奪った人の孫「梨奈」
ぷわぷわとどこかの家の屋根付近を揺蕩う最中、
僕は小声で夢籠に問いかけた。
「ねぇ、静かにしろって言われたけど、
僕たちの声って、人に聞こえるの?」
すると、夢籠は屋根上で停まり、
思案顔で僕に返答してくれた。
「……いや、大抵の人間には聞こえない。
でも、たまに死期が近い奴には
聞こえたりしてしまうことがあるから、
会話は控えた方がいいと思ったんだ。
話してもいいが、できるだけ小声で話してくれ」
夢籠の説明はある程度理に適っているようだったため、
僕はそれで納得した。
その話を聞くと僕らの存在はまるで、
小説や漫画なんかに登場する
「死神」のようだと思わされた。
「了解」
僕が小声でそう囁くと、
夢籠も僕の顔を見て頷くなり、
夢籠の僕の手を握る力が強まった。
その所作で、次に夢籠が何をするつもりなのか、
大方の予想はできた。
夢に現れた彼女の家に侵入するのだろう。
まあ、物理的侵入ではないし、
これはやむを得ない状況であるから、致し方ない。
そもそも僕らは人間ではないから、
人間の法律は適用されない
――などと言って自分の中の罪悪感を消し去ろうと、
必死に屁理屈をこねていた。
ふわりと背筋の浮つくような浮遊感がして、
足下に気を取られているうちに、
彼女の家への侵入が完了していた。
確か、彼女の名前は「梨奈」と言ったかな。
梨奈の部屋は、殺伐としていて、
あまり女の子の部屋らしく思えなかった。
そう言う僕も、縁以外の女の子
(女性)の部屋に入ったことはないから、
比較しようもないけれど。
でも、縁の部屋は実に乙女っぽくて可愛かった。
人形や雑貨、色々なものがあるけれど、片付いている。
そんな感じだった。
しかし梨奈の部屋は寂寥としている、
と言うか、物が少なかった。
幣造さんから聞いていた人物像とはかけ離れている。
そう言えば、
梨奈という人物は一体何歳なのだろう。
それは人を知るうえでの大事な糧となる。
ただ、どうやって知ろうものか……
思案に明け暮れていると、
夢籠が僕の服の袖をくいっと引っ張ってきた。
そっと夢籠の方へ目を遣ると、
夢籠は机の上の学生証を指さしていた。
『第三学年』そう記されている。
しかもそれは、生徒手帳ではなく、
証明写真付きの学生証だ。
つまり、梨奈は高校三年生である。
十七、八歳の女子の部屋が
こんなにも簡素で味気ないものだろうか。
なんと言うか、
好みや個性を一切排除された異空間だった。
今日は四月半ばの平日であるせいか、
この部屋の主の梨奈の姿はない。
しかし玄関からの声、
階段をどたばたと駆け上がる音、
おそらく梨奈が帰ってきたのだろう。
「はぁぁあ、今日も疲れたー」
学校から帰ってきた割に、
帰宅が早いのは短縮授業だったのだろうか。
僕からすれば、懐かしいものである。
梨奈は制服をぱぱっと脱ぎ捨てると、
早技で部屋着に着替えた。
い、いや、見てはいないけれど……。
それはともかく、
梨奈は倒れるようにしてベッドにダイブし、
すやすやと寝入ってしまう。
寝顔だけは、女子高生らしいものだった。
すると、夢籠が突然動きだそうとするもので、
手を繋いだままの僕はよろめきかけた。
「ちょ、ちょっと夢籠」
「ちょっと黙ってろ」
僕の言葉など気にする素振りすら見せず、
夢籠は梨奈の眠るベッドに忍び足で歩み寄る。
「ちょっと、そういうのはまずいって……」
夢籠の動きを制しようとしたが、
夢籠は誤算の動きを見せた。
夢籠は幽体のまま、梨奈の額に手を翳した。
そこからぽわぁっと光が放たれ、球体に形を変え、
宙に浮かんだかと思うと、夢籠の手中に収まった。
「よし、帰るか」
夢籠は、独り言のように小声でそう呟く。
それは僕に向けられたものだった。
僕の想像通り、夢籠は僕の方を振り返り、
帰るよう促してきた。
日の高くなって、
朗らかな少し肌寒い空を飛行して、帰宅する。
乾燥した春の風はまだ温もりきっていなくて、
微かに花の香りを纏っていた。
*
「ただいまー」
「ただいま」
タイミングの揃わない「ただいま」がなんとなく、
くすぐったくて、笑みを零す。
「ふふっ」
「何だよ」
「いやー、夢籠もここをきちんと自分の家、
帰る場所だって思ってるんだなぁって、
しみじみと感じていただけだよ」
夢籠はバツが悪そうに、
ふてくされたような顔で返事をする。
「そりゃあ、お前の願いを叶えるまでは、
ここが俺の家なんだし……
それまでは、ここが俺の帰る場所だ」
夢籠はやっぱり、素直じゃない。
「そっかー。
それで気になったことがあったんだけど、
さっき夢籠が梨奈の額に
手を翳していたのは一体何だったの?」
僕は至極、自然な質問をしたつもりだったが、
夢籠にとっては質問以前に
気になる箇所があったらしい。
「お前、女子高生の氏名を名前呼びって……
何、お前、ロリコンなの? 引くわー」
別段、その部分については、
気にしていなかったけれど、
指摘されると却って、腹が立つ。
苗字が幣造さんと同じかどうか分からないから、
端的に名前で呼んだにすぎない。
それにわざわざ名前にちゃん付けする方が
意識しているようで、気持ちが悪い。
それに、そもそも。
「僕は縁一筋だ。
女子高生になんて、興味あるわけないだろ」
きっぱりと断言してやった。
すると夢籠は、
それも計算であったかのように、
したり顔を浮かべる。
「まあ、そりゃあそうだよな。
その婚約者のために、
こんなことまでしてるんだからさ。
むしろ、そうでなくちゃ困る。安心したよ」
そんなもの、
訊くまでもないことだと思うけれど……
それに、安心したって何だ。
僕が縁以外の女性に
余所見をするとでも言うのだろうか。
そんなこと断じてあり得ない。
「いや、そんなことはいいから、
さっきの話について、答えて」
夢籠はさながら悪戯がばれた子どものように、
口を尖らせた。
ちぇーっとでも言いたげに。
「仕方ないなー。
あれは、記憶の抽出……と言っても、
コピーのようなものだし、
一度見たら消滅するものだから、安心していい」
ウィンクしてきたが、何に安心するのだか、
さっぱり分からない。
犯罪関連か?
それならとっくに、
一線を越えていそうなものだけれど。
ただ、あえて、別の解釈を求めるとするなら
――記憶の流出や記憶の改竄、精神の崩壊など、
梨奈の心身に影響を及ぼさないということだろう。
まあこれは、
あくまで想像でしかないことだけれども。
「じゃあ、今からそれを見るってこと?」
この頃、すっかりこの甘い口調に
慣れてきてしまっている自分がいる。
何なら、普通の喋り方に
若干の違和感を覚え始めているくらいだ。
慣れって恐ろしい。
「ああ。
一回しか再生できないから、集中して見ろよ」
「うん」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます