哀しい夢の終わりは
あぁ、また今日もこんな夢か。
そう思ったのは、今朝の夢と
そう変わらない空気を放つ空間だったからだ。
僕はすぐさま、自分の手元を確認してみる。
良かった、
あの手袋はきちんと夢の中に持ち込めたようだ。
夢籠が力を注入したのには、
そういった意味合いもあったのだと
しみじみ感心していた――ところだったが、
暗い彷徨い人のお出ましのようだ。
今宵も大層禍々しい雰囲気を纏っている。
あれからまた何かあったのだろうか。
それとも、この数ヶ月で
積もりに積もった積怨というものなのか。
どちらにしても、ロクなことはなさそうだ。
彼女との距離は、
十数メートルと言ったところだろうか。
構えていいのか悩むところではあるけれど、
油断はできない距離感だ。
彼女こと、夢の中の梨奈は、
こちらに気づくと、猛突進してきた。
あれー、思ったよりも
身の危機を感じるのが早い気がするな。
背筋に悪寒を感じた。
そうこう思考を巡らせているうちに、
梨奈との距離は零となってしまっていた。
そして、女子高生とは思えない馬鹿力で、
押し倒され、腹部辺りに馬乗りされてしまう。
一応男なのに、女子高生に
易々と押し倒されてしまう非力さが嘆かわしい。
と言っても、今の僕の姿は小学生、
あるいは、中学生男児なのだから、
それも仕方ないことなのかもしれないが。
……それにしても、なんだか、
別方向の身の危機も感じるんだけど。
そう、貞操の危機とか。
いやいや、
そんな冷静に分析している場合じゃない。
「ちょっ、と、ま――」
僕が一言言い終えるのも待たずに、
梨奈は僕の首を締め始めた。
指先に力が込められ、
僕の喉元にぎりぎりと食い込んでくるのを感じる。
なんとか梨奈の顔を見上げてみるが、
彼女の目には僕なんか映っていやしなかった。
けれど、少しでも一縷の望みにかけてみたくて、
僕は余力を使って、できる限りの笑みを浮かべた。
首を締められている状態での笑みだ、
大したものではないだろう。
梨奈が一瞬、
こちらに気を取られたような気がした。
しかし、喜びを覚えたのも束の間、
梨奈の意識は再び僕の首へと注がれてしまった。
あーあ、上手くいったと思ったのに。
僕は本当に不甲斐ない奴だなぁ。
でも、そんなことを考えていられるのも、
あと数十秒くらいだろうか。
だんだん、
意識と感覚が不鮮明になっていくから。
そろそろ、最後の手段に
出なくてはいけないかもしれない。
これを失敗してしまえば、僕は死んで仕舞う。
『縁』を助けるという願いは水泡に帰す。
無様だろうと、非道だろうと、
その願いだけは決して譲れない。
だから、ね。
僕は力の抜けた宙ぶらりんな両腕のうち、
左腕を選択する。
その手にはめたのは、白い手袋。
すなわち、相手の動きを制止させ、
「消滅」へと導くものだ。
僕は躊躇なく
その手袋をはめたまま、彼女の頬に触れた。
すると、魔法にでもかかったかのように、
彼女の力がするりと抜け落ちていった。
しかし、感心している場合ではない。
彼女に語りかけ、
悟らせる猶予は数十秒程度しか
与えられていないのだから。
彼女が怯んでいるだとか、慌てているだとか、
そんなことは気にせず、
僕は一方的に語りかけ始めた。
「君が、梨奈ちゃんだね?
幣造さんから話は聞いていたよ。
でも、想像していた子と随分違って、驚いたかな。
彼の話では、君は、
真っ直ぐで無垢な子だったって。
それなのに、今、対面している君は、
何かに取り憑かれたように、憎悪が渦巻いている。
第三者の僕にまで、
こうして八つ当たりをしてしまうくらいにね」
ぺろっと舌を出して、お茶目っぽくしてみるが、
「八つ当たり」なんていう生優しいものではない。
既に、殺されかけた後、なんだけどね。
それに、八つ当たりでもない。
僕は間接的ではあるが、梨奈の不幸の原因を作った。
彼女がそのことを知らないのが、不幸中の幸いである。
「…………」
もちろん、彼女からの返答はない。
何なら、反応すらない。
しかし、これらは想定の範疇だ。
「純真無垢と例えられるくらいに、
真っ直ぐだった君が
どうしてこんな風になったのかは、あえて聞かないよ。
きっと、幣造さんが亡くなってから、
辛い思いをしたんだよね」
頬に乗せたままの手をゆっくりと、
梨奈の頭の上に乗せ、優しく撫でた。
「…………」
「吐き出していいよ、嫌なこと全部」
夢の中の彼女を消しても、身体は死なず、
精神が死ぬと言うならここにいる彼女は、感情そのものだ。
心だけで、ここに存在している。
酷く曖昧で、それでいて、念だけが強力だ。
それも、仄暗く荒んだ、
憎悪というものなら、より一層。
人を説得したいなら言葉だけよりも
物理的接触を試みたり、実際に距離を縮めることが大切だ。
時に、言葉は役立たずで、
何気ない行動が人の心を突き動かす。
僕のこの言動は、彼女の心に届いているだろうか……?
不安を抱えたまま、
僕はひたすら梨奈の頭を撫で続けた。
そろそろ効果が切れるはずだ、いや、切れているか。
どちらにしても、何もなければいいが。
梨奈の一挙一動を気にする中、
彼女の口がゆっくりと動いた。
「あり、がとう……」
涙がぽたりと垂れたかと思えば、
滝のように泣き出してしまった。
泣きじゃくる彼女の背中をさすり、
頭を撫で、懸命に落ち着かせようとした。
「大丈夫、大丈夫。少しずつ、ゆっくりでいいからね」
梨奈は、僕のことを信用したのか、
素直に話し始めてくれた。
「じいちゃんのことは、普通に好きだった。
家族とおんなじくらい。
でも、二ヶ月くらい前に急に亡くなっちゃって
……悲しかったけど、
どうしようもないなって前を向こうとしたよ。
でも、遺書が見つかって、
全財産、私に遺すって書いてたんだ。
それから、親戚の人たち、
ううん、みんなおかしくなっちゃったの……」
膝元の梨奈の手が細かく震えていた。
「苦しいことは、吐き出した方が楽になれるよ」
僕はそっと、彼女の手を両手で包んだ。
少しでも、不安が収まればいいと。
矛盾ばかりの僕だ。
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