罪悪感に食い殺される前に


 それから小一時間ほど、

 梨奈のここ数ヶ月の記憶を集約した映像を見続けた。


 一階の居間の壁に映像を映し出し、 

 僕らはその場から一歩も動くことはなく、

 齧りつくように目に焼き付けた。



 梨奈視点で映し出される映像と音声は、

 客観的に見ても惨いものだった。


 泣ける映画と銘打っているそこら辺の映画よりも

 涙を誘い、恐怖を呼び起こした。

 もちろん、その涙は感動という優しいものではない。

 背筋が凍えて、

 心臓にドライアイスをぶっかけられてしまうような

 衝撃、緊迫感だ。

 加えて、生々しい人間の裏の顔、

 泥沼に首っ丈まで浸かる

 大人たちのおぞましさを、見せつけられた。


 痴情のもつれやホラー映画に飽きた人には

 ぴったりな恐怖をお届けしそうだ。

 それはなぜならそこに、

 梨奈の感情も含まれていたからだ。



 親戚や家族に囲まれているときは平気を装って、

 笑顔を張り付ける彼女。

 しかし、夜になり、自室に籠もった途端、

 胸に渦巻く憎悪を手帳へ書き殴っていた。


 それはまるで、詩のようでさえあった。



 何かに取り憑かれたようなそれが終わったかと思えば、

 ベッドにダイブする。

 そして、枕に顔を埋め、

 宵だというのに、忍び泣いていた。



 時折、漏れる言葉。



「許さない……絶対、許さない。

 あいつらの思い通りにだけはさせないんだから――」



 それは、

 特定の人たちに向けられた確かな憎悪だった。


 それからも親戚、家族、友人その他諸々の、

 梨奈を知る全ての人から金を集られていた。

 今までの関係が瓦解し、

 梨奈の心は崩壊の一途を辿っていった。



 そんな光景が繰り返され、

 目も当てられなくなっていた頃、あの夢が登場した。


 夢から覚めた後の梨奈は、

 真っ青な顔で自分の両手をしきりに確認していた。

 何もないことを確認し終えて、安堵の息を漏らす。


 しかし、僅かに、祈るような言葉も吐いていた。



「死ねたらいいのに……死にたい。

 でも、あいつらが

 望むような結果にだけはしたくない。

 お金も、これからの人生もいらない、

 だから、早く――」



 我に返った梨奈は、身支度を整えて、登校していった。



  *



 映像はそこでぷつり、と途切れてしまった。

 夢籠が抜き出した記憶はここまでなのだろう。


 見終わった後になっても暫くの間は、

 何も話す気にはなれなかった。

 ひどく、後味だけが悪くて、気が滅入る。


 でも、黙り込んだまま

 床に体育座りで座り込む僕を

 夢籠がそっとしていてくれるはずもない。 



「おいこら、何ぶさっとしてんだ。

 さっさと対策を練るぞ」



 だけど、そんな気分にもなれそうになくて

 ……って、ん?

