ドラマツルギー


 契約の欠片を使って、彼のいる老人ホームを特定した。

 ナビゲーションしてもらい、

 徒歩で一時間ほどかけて、

 なんとか辿り着くことができた。


 個室のネームプレートには、西田幣造と記されている。



『なんか、あの爺さんにぴったりの名前だな』



 夢籠の何気ない一言で、

 僕は思わず吹き出しそうになるのを抑えようとして、

 結局、むせかえってしまった。



「っけほっ、ごほっ、げほっ」



 すると、夢籠も僕の慌てぶりに驚いたのか、

 心配そうに(かどうかは分からないが)声をかけてくれた。



『おいお前、大丈夫か……

 そんなにむせかえるほどのことでも

 ないように思うけどな』



 本音は思い切り口に出してしまうのが夢籠である。



「だって……

 僕も似たようなこと考えてた、から……」



 そのときの夢籠の表情はおろか、

 姿さえ見えなかったけれど、

 彼の表情を推測することは容易だった。



『もう平気だろ?

 だから、さっさと爺さんに話をしようぜ』



 僕は頷く代わりに軽く三回ドアをノックして、

 相手の応答を待った。


 こうして、耳を澄ましていると、

 周囲の状況がよく分かる。

 きっと、部屋の向こうの主は何もしていないのだろう。


 本の頁を繰る音や、

 新聞をめくる音さえ聞こえてこない。

 僅かに耳に触れるのは、

 石油ストーブの轟々と炎を燃えたぎらせる音くらいだ。



 僕がこうして状況把握をしてる間も、

 部屋の向こうの主は微動だにしない。

 思いの外、思慮深い人なのかもしれないな。


 そんなどうでもいい僕の憶測で微笑みかけたとき、

 小さくても重みのある声がこの空間に響いた。



「どうぞ、入ってください」



 ふと、頭をよぎったのは

 こんなどうでもいいことだ、

 夢の中で話したときと口調が異なり、敬体だな。


 しかし、そんなことに構っている暇があるわけでもない。

 僕は、夢飼いという未知の生物?

