一話:初めての訪問者

夢を飼う者


 目を開いて見えた先には、

 幽霊でも出そうな館が聳えていた。


 蔦か何かの植物が館のそこら中に絡み付き、

 その周囲は陰のある色をしている。

 そのせいか妙に物々しい雰囲気を纏い、

 周囲の木々と融合しているかのごとく、

 余計に近寄り難い何かを放っていた。


 さながら、僕らの存在のようだった。



「ここって老朽化が進んでて、

 建物に植物が巻き付いてるし、人は住めなさそうだね」



 僕らにはお似合いだ。

 そんな意味を含めて、吐いた言葉だった。



「そう言えばそうだよな。

 俺はなくても平気だけど、

 さすがにそのまま暮らしてたりしたら、怪しいか。

 よし分かった」



 僕が瞬く間に辺りは一変していた。


 館のしがらみのごとく巻き付いていた植物は一掃され、

 チョコレート色の煉瓦が自己主張している。


 いつの間にか夢籠は新しい衣服を手にしていた。

 また、それを僕に投げつけて、言い放った。



「服を用意してやったから、それに着替えろ。

 体格に合わない服を着せたままだと、

 さすがに怪しまれるからな。

 はぁー、全く、感謝してほしいもんだ」



 一応世話を焼いてもらったのだし、

 お礼くらいは告げても構わないだろう。



「あ、ありがとう」


「ん」



 感謝され慣れていないのか夢籠は、

 そっぽを向きつつ、さっさと服を着ろと促してくる。


 性格がひん曲がっているせいで分かりにくいが、

 彼は不器用なだけなのかもしれない。



「わぁ、ローブ以外はすごくぴったりだ」



 僕の着替えた姿を見て満足した様子の夢籠は、

 ぼそっと何か呟いていた。



「じゃあ、ついでに俺も着替えておこうかな」



 そうかと思うと瞬時に着替えしていた。

 真冬にはいたく不釣り合いだった浴衣が、

 コートとニットのセーターとズボンという、

 無難な格好に変わっている。


 その日はそれ以外特にすることもなく、

 眠りに就いた。



  *



 暗闇の中にポツンと立っている僕がいる。

 水面のような足場だった。

 そこに、一つの長い何かが現れた。



「だ、誰?」


「…………」



 沼から這い出るように暗闇からそれが揺らめき、

 それはいたく恐怖の対象となった。


 胸を圧迫されるような緊迫感がある。

 未知のものが怖いのは本能的なものだと言うが、

 その表現は的を射ていた。



 僕の上擦り声を受けて、

 対面する主の影がふらふらと揺らめく。

 光が差さない暗闇のせいか、

 目を閉じているのと同じように輪郭は捉えられない。



「もしかして、願いを叶えに来たんですか?」



 すると不安定に揺らめいていた影が、

 はっきりと首を縦に振った。


 そっか、そうだったのか。


 つまり彼(と仮定して)は、

 夢籠の言っていた「彷徨い人」という者なのだろう。

 残りの寿命と引き替えに願いを叶えにきた。


 それだけのオモイが詰まった何かを背負って、

 ここに立っている。



 僕なりの思い巡らせていると微弱で希薄な声音で、

 彷徨い人は何かを語りかけてきた。



「わしの残りの命なんぞはくれてやるから、

 願いを最期の願いを聞き届けてくれ……」



 嗄れてくぐもった中にも、

 芯が通っているようにその声は聞こえた。



「ではまずは、その願いから聴かせてください。

 それから貴方の願いと代償が釣り合うか判断します。

 話はそれからです」



 僕は大きな虚栄を張った。


 分かってる。

 僕には選ぶ権利もなければ、

 拒否する余地だって残されていないこと。

 でも、誰かの魂を奪い取るほど

 剛胆な気性は持ち合わせていない。

 内心、震えている。


 いっそのこと傍若無人になれてしまえたらいいのに。

 そうしたら、少しは楽になれるだろうに、と。



 しかし彷徨い人からすれば、

 叶える側のすなわち、

 僕の心情や内情なんて関係がない。

 自分のことで精一杯で事足りないが故に、

 僕を頼ってきたのだから。

 夢飼いである、僕のことを。


 しっかりしなくちゃいけない、

 彷徨い人がどんな結末を迎えるとしても、

 たとえ不幸になろうとも、感情移入なんてしていられない。


 できるだけ冷血に、淡泊に、

 非情でいるように努めなければ――あ。

 