 あれ、夢籠、今、

「ぶさっとして」とか言わなかったかな。

 言い間違えか否かなんてどうだっていい。

 ただ、苛立ちを覚えた。



「ぶさっとしてって、どういう意味だよ!?」



 僕は威勢よく立ち上がり、夢籠に詰め寄る。

 しかし、その言動さえも夢籠の思惑通りのようで、

 夢籠は怯む素振りすらおくびにも出さず、

 僕を煽るばかりだった。



「おーおー、怖い怖い。

 まあでも、そんな元気があるなら平気そうだな。

 ほら、さっさと作戦会議するぞ。

 お前の部屋でな。

 あ、ちなみにさっきのは、ぶすっと、

 とぼさっとを掛け合わせた造語だから気にするな」



 夢籠はふっと鼻で笑い、そう言い残し、

 さっさと踵を返すと、

 二階の僕の部屋の方へ足を運んでいった。


 これじゃあ、噛みつく気も萎えてしまう。

 相変わらず、夢籠は憎たらしい奴だ。

 でも、思慮深くもある。

 そう思うからこそ、

 こんなにも偏屈な奴と一緒にいられるのかもしれない。



「今行くよ」



 僕は重い腰を上げて、

 軋む音が楽しい階段を駆け上がっていった。



 それからは僕の夢、

 いわゆる、悪夢というやつについての対処を練った。


 試行して、失敗に終わって……

 そうして、試行錯誤しているうちに、

 四月の空はすっかり

 グラデーションを咲かせていた。



「これで、いい、のかな?」



 不安げな声音を漏らす僕と打って変わり、

 夢籠は毅然な態度を見せた。



「大丈夫だろう。これが一番しっくりきたし、

 何より、これならお前が

 死なないように助けることができる」



 夢籠が言うことはもっともだったが、

 この方法は僅かに、羞恥心を感じてしまう。


 そんな私意的な感情はさておき、

 僕は最終確認がてら、夢籠に問うた。



「ねぇ、夢籠。

 もし、今日も僕が殺されそうになって、

 命の危機を感じたら、どうすればいいの……?」



 殺されることは、もちろん怖い。

 でも、それ以上に、

 死を回避するための行動が怖いんだ。



「そのために、それを預けたんだが……

 なるべく、そうなる前に助けに入るさ」



 いつもの夢籠らしくなく歯切れが悪い物言いだ。

 夢籠の言うそれとは夢籠の力が注入された

 加護の手袋だ。


 片方は護身(加護)用で、もう片方は…………。


 こんなときに優しい言葉を選ばれても困るよ。

 だから、はっきり答えてほしい。



「もし、夢籠が間に合わなかったときは、

 どうしたらいいの?」



 もう誤魔化しても意味はないのだと、

 夢籠も悟ったのだろう。



「お前に渡した手袋の、

 白い手袋で彷徨い人の身体のどこかに触れろ。

 そうしたら、数十秒程度だが動きが止められる。

 触れたまま、こう言うんだ。『消えて』って」



 その言葉はあまりに重々しくて、残酷すぎた。

 たった一言でも、明確な拒絶の言葉。

 存在を否定された落胤を押されるも同然の言霊。


 僕はたまらず、耐えられず、ぼろぼろと涙を零した。



「泣くな、泣くなよ。

 だから、そうしなくて済むように、

 こうやって事前に打ち合わせしてるんだろうが。

 できるだけ、俺もそうさせたくない。

 苦しくても、死にそうになかったら、耐えてくれ。

 手袋を使って、動きを止めさせてもいい。

 それでも彷徨い人を説得して、

 願いを叶えてやってほしいんだ。

 たとえ、それがどんな願いだろうと、だ」


「じゃあ、夢の中の彼女を消滅させたら、

 どうなるの?」



 それぐらいは知っておくべきだと思った。

 現実から目を背けていても、それでも。



「安心しろ。もちろん、夢の中での彼女を消しても、

 死にはしない。

 ただ、精神は死に逝く、このことだけは覚えておけ。

 でもな、今はどんな願いを叶えてでも、

 寿命の蓄えをしておくべきだろ」



 以前目にしたものと同等くらい、

 いや、それよりも真剣な顔付きをしているように思う。

 珍しく、熱血気味な夢籠の弁舌に

 僕が感銘を受けなかったわけもない。



「うん、ありがとう。

 死なない程度に頑張って、

 彷徨い人の願いも叶えてみるよ」



 もうすぐ夜が襲ってくる。

 だから僕は、早め早めの準備を心掛けようと、

 夢籠から手渡された手袋をはめておいた。




 不安な夜ほど長いものはない。

 だのに、今日に限って、

 時の長さはあまり長く感じられなかった。



「お前……生まれたての子鹿みたいに

 びくびくしてないで、さっさと寝ろよ」



 夢籠はそう言って、

 ベッドの上をぽんぽんと叩く。



「そうは言われても、怖いものは怖いよ。

 あと、何気に揶揄するのはやめてくれないかな。

 弱っちくて、

 情けないのは自分でも自覚してるんだからさ」



 僕が弱音を吐いているうちに、

 夢籠は次の所作に移っていた。



「ほら、こっち来いよ。

 お前が眠れるまで、添い寝してやるからさ」



 いつの間にか夢籠は僕のベッドの左端を陣取り、

 布団を羽織っている。

 そこから布団を持ち上げて、

 ベッドに入るよう促してくる。



「…………そういうの、本当にいいから。

 漫画的展開とか求めてないし、

 男同士でそれしても気色悪いだけだから。

 それに何より、

 夢籠がそんなことをするのが気味悪い」



 罵詈雑言を捲し立てると、

 さすがの夢籠も諦めたのか、

 早急にベッドから下りた。



「はいはい、分かったよ。

 でも、さっさと眠れよ。

 今日を逃しても、彼女はきっと、

 また明日やってくるんだから」



 僕にその言葉は酷すぎる。

 逃げていたいのに、ちっとも逃げられない現実だ。

 ならば、今日の宵の間にでも、終わらせてしまおう。


 死ぬ気ならぬ、殺される気で行くとするかな。



 僕は、作戦の通りに、

 夢籠が僕のベッド付近の椅子に腰掛け、

 待機しているのを最終確認して、床に就いた。


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