 になりきって、無機質な顔を創り出してみる。


 胸の内や腹の中を見透かされないように。



「はい」



 手を伸ばした引き戸の取っ手は、

 ひどく冷め切っていた。

 そのせいか、この空間が厭に淋しく思えた。


 大きな物音を出さないように、

 力加減をして引いた戸の向こう。


 昔懐かしでいかにもな昭和の爺さんが、

 気怠そうにベッドに横たわりながら

 こちらを観察していた。



 まあ、平成生まれの僕の主観的意見であり、

 この時代の彼らからすれば

 至極平凡なのかもしれないけれど。

 それにしても、

 思っていた以上の強面で石頭そうな風格をしている。


 これじゃあ、夢の中での話や僕の存在なんて、

 信じてもらえそうにないな。

 いや、信じてもらわないと

 話は先に進まないのだけれど。

 それでも、お互い早く事を進めたいのは同じはずだ。

 そこに賭けるしかないだろう。



『ほら、さっさと話しかけろよ。

 どうせ、時間がかかりそうな相手なんだからな』



 優柔不断で熟慮気味な僕に多少の苛立ちを覚えてか、

 夢籠は早く接触するよう催促してくる。


 言われなくてもそんなこと分かってるよ。

 でもまあ、背中を押してもらって、

 少しは気が楽になったかな。



『ありがとう、夢籠』



 心の中で小さく呟くと、僕は一度俯いた。

 そこで、表情を作り替えるために。

 そう、綺麗なお澄まし顔がいいだろうか。


 答えが決まり、さっと顔を上げてみる。

 その流れのまま僕はゆっくりと歩き出した。


「西田幣造」すなわち、

 僕の依頼主に近寄るべくして。 



「こんにちは、西田幣造さん」



 極めて、毅然たる態度で声をかけたが、

 相手の反応はいまひとつだった。

 不審そうな眼差しだ。



「……お前、誰だ?」



 忘れかけていたけれど、

 今の僕の身体は小学校高学年から

 中学生程度の容姿をしているのだった。

 そんな年頃の子が、

 平日の昼間からこんなところをうろついていたり、

 毅然たる態度をしている。


 そう考えれば、不自然なのは当然か。



 それと夢の中では、

 嫌みったらしい笑顔を浮かべていたっけ。

 あんな暗闇では表情なんて、と思っていたけれど、

 漂う雰囲気が異なるのだろう。


 それじゃあ、あのときのように思い切り笑ってみよう。

 細かい説明なんかはその後だ。



「僕ですよ、

 お爺さんと夢の中でお会いしましたよね?」



 にっこりしたまま、

 幣造さんの返答を気長に待っていると、

 彼は重い腰を上げ、ベッドに座り直したのである。

 間近で僕の顔をじっと見つめ、こう呟いた。



「……あのときの奴か。

 思っていたより子どもなもんで、気づかなかったよ」



 ひとまず、一段階はクリアしたようだ。



「そうですか。

 でも、中身は見かけより随分と大人ですよ?」



 冗談混じりに茶目っ気を加えて、言ってみた。

 外見年齢を使った場を和ませる小技である。

 と言っても、彼にこんな技は効かないだろうが。


 幣造さんは切羽詰まっているようで、

 構わず強引に話を進めようとする。



「そんなことより、

 本当に願いを叶えてくれるんだろうな?」



 その瞳に余裕は感じられない。

 何なら、周囲が何も見えていないといった様子だ。

 何かに囚われているようにさえ見える。



「もうー、せっかちですね。

 もちろん、叶えて差し上げますよ。

 代償に貴方の残りの寿命を頂くわけですから。

 そこの辺りはきっちりしてます……

 そもそも、そのためにわざわざ、

 ここまで足を運んだんですから、ね?」



 表情だけでなく、

 言葉まで嫌みったらしくしてみた。

 加えて幼い容姿を使い、かわいこぶりっこする。

 けれど、その実、首を傾げたあざとさは、

 可愛さと言うよりも、

 圧力に近しいものだった。


 幣造さんだって、ぼけているわけでもない。

 暗闇の中で交わした約束と、

 暗黙の了解というやつである。

 幣造さんは静かに首肯した。



「ああ……分かっているさ。

 ほら、これが土地の権利書、

 通帳の諸々と遺書だ」



 「遺書」その言葉を耳にした途端、胸がざわついた。

 遺書、遺す――それはすなわち、

 「死」を意味するもの。


 ここで僕は再認識し、しかと自覚した。


 彼の、幣造さんの命を奪うのだと。


 その罪はあまりに重くて、償えないもの。

 一生かかっても、

 人としての生を棒に振ったとしても、だ。



 僕はその重荷に怖じ気づき、

 逃げ出してしまいたくなった。

 逃げたって、行き場などどこにもないのに。

 むしろ、逃げてしまえば、縁の命は再び潰える。

 助けられなくなる。


 罪悪感と『縁』を助けたい気持ちとの

 ジレンマに陥った僕は、

 過呼吸に類似した何かを発症させた。

 人間じゃないから、

 風邪なんて引かないのだと夢籠は言っていたのに。

 けれど、夢籠はこうも言っていた気がする。



『精神病とかはともかくな』



 人間ではない僕でも、

 精神を病ませることはあるらしい。

 つまりこれは、

 精神的な発作のようなものなのだろう。


 心だけでは足りず、

 身体的な痛みまでもが僕に猛威を奮う。


 苦しくてたまらず、自分の首元に手を伸ばして、

 ぐっと力を入れて握り込んだ。

 痛いけど、

 何かから解放されそうな気持ちになりかけた。


 そんな僕の手を阻んだのは、夢籠だった。



「何してんだ、やめろ」



 静かに、けれど確かな怒気を含んだ声をしていた。


 戸惑う僕になど当然夢籠が構うはずもなく、

 強引に僕の両手を引き剥がした。



「っ……かはっ、けほっ、げっほ」



 もう少しで解放されそうだった痛みにまた引き戻されて、

 現実に帰ってきたら地獄のようだった。

 心も、喉も、痛い。


 ひどくむせかえり口元を覆う僕の隣で、

 夢籠は僕の背中をさすって、こう囁くのだ。



「大丈夫、大丈夫だから、

 自分の守りたいものだけに目を向けろ。

 自分の一番大事なものを守ることを信念にするんだ。

 そうすれば、迷わないし、多少だが苦しみは和らぐ

 ……だから、お前のやるべきことを見失うな」



 きつくはないが、

 力強く背中を押されているように感じられた。



「うん、そうだね……」



 僕はなんとか持ち直し、再度、幣造さんの前に立つ。



「平気か?」



 依頼主、彷徨い人のどちらでもある

 彼にこんなことを言わせるなんて、

 僕はまだまだ未熟だ。


 だからこそ、無理矢理でも笑顔を作り、誤魔化してみる。



「はい、大丈夫ですよ。

 無駄な時間を取らせてしまい、すみません」



 踏み込まれてはいけない、弱みなんて見せてはいけない。



「ああ、それは別に構わないが……

 あんたに渡すべきものはすべて渡した。

 これで、願いは叶えてもらえるか?」



 幣造さんのしわくちゃな顔の中心にある目が、

 確実に僕の顔を捉えている。

 真剣そのものの表情でそのうえ、

 彼の瞳は澄んだ色をしていたのだ。

 もちろん、年の割に、という意味ではあるが。


 それでも、覚悟を決めた人間の瞳は

 こんなにも綺麗なのかと、感心するほどだった。

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