第5話 順平の転校
その夕食から1日おいて、山戸と牧山は、順平の母の洋子に連絡を取って、父の涼平が早めに帰って会えるこということで、午後7時に吉川家を訪問した。
しかし、玄関に洋子が出てきて告げる。
「すみません。まだ帰っていませんが、今会社から向かっている所ですので、ちょっとお待ちください」そして彼らは応接室に通された。
洋子がお茶の準備に行く一方で、部屋には順平も付いてきて話しかける。
「おかげさまで、転校は出来そうですね。でも、どの程度授業を受けなくてはならないんでしょうか?」
「うん、そのあたりもお父さんが帰ったら話すけど、今、君の論文に基づいて大車輪で実用化の準備をやっているところだ。当然、君の援助も期待している」
そう牧村が言うのに順平が応じる。
「そうでしょうね。あれを実用化しない手はないものね」
そこで、車が止まる音がして、続いて玄関が開く音と足音と共に応接のドアが開く。「ああ、すみません遅れまして」
セールスマンらしく背広を着て、少し太り気味で大柄な涼平は、靴を脱いで応接室に入ってきて、立ち上がる2人の学者の前に来て、キチンと頭を下げて言う。
「初めまして、吉川涼平です。順平の父です。ちょっと、出がけに電話がありまして遅れました。今日は順平のことで、お話があるとか」
「はい。私は、江南大学の理学部長を勤めている、物理学科の教授の山戸進と申します。夜分押しかけて申し訳ありません」
「私は、山戸教授の教室で准教授の牧村正樹と申します」
山戸と牧村から、順平から論文を受け取ったこと、それが極めて画期的であり、またその応用が実現すれば、日本のみならず世界へ極めて大きなインパクトがあること、すでに実用化の準備に入っていることが話をされた。
さらに順平が、今の小学校教育にはいかにも不向きであり、江南大学の付属小学校に籍をおくことで、大学へ実際的に属するようにしたいこと、などが説明された。
これを受けて、父の涼平の長い述懐があった。
「実は、私ども夫婦も順平の知能が異常に高いことは気が付いていないことはなかったのです。幼稚園のとき、IQテストで200を超えるような点数をとって、一時騒ぎになりかけたのです。
ですが、その後の再テストでちょっと高いかなという程度になったので、なにかの間違いということになりました。たぶん、そのころから世話をしてくれていた祖母から言われて、猫をかぶっていたのでしょうね。
小学校では、テストはほとんど100点でしたが、注意散漫とか通知表にはいろいろ書かれてきました。また、ちょくちょく休みもあり、学校から連絡はあったのですが、特に学校で問題を起こしているわけでもないようですし、学業には問題はないので、特に私どもから洋平にはとがめていません。
しかし、義母も亡くなって、さすがに何とかしなきゃとは思っていたところです。しかし、牧村先生のところにお送りしたという、そのような世界的にインパクトのある論文を書くレベルとは思いませんでした。
先生方から言われるように、付属小学校に転校して、大学にも行ってお役に立てるようになるということであれば、私どもも願ったりかなったりです。実は、私も江南大学の卒業生で、学生時代から付き合いのあった地元企業に勤めています」
それに対して、山戸教授が応じる。
「洋平君の転校について、承知して頂けるようでありがとうございます。
お父さんのことは、実は少し調べさせていただきました。江南メカトロニクスの機器販売課の課長をされているということ。2007年工学部機械工学部のご卒業ですね。
実は、先ほど申しあげた開発計画には民間企業も入っていただくのですが、地元にある四菱重工の工場が、開発の場所になる予定です。江南メカトロニクスさんは四菱さんとお付き合いはありますよね」
涼平が返す。
「ええ、四菱さんはどういっても江南市一の工場なので一番のお得意さんです。ところで、順平の論文がきっかけの開発と言われていますが、具体的には何を目指して開発されるのですか?」
山戸教授が簡単に説明する。
「これについては、当分は絶対秘密で進むことになりますが、核融合発電機です。今、10月ですが、なんとか1年以内くらいに試運転にこぎつけたいと思っています。
ちなみに、私と牧村はなんといっても理学ですので、具体的な装置化という面では疎いのです。だから、当大学としては生産工学科の山村教授に指揮をお願いしようと思っています」