 心なしか、

 それはどこかの気まぐれ猫と酷似していて、

 笑えてしまえた。



「どうした?」


「いいえ何でもありませんよ。

 どうぞ、貴方の物語をお聴かせください」



 そう少し嫌みったらしく、

 怪しげに口角を上げて、笑ってみる。



「あ、ああ……分かった」



 彼は一呼吸の間を置いて、その人生を口にした。



「わしは、もう先の長くない老いぼれだ。

 若い頃は力仕事を任されていたのに、

 情けないことに今ではすっかり穀潰しでな。

 しかも、

 自分で自分のことすらロクにできないんだよ。


 そのせいで、わしは老人ホームに入れられた。

 まだいい方だ。

 子どもたちからは、

 早く死んでほしいと思われている。

 そのうえ、老人ホームを訪ねてきたときは、

 金の話ばかりしてきた。

 子どもの学資やら、投資やら……

 薄ら寒い笑顔を浮かべて、

 媚びを売ってくるばかりで誰一人、

 わしの体調の心配をする奴などいなかった。


 そんな中孫の梨奈だけが、

 下心のない話をしてくれた。

 だからこそわしの生き甲斐は孫だけだった。

 梨奈は純真で可愛かった。


 でも、最近になって、

 辺境地にある老人ホームには訪れてくれなくなった。

 孫の足では到底来られる場所ではないから、

 子どもたちが連れてきてくれていたのに、

 それもすっかりなくなってしもうた。


 死に時だろうとは思うがあんな金に

 薄汚い子どもたちに一銭たりとて遺したくはない。

 ならばいっそ、全て孫の梨奈だけに遺産を託したい。



 そこで、わしの願いだが、

 孫の梨奈に金が渡るよう取り計らってほしい」



 老父の話を聴いて、疑問に思ったことがある。



「お子さんがいるなら、

 奥さんはどうなされたのですか……?」



 普通の人にならまずこんなことは訊かないだろうが、

 願いを叶える相手になら、訊かないといけない気がする。

 それが彼の願いの根底となり得るかもしれないから。


 彼は押し黙り、じっと俯いていた。

 しかし、決心したように顔を上げて、答えてくれた。



「もう随分前に、みまかってしまったよ」



「みまかる」


 それは、身内が死んだときに使う言葉だ。

 すなわち、彼の奥さんはとうに

 亡くなってしまったということだ。



「そうでしたか。

 大事な人が自分よりも先に逝く

 というのは甚だ悲しいことですよね」


「おまえさんも、亡くしたのか?」


「え?」


「大事な人を失ったのか?」


「……いいえ、亡くしてはいませんよ」



 僕の傍にはいなくなってしまったけれど。

 まだ、死なせはしないよ。



「……そうか。

 それで、願いは叶えてくれるのか?」



 自分に矛先が向いてきたために

 動揺して本題を忘れてしまっていた。

 不甲斐ない。


 僕は夢飼いに教えられた通りに、

 彼の心臓めがけて手を翳してみる。

 すると、手元がぽわぁっと明るく灯った。


 そこに浮かび上がる文字は僕にだけ見えるらしい。

 浮かぶのは、「三年」という時の長さ。

 それだけしかないと思うのか、

 それだけもあると思うのか。僕の解は、後者だ。

 今は一分一秒だって寿命が惜しい。


『縁』が生きられるための時間が欲しいから。

 それだけあれば十分だ。

 彼の願いを叶えるのも、

 代償との釣り合いも取れよう。


 ただそれだけの命を頂戴するなんて、

 大層なことを、

 実行に移してしまってもいいのだろうか……。



 おそらく最低なまでに残虐であるというのに、

 僕の答えは決まりきっていた。

 地獄があるなら、

 きっと僕の魂は地獄に落ちるだろう。

 他人の命も顧みない非道な奴だから。



「はい、お受けしますよ。

 貴方のその願い、叶えて差し上げましょう」



 お決まりの怪しげな笑みを浮かべて、そう答えた。

 すると彼の影は消え、その闇が閉じた。


 張り付いた笑顔は氷のように冷たくて、痛かった。 



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