願う「夢」

 梨奈の記憶を観ていたときに、知ってしまったのだ。

 彼女がどれだけ、歌が好きで、

 情熱を注いでいたかを。


 その証たちが梨奈の手によって、壊されていた。


 自分の作り上げてきたものを

 無碍に扱うのは辛かっただろう。

 梨奈を支えていた媒体たちは、

 生温い液体でふやけ、くしゃくしゃだった。


 それでも唯一、梨奈が残したものがあった。


 一枚のCDだ。

 それには、作詞、作曲、編曲、歌唱を

 彼女自らが手掛けた歌が収録されていた。

 しかし、たった三曲だけだった。

 それ以外は、

 焼却炉という闇に放り込まれてしまって、

 跡形もない。



 だからこそ、

 その歌は彼女の思いが凝縮されたもの、

 言わば、彼女の「集大成」なのではないかと。



「たとえば、歌に関することとかさ」


「……どうしてっ!?」



 なりふり構わず、梨奈はいたく反応した。

 それほどまでに

 大事にしていたものなのだろう。



「大抵のことは知ってるからね。

 それを前提として、もう一度訊くよ。

 梨奈ちゃんは、どうしたい?」



 絶え絶えになりながらも言葉を紡いで、

 梨奈はようやく思いの丈を口にする。



「わた、しは……自分の歌を、

 武道館で歌ってみたかった、の。

 このまま生きていても、辛いから、

 思いっ切り好きなことしたい。

 それと、たくさんの人に私の歌を、

 聴いてもらいたい、な……

 こんな願いでも、叶えられる?」



 梨奈の瞳は不安に揺れていて、

 なおかつ、期待と渇望で溢れていた。



「もちろん。

 それが、君の願いだって言うなら、叶えるさ。

 大事な寿命をもらうんだから、当たり前だよ」


「何それ。全然、優しくない」



 梨奈は苦笑していた。



「優しくないのはいつものことだよ」


「でも、ありがとう。

 自分の夢、

 誰かに話せたのは初めてだから、嬉しい」



 綻んだ頬と、

 その初さに胸がズキン、と痛んだ。

 それを誤魔化そうと僕は取り繕って、話を進めた。



「これで、契約成立ってことで。

 その証に、君の記憶の写しをもらっておくね」


「うん、そうして」



 嫌なことが吹っ切れた、清々しい表情だ。

 これがこんなときでさえなければ、

 何も痛まないのに。

 その清涼さがより、辛い。



「……じゃあ、すぐ行くから。

 目が覚めたら、

 君のところへすぐ駆けつけるから!」


「ありがとう」



 最後の瞬間、

 彼女は今までで一番苦しそうに笑った。

 本音を顔に出せた瞬間ならばいいけれど。



  *



 今度は夢からすっと覚めた。

 右側に目を遣ると、

 僕の方へ腕を伸ばしたまま、

 眠りこけている夢籠の姿があった。


 あんまり出番はなかったが、

 手袋のお陰で助かったよ。



「ありがとう、夢籠」


「起きたか」



 不意打ちのように夢籠が返事をしたので、

 僕は思わず、ベッドの上で跳ね上がった。



「寝起き早々、騒がしい奴」



 夢籠はくっくっと、

 愉快そうに笑いを噛み殺している。



「夢籠、僕――」


「分かってる。今から行くか」



 彼はただ静かに、そう言い払った。

 怒っているようにさえ見えるのは、

 その自覚があるからだろうか。

 ただたとえ叱られたとしても、

 後悔はしないはずだ。



「あ、待って。その前に――」


「そうだな。それをしておこうか」



 梨奈の夢実現のために、

 必要な小道具を用意した。


 夢籠の手を借りて再び幽体になり、

 明け方の空を飛行する。


 梨奈の部屋に侵入して、幽体化を解いた。

 明朝、女性の部屋に忍び込むなんて、

 夜這いのようで決まりが悪い。


 さっさと梨奈を起こすとしよう。



「梨奈ちゃん、迎えに来たよ」



 ベッドで横たわる彼女の耳元に囁きかけてみる。

 触れるのはなんだか犯罪性を

 帯びてしまうようで憚られたのだ。


 ピクリと彼女の身体が跳ねて、

 目蓋がゆっくりと開く。



「ぁ……ひゃぁっ! だ、誰?」



 梨奈は掛けていた布団を身に巻き付け、

 防御体勢へと入っていた。



「僕だよ、僕。夢飼い。夢の中で話したでしょ?」



 目をキラキラさせて、ウィンクしてみた。



「え、あれって、本当だったんだ……」



 彼女は戸惑いを隠せないのか、硬直してしまう。



「そうだよ。だから、そんなに怖がらないで。

 僕と一緒に来てよ、

 君の願いを叶えてあげるから」



 梨奈の目の前に跪き、

 手の平を差し伸べてみる。



「うん、連れて行って」



 差し出した手にしとやかな指先が触れ、

 顔を起こしてみると、

 はにかみながら僕を見つめる彼女の姿があった。



「承知しました」



 このシチュエーションはお嬢様と執事のようで、

 面白く感じられたが、もっと悲しい何かだった。

 


 目を覚ましてすぐに、

 梨奈の元へやってきたから、

 準備は何もできていない。

 ――そう思っていたら、

 夢籠は武道館に直行するよう言ってきた。



 どういうことだろうか。

 やっぱり怒っているのかもしれない。


 その真意を確かめようと、

 本人に尋ねてみると、意外な反応が返ってきた。



「お前が寝ている間に夢を覗いて、

 目覚めるまでに下準備は済ませておいた。

 その方が効率よく進められるしな」



 夢籠は淡々とそう述べた。


 あまりにも無感情的で、

 気付かずに流してしまうところだったが、

 彼のそれは親切だ。

 僕が叶えるべきであるはずなのに、

 頼まれた訳でなくとも、

 自ら進んでやってくれた。

 実に能動的だ。



「ありがとう」



 ふっと、頬元が緩んだようだった。



「そんなことはどうでもいいから、

 さっさと行くぞ」



 夢籠は表情も変えず、そっぽ向いてしまった。


 素直じゃないな。

 それでもそこはかとなく、

 親近感のようなものを覚えた。


 僕は梨奈の手を取り、透明化してから、

 三人で明けの空を飛び立っていった。 


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