二話:思い通りに事が運ばないのが人の生

罪悪感



 初の彷徨い人、

 西田幣造の願いを叶えることもでき

(少しずつ遺産が渡るように仕組み終え)、

 僕らの中では終わった一件のはずであった。


 後味はあまりよくはないけれど、

 それでも、彷徨い人の願いを叶えることができて、

 それなりに満足を得られた。

 ――しかし、それがいかにして慢心だったのかを

 僕は思い知らされることになった。



 夢籠が、自分の信念を貫けと言った理由を、

 本当の意味で知ることになるのだ。

 けして、優しさなんて生温いものではなく、

 夢籠自身のためであったのだと。


 僕らは優しさなんて持ってはいけない。

 同情も抱いてはいけない存在だ。



  *



 初の依頼から二ヶ月と経たない内に、

 僕は夢でうなされていた。

 僕が夢を視るということは、

 必ず理由がある、そこに願いがある。


 しかし、その夢は比較対照が

 一つしかないことを鑑みても、その夢は異質だった。



 黒い毒霧と蛇に身体を覆い尽くされ、

 じわじわと身体を浸食されていった。

 一分ほど経過した頃には、

 息も絶え絶えに消えかかり始めた。



「ぁ、ぅぁ、たす、けて……」



 命乞いの涙と共に零れ落ちた言葉に、

 その蛇は反応を示した。

 その蛇は人へと姿を変え、

 いたく怒気と憎悪の籠もった声で僕に言い放つ。



「お金なんかのせいで……

 あの人が私だけに遺産を遺したせいで、

 私の家族は、私は、めちゃくちゃになった!!


 返せ、返してっ、私の日常を、返してよ……っ。

 わた、しのく、るしみ……消してよ」



 彼女の細い腕が、

 僕の喉めがけてすっと伸びてくる。

 両手で喉を押さえられた瞬間、

 僕は既視感と共に得体の知れない恐怖に襲われた。


 怖い、痛い、怖い、苦しい……

 縁を救えてすらいないのに、死ねない。

 死にたくない、怖い、助けて――。



「――おいっ。夢飼いっ、生きてるか!?」



 恐怖の淵から目を覚ますと、

 夢籠が真っ青な顔をして僕の顔を覗き込んでいる。


 少しずつ視界が定まってきて、確認すると、

 僕は自分の部屋のベッドで横たわっていて、

 ひどい寝汗をかいていた。

 冷えた汗が衣類に張り付いて、不快な気分だ。



「生きてるよ。でも良かった、あれが夢で」



 僕はへにゃりと笑って、

 夢の内容をうやむやにしようとした。

 それなのに、

 夢籠は僕のそんな気持ちなんか無視して、

 言及してくるのだ。



「どんな夢だったんだ?」


「多分、彷徨い人が僕を訪ねて、

 願いを叶えに来たんだと思うよ。

 でも、ぼーっとしてて、願いを聞きそびれちゃった」



 幼子のように可愛らしく、

 てへっと首を傾げてみるが、

 夢籠は依然として真顔のままだった。



「本当は襲われかけたんじゃないのか?」



 胸中を見透かすような夢籠の鋭い指摘に、

 下手なことも言えず、僕は黙り込んでしまう。



「…………」


「さっき、うなされてたぞ」


「だけど……」



 その続きを言わせまいと、夢籠は僕の言葉を遮る。



「お前が夢に呑み込まれでもしたら、俺は困る。

 俺は俺のために、お前が必要なんだ。

 それに、話してくれないと、

 お前の願いは成就できなくなるかもしれない。

 だから、話してくれ」



 そのとき、心の中の何かが形を変えた気がした。


 もう、自分のことだけでは済まなくなっている。

 僕が「もうやめたい」と一言、

 泣き言を言ってしまっても、それで終わりじゃない。


 もちろん「縁」は死んでしまうし、

 夢籠は実体を保てなくなる。


 縁に逢えないのも触れられないのも、やっぱり嫌だ。

 でも、それ以上に「縁」が死ぬところなんて、

 もう二度と見たくないよ。

 脳裏に焼き付いたあの血潮の海が

 再び起こらないように、僕はここにいる。



 もう一度、僕は決心をした。

 

