一番幸せ

 

 数十分かけて武道館に辿り着くと、

 そこは人の熱気で蒸されていた。



「うわぁ! 何これ、すごい人の数」



 思わず口を吐いていた。

 圧巻されるほどの大衆だったのだ。

 個々の顔なんて、判別できない。



「ざっと一万人程度、

 十代、二十代の若者を中心に集めておいた。

 聴いてほしい年代層はそれくらいだと思ってな」



 夢籠は僕の背に隠れる

 梨奈に向かって、そう呟いた。



「すごい……夢みたい」



 梨奈は一面に広がる光景を目にして、

 そんな感嘆を漏らした。

 でもね、夢じゃないんだよ。

 君の余命が代償なんだから。


 そんなことが頭に浮かんだけれど、

 あえて、口にはしなかった。



「それから、これ衣装」


「え? これ、

 私が思ってた通りの衣装だ。ありがとう!」


「あ、ああ」



 真っ直ぐな彼女の笑顔は夢籠を困惑させた。 

 こんな夢籠は見慣れないせいか、余計に面白い。



「それじゃあ、僕らは舞台袖から見守ってるから。

 一時間、目一杯歌い尽くしてきなよ」


「うん! ありがとう」



 梨奈は目に溢れんばかりの涙を溜め込んで、

 顔が真っ赤になっていた。

 それは願望が叶う故の涙だろうか、

 それとも……。


 何はともあれ、彼女のライブは始まり、

 辺りはその世界観に融け込んだ。



 腕を振り上げる者、洋服を振り回す者、

 奇声を上げる者、様々な者がいたが、

 彼女の歌に興奮しているのに違いはなかった。


 実のところ、僕らは機会を設けて、

 歌が始まるまで気分を昂揚させていただけで、

 観客を洗脳したわけではない。


 だから歌が始まって以降、

 この場にいる観客は自分の意志で、

 ここに滞在している。



 もっと早く、別の機会で

 この才能に触れることができていたなら、

 彼女の人生は

 全く違ったものになっていたかもしれない。


「もしも」話をしても、虚しいだけだろうが。



 彼女の歌は観客だけでなく、

 舞台袖にいた僕らまで虜にしていた。



「いい歌だな」



 滅多に、褒めることはしない夢籠が

 ぼそりと零したくらいだ。

 それに釣られて僕も、

「勿体ないね」と答えてしまった。



 約束の一時間後、

 高まる一体感を背に、

 僕らは梨奈を迎えに行った。


 周囲にはバレないよう、

 透明化した状態で梨奈に囁きかける。



「時間だよ」



 汗がチラチラと輝く彼女は熱気を帯びていて、

 近寄っただけでもその熱が感じられた。


 こんなにも生に満ち溢れている人が、

 これから……死ぬのだ。

 そう考えた途端に背筋が凍えたけれど、

 気にしないようにした。



「そっか……うん、分かった。ありがとう」



 梨奈はまたお礼を言った。

 僕はこんなにも酷い奴なのに。


 心にまた蓋をして彼女を舞台袖に誘導した。

 いくらなんでも、

 公衆の面前で死なせるわけにはいかないから。


 そこからは夢籠に役目をバトンタッチして、

 まず、観客の記憶から梨奈の存在だけを

 切り取ってもらった。

 今日のことが公になると、

 この世界に不和を来してしまいかねない。

 それに、美しい時間は謎に包まれていた方が

 より美しいままでいられるのだ。


 夢籠の手を借り、

 三人で透明化してから、梨奈の家まで戻った。


 ベッドに寝かせ、

 彼女の余命を奪おうとしたとき、軽く呟かれた。



「ねぇ、私、今までで一番幸せだよ」



 満面に笑みを浮かべていた。

 伸ばした腕が竦み、指先が震える。

 涙を噛み殺して、梨奈の命を頂戴した……。



  *



 梨奈が死んで三日と経たないうちに、

 僕は色々と手を加え、

 梨奈が受け取っていた遺産の全てを、

 児童保護施設に全額寄付した。


 少しずつ入金される仕組みを

 設定したのも僕であるため比較的、

 手間はかからなかった。

 と言うよりも、少々強引な手に出てみたのだ。


 それに僕らは人間ではないから、

 人間社会のルールを押しつけられても困る。



「これで良かったのかな……」



 もし、自分の犯した罪が返ってくると言うなら、

 僕には一体どんな罰が

 科せられるというのだろうか。



「いいも悪いも

 お前が気にすることじゃないだろ」



 突き放すとも慰めるとも取れない夢籠の発言。

 いつもこれくらいの

 優しさだったら、楽なのにな。



「そうだと、いいな」



 複雑な思いを抱えてしまい、

 感傷に浸っていたかったけど、

 夢籠はそれを許さなかった。



「まあそれはさておきとりあえず、

 さっきの女からもらった寿命を貸せ。

 元婚約者用に変換して、

 ついでに俺のエネルギー補給も行う」



 夢籠がずいっと手を突き出してきて、

 僕はその手の平の上にそっと乗せて、手渡す。



「はい、どうぞ」



 夢籠は受け取るなり、眩い光を放ちながら、

 エネルギーの変換と

 補給の両方を済ませたのであった。


 それからほどなくして、

 僕の手元に寿命が返ってきた。




 これで「縁」が生きられる

 ――そんな考えは甘すぎたのだと気づかされるのは、

 十数年以上先のこと。



 

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