人間に非ず

 彼の言葉が僕の思考回路を駆け巡り、

 他のことなんて考えられなくなった。

 何か大事なことを忘れている気がするのに、

 それが何かさえも分からなくて。



「分かりました」



 だから僕は、彼の誘いに乗った。

 その悪魔のような囁きに

 迂闊にも頷いてしまったんだ。

 その先に待つ道が、

 絡み付く泥沼の夢だとも知らず――。



「さて、まずは、お前の婚約者を

 瀕死から救うための代償だが……

 お前が生きてきた十数年分の魂を頂く」



 彼の誘いに頷いてしまった僕に、

 拒否権なんてないのだろうが彼は有無を言わさず、

 僕の身体から十数年分の魂を取り出し始めた。

 それが終わる頃には、なぜか――。



「何これ、身体が小さくなってる!?」



 彼は当然のことだと言うように、

 鼻で笑いながら補足説明をしてきた。



「そりゃあ、十数年分の魂を取ったんだから、

 幼少化するのは当たり前だろ。

 これでも、お前が死なずに代償を払えるようにしただけ、

 親切なほうだと思うけどな」



 彼はまたも、厭な笑いを浮かべる。

 腹に一物どころか十物は抱えていそうな奴だ。



「そうですか」



 怒りを露わにしないよう最低限の言葉に抑えることにした。

 しかし、彼の残忍さはここで終わりではなかった。



「次に、延命のための代償だが……お前には夢飼いとして、

 夢に訪れた彷徨い人の願いを叶えて、

 魂の欠片を集めろ」



 彼の話は突拍子もない上に、

 説明が端的すぎて理解にできるものではなかった。



「どういうことですか、

 もう少し詳細を説明してください」



 彼はやれやれと言ったように大仰な溜息を吐きながら、

 陳述し始めた。



「お前には人としての生を諦めてもらう。

 早い話、人間ではなくなるってことだ。

 俺がお前に能力を与えて夢飼いという存在に変えてやる。

 その能力を使って魂の欠片を集めたら、

 その魂の欠片を延命用の寿命に変換して、

 お前の婚約者に与えるってわけだ」



 今さら嫌だとかごねたりはしないが、

 それは純粋に浮かんだ疑問だった。



「僕は死ぬ、ってことですか?」



 彼は少し困ったように頭を掻いて、

 上手い答えを模索しているようだった。



「あぁー、ちょっと違うかな。

 この世界でお前は死んだことにはなるが、

 実質今この場にいるお前(の身体)が死ぬわけじゃない。

『そういうことになる』って意味だ。分かるな?」


「は、はい」



 相変わらず、有無を言わせない人だ。



「だからこれから夢飼いになるお前は、

 どこにも存在しないはずの存在になるってことだ。

 だから死んでもいなければ、

 人間でもないってことになるんだよ。

 あぁ言いそびれてたけど夢飼いになったらお前は、

 俺と一緒に次元と時間を遡ってもらう。

 つまりだ、お前の婚約者がまだ生きている向こうの世界の、

 二十六年前に行く。

 そして、そこで俺と共に行動し、

 魂の欠片の収集をしてもらう。

 それにしても婚約者の行く末を見守られる時間に

 飛ばしてあげる俺って、超やっさしー」



 いきなり口調が変わったかと思えば、自画自賛だった。


 それに実際、親切でも何でもないだろう。

 大方、彼の趣味でそうしているんだから。

 その証拠に彼は今だって、

 不敵な笑みで僕を眺めている。


 ただそうだとしても、

 僕には選択の余地なんて残されていやしない。



「分かりました。だから、縁を助けてください」



 こうして、頭を下げて乞うしかない。こんな奴に。



「了解した。それじゃあこれから末永くよろしくな。

 あぁそれとお前の名前、『浪川透夜』はこれから使うなよ。

 お前は『浪川透夜』であって『浪川透夜』ではないんだからな。

 だから、お前は今日から『夢飼い』だ」

 


 名前はアイデンティティーだと、何かで聞いたことがある。

 それなら僕は、

 アイデンティティーを失うことになるのだろう。

 しかしこれも縁のためならば、耐えられる。


 ふと、頭を掠めたことが妙に気になりだした。

 特に深い意味などないはずで、単なる疑問だ。

 自分にそう言い聞かせて、

 胸に生じたわだかまりを消滅させようと、

 彼に問いかけてみた。



「あの、じゃああなたの名前は何ですか?」



 彼は目をぱちくりさせたかと思うと急に吹き出し、

 腹を抱えて笑い出した。



「あっはっは、ははっ……いやー、

 今まで、初めてそんなこと訊かれたよ。

 君は本当に面白い奴だなぁー」



 失礼な上に答えになっていなくて、ムッとした。



「…………」


「ああー笑った笑った。名前だっけ、

 俺の名前はな――夢籠だ。お前とお揃いだなぁ。

 いや、お前が俺とお揃いなのか。

 まあ、どっちでも同じことだけど」



 そう言うと、彼、もとい、

 夢籠はどこか淋しそうな顔を見せた。



「不覚ですけどね。

 そもそもあなたが名付けたんですから、

 そりゃあそうでしょうよ」



 夢籠は元気を取り戻したように、

 また笑みを浮かべる。



「そうだなぁー。あぁそれと、

 これから末永くやっていくわけだし、

 敬語はなしにしておこうや」



 調子いいが、正直そちらの方が楽ではある。

 こんな奴に敬語を使うのは些か面倒だから。



「分かった。じゃあ、よろしく夢籠」


「あぁ、よろしくな夢飼い」



 夢籠の名前はともかく、

 自分の名前が夢飼いであることに慣れない。

 違和感どころではなく、

 どこかの他人が呼ばれたかのような感覚に陥る。

 そのせいか、

 どうしても反応が遅れがちになってしまう。



「……あ、あぁ、うん」



 名前なんてただの記号で、

 身体の方が重要な気がするけれど

 思いの外、そうではないらしい。


 愛おしい存在を救うために、

 僕は夢飼いになったんだ。



 僕がどうしようもない物思いに耽っている中、

 夢籠は僕の目前に手を差し出していた。



「まあ、形だけでも仲良くしておこうよ」



 既にこいつの手を取った後だ。

 さほど怖いものはない。

 しかし何だろうかどことなく抵抗を覚える。

 心の反抗を押さえつけて僕は手を伸ばした。

 夢籠は強引に僕の手を握る。


 そのとき、微かにこんな言葉が聞き取れた。



「絶対離すなよ」



 思わず無理矢理握られた手に力が入った。

 額に浮かぶ生温い汗は、人間のそれとよく似ていた。

 怖じ気づいた僕は固く目を瞑り、

 夢籠に肩を叩かれるまで目を開けられなかった。



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