 胸の深層辺りまで染み渡るような熱いものだ。

 今度は逃げるためではなく、

 僕の総じて暗い部分を受け入れようと思った。

 受け入れて、縁の死と向き合って、守ろうと決めた。

 僕の愛おしい唯一無二の人。



 だからもう、これからはどんなに辛くても、

 泣き言をいっても、放り出したりはしない。



「…………うん。分かった、話すよ」



 ふと、一筋の涙が流れたのはどうしてだろうか。


 濃霧に包まれていたこと、

 確かな憎悪を抱いていたこと、

 殺されかけてしまったことなどを淡々と述べた。


 若干、いや、随分と主観的になってしまうが

 それは仕方のないことだろう。



「そうか。それはきっと、

 この前の金持ちの爺さんの孫だと思うぞ。

 おそらく、遺産相続の件で相当揉めたはずだ」


「知ってるの? あれからのこと」



 夢籠は目を瞑り、首を横に振ることで否定を表す。



「いいや、知らない。

 だが、なんとなくそんな予想はできた。

『金に汚い』と言っていた親戚共が

 そう簡単に諦めるはずないからな」



 あまりにあっさりと言い切る夢籠に、

 思いの外、嫌悪感は抱かなかった。

 生じたのはそう、単純な疑問くらい。



「ねぇ夢籠、訊いてもいい?」


「何だ」



 それは、本当に純粋な疑問だ。



「夢籠はそういうことを予測していて、

 あえて、止めなかったの?」



 夢籠は戸惑う素振りすら見せず、断言する。



「そうだ。俺たちの役目は、

 彷徨い人を明るい方へ導くことでも、

 幸せにすることでもない。

 ただ、『願い』を叶えることだ」



 僕はその答えでは物足りず、問い続けた。



「たとえそれが、自分や誰かを不幸に陥れるものでも?」



 夢籠は予想していたかのように、即答した。



「それでも答えは変わらない」



 呆れや嫌悪をすっ飛ばして、潔いと感じてしまった。

 そこには以前、

 夢籠から言われた「信念」というものが

 確かに存在していると汲み取れた。


 信念を貫く夢籠はちょっぴり格好良くて、

 憧憬を抱きかけた。

 でもきっと、僕にはできない。



「そっかー……揺らがないって大事だね。

 僕も、あくまで『願いを叶える』ことに徹するよ。

 僕は感情移入しやすいタチだから、

 そうする方が楽だなって」



 少しくだけた笑みを浮かべてみる。

 肩の力を抜いた、と言えば、分かりやすいだろうか。



「ふっ……そうだな」



 その間は、夢籠の口角が上がり、

 目元が和らいだ気がした。



「夢籠……笑ってる方がいいよ。

 鼻で笑われたのは癪に障るけど」



 僕がそんな生意気なことを口にしたのが、

 それこそ癪に障ったのか、

 夢籠は僕の額を指先で弾き、苦言を呈してきた。



「そんなことを言っている暇があるなら、

 今日の夢の対策でもしてろ」



 途端に冷めた表情にすり替わってしまった

 夢籠の言葉はなんとなくそっけない。

 突き放すような物言いに感じる。



「そう言われても、調べようがないよ。

 前の依頼主の孫の住所なんて知らないし、

 それどころか、顔すら分かりようがないから」



 夢籠は、僕の呟きを聞くなり、

 はぁぁっと深い溜息を吐き出した。



「……じゃあ、連れて行ってやるから、

 それから対策を練るぞ」


「え、え、どういうこと――」



 突拍子もない話についていけない僕を余所に、

 身に覚えのある圧をかけた。



「分かったら、さっさと俺の手を握る。ほら」



 困惑しつつも、

 夢籠に逆らえない僕は差し出された手を取り、

 しかと握り締めた。



「そのまま、手、離すなよ?」



 妖しげな笑みを浮かべる夢籠の

 一挙一動を見守ってみる。

 すると、小声で何かを呟いたかと思しき直後、

 夢籠の身体が透けて見えた。


 あまりに衝撃的で、

 思わず手の力が抜けてしまいそうになった。

 しかし、夢籠の脅しのような言葉が

 胸の中で反響したお陰で、

 なんとか離さずにいられた。


 それに、

 驚くべき箇所はそれだけでは終わらなかった。



 夢籠と繋いでいる手から、

 僕の身体もだんだんと透けてきた。



「え、えっ、何これ……」



 いちいち狼狽える僕の様を見て、

 夢籠は簡素な説明を施してくれた。



「俺が透明になるときと、同じことしているんだ。

 ちなみにこのままだと、見えないだけで実体はある。

 今から、夢に出てきた彷徨い人を見に行く。

 そこで、浮遊する必要があるし、

 実体があると色々と面倒だから、幽体になるぞ」



 色々と説明が省かれている気がするけど……

 今はそんなことを気にしている場合でもないかな。



「僕はこのまま、夢籠の手を握っていればいいの?」



 だから、必要なことだけ訊くことにした。



「ああ。しっかり握っていろよ」



 夢籠が何かを呟くと、

 僕らの身体はさらに透明度を増した。

 お互いの身体ですら、目視するのがやっとのほどだ。

 試しに、壁に触れようとしてみると、

 ふわっと弾かれたり、

 壁をすり抜けていくのが分かった。



「わぁー本当だ。実体がないやー」


「こんなことではしゃぐなんて、子どもみたいだな」



 夢籠の揶揄も特に気に留めず、僕は続ける。



「夢籠には世界がこんな風に見えていたんだね」


「……分かったようなこと、言うな」



 そうやって、僕の髪をかき乱した夢籠の手は、

 いつになく優しかった気がする。

 優しくて、寂しそうだった。



「うん、ごめんね」



 僕はまたへらっと柔い笑みを浮かべて、謝った。

 すると、夢籠は例のごとく、ふいと顔を逸らしてしまう。

 こういうところはツンデレっぽくて、

 それなりに可愛いと感じてしまうな。



「じゃあ行くぞ」



 夢籠が僕に声掛けをしたのも束の間、

 僕が瞬く間に、

 僕らの身体(幽体)は宙に浮遊していた。



 なんとなく見覚えがあるような光景だった。

 あぁ、某アニメの飛行シーンかな。

 これが男女ならともかく、

 僕らではときめきも何も生まれない。



「ほぁぁ……」



 胸を弾ませるのは、

 せいぜい上空から見下ろす町の景色の美しさくらいだ。

 土地開拓の手がそこまで加わっていない

 町の風景はどこか優しくて、心を穏やかにしてくれた。



「もうすぐ着くぞ……

 やっぱりお前、子どもみたいにはしゃぐのな」



 夢籠に笑われるのも、時期に慣れてしまいそうなほどだ。

 僕は自分で思うよりずっと、

 精神年齢は幼いのかもしれないな。


 縁が生きるか死ぬかの大事なときに、

 無邪気にはしゃいでしまうなんて、呑気だ。



「…………」


「そんなことないと思うぞ」


「えっ」



 思わず、夢籠の顔を確かめた。

 どうして、僕の心の内を

 見透かしたようなことを言うのだろう。



「こんなときだからこそ、

 素直に楽しむことって大切だと思うぞ。

 お前のそれは、

 呑気でも脳天気でもない、純心なだけだ」



 夢籠が不意打ちのごとく、そんな温かい言葉を囁いてきた。

 だから、僕は上手く対処できなくて、

 つい、毒吐いてしまう。



「……夢籠が優しい言葉かけるとか、

 なんか、不気味」



 誰かさんを真似るように

 そっぽ向きながら、そう呟いた。



「うっせ。別に思いやりとか、そういうのじゃない。

 ただ思ったことをそのまま口にしただけだ。

 俺は優しくなんかない」



 夢籠はそう言うけれど、

 本音で誰かに温もりを与えられるなら、

 それだって優しさだと思う。

 いや、むしろ、

 優しい人(人ではないけれど)に感じる。


 たとえば、夢籠の優しさは見当違いだったり、

 的外れだったり、

 半ば嫌がらせだったりもするけれど、

 それは思考した結果だ。


 だから察するに、夢籠は考え込むと、

 深読みしてしまうタチなのだろう。


 だから、あまのじゃくで、自由奔放で、

 非情気味で、腹黒で、ひねくれている。


 しかしそれは、計算した末の結果だとしたら、

 夢籠はある意味、とても思慮深い。



 人に愛されないように、憎まれるように、

 情を持たせないようにしているのだとしたら……? 



 ただ、この想像が合っているなら、

 夢籠は馬鹿なくらい、不器用だ。


 そこまで徹底して、

 自分が嫌な奴にならなくたって、

 いくらでも突き放す方法はあるだろうに。

 それは選ばなかった。


 自分に関わるそれら全てを、

 これ以上傷つけたくなかったから

 ――その割に抜けているのか、

 時折、優しさを見せてくる。


 しかもそれを、自分のためだと言って誤魔化す。


 これらは僕の憶測でしかないし、

 夢籠に妄想がすぎるとでも言われてしまえば、

 お仕舞いだ。

 だとしても僕は、夢籠を心から憎めやしない。



「そうだねー。夢籠は、

 悪口や誹謗中傷に関しては、口が立つもんねー」



 こんな風に皮肉ってみたけれど、

 夢籠は相変わらず、ひねくれている。



「それはどうも」



 いや、褒めてないから。

 でもまあ、この方が夢籠らしいか。



「ふふっ」


「何にやけてんだか、気色悪い」


「なっ――」


「静かにしろ。もう着いたから」



 腹を立てたが今はそれどころではないと

 怒りを腹の底に沈めた。


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