「核融合!それならものすごい規模になるのじゃないですか」洋平は驚く。
「いえ、最小の規模として10万㎾程度のものを考えています」山戸が軽く言う。
「しかし、10万㎾の発電所と言えば、火力でも50億円以上で規模として小さくはないですよ」
洋平が返すが、さらに山戸が応じる。
「そこがこの開発の勘所でして、たぶん従来の火力、原子力に比べ3分の1程度の設備費になると思っていますし。10万㎾でしたら、ギリギリトラックに乗る程度と考えています。ところで、お父さんは発電関係の機器・設備のご経験がおありのようですね」
「はい、全体というわけではないのですが、熱交換機やエアフィルター等について手掛けています」
「どうでしょう。お父さんもこのプロジェクトに入っていただけませんか。会社に関しては私ども、また経産省、四菱からも交渉させますので」
「お父さん、ぜひ加わってよ。僕も、一緒にやれればうれしいな」
そこに順平が目を輝かせて割り込む。
「うーん、技術者としてそれほどの画期的なプロジェクトに一翼を担いたいという気はあります。しかし、今一杯に抱えている仕事をどうするか、すこし時間はかかると思いますが、できればお願いしたいですね」
涼平が考えながら言う。結局、さまざまな話で9時すぎまで話こんでしまった。
帰りの車で、山戸から、話し始める。
「お父さんの涼平さんにプロジェクトに加わってもらえるというのはありがたい。調べた結果では、相当優秀な技術者のようなので実際に大きな貢献をしてもらえると思う。なにより、順平君のことは早晩世に知れるとご家族のセキュリティの問題があるからね。そういう意味では、同じプロジェクトというのは管理しやすい。
出来れば、お母さんに関してもなにか考えたいところだね。病院事務ということだから、基本的な事務は出来るはずなので、プロジェクトの一般事務をお願いしてもいいな」
山戸は一旦言葉を切り、牧村に尋ねる。
「ところで、牧村君。特許の準備はどうかね」
「はい、明細書のたたき台はできました。あと出願者はどうするかですが、私、順平君は外せないと思いますが、他はどうですかね」
「この権利料は、莫大なものになるよ、我が国だけで年間2兆㎾時位の発電量で、間違いなく5年以内にはすべてこの方式に変わるだろう。設備について㎾当たりに加えて使用時の㎾時の特許料とするべきだとおもうけど、その場合㎾時当り0.1円としても、1千億円だからね。
海外までも間違いなく広がるので、同じ特許料としても年間1兆円を超えるよ。出来れば、大学内に法人を作って、そこに入るようにしたいと思っている。出願は個人名になるが、その法人と契約を結ぶようにするということだね。ちょっと、学長と話をしてみる。
ちなみに、明日弁理士の山木さんに来てもらって、できるだけ早く申請しよう。わかっていると思うけど、重要なポイントは押さえて将来抜け道を作られないようにお願いするよ。もっともあの論文からすると、ほとんど新規の内容だらけだから、基本の励起の部分を押さえておけば、大丈夫だろう」
「わかりました。この件は、経産省とは?」
牧村が尋ねるのに山戸があっさり答える。
「国に口出しさせることはないよ。あくまで、順平君とご家族には十分な金銭的な収入があるようにはする。だけど、ちょっと額が大きすぎるので、大学が窓口になるのが順当だろう」
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次の週、波島小学校でホームルームの後、担任の赤井幸子が、順平に「吉川君、ちょっと職員室に来てくれるかな」と言って、先導し、歩きながら言う。
「職員室と言ったけど、実際は校長室に行ってほしいのよ。先生も何の話が分からないのだけど、順平君は知っているかな」
「はい、転校の話だと思います」
「転校!引っ越すんだ。だけどなんで校長室へ?」
そこで、校長室に着いて、ノックする。
「4年2組の赤井です。失礼します。」と引き戸を開ける。
そこには、50歳くらいのやせ形の優しそうな顔した男性と、波島小学校の校長、および教頭が待っていた。
「赤井先生、ご苦労様です。吉川順平君だね。どうぞこっちに座ってください。赤井先生はそちらに」
校長がそう言い、順平を校長の正面で赤井の横に座らせる。赤井教師は脇の補助椅子だ。男性が話し始める。
「江南大学付属小学校の教頭の木村です。今日は、吉川順平君の転校の件で来ました。順平君は、江南大学のある研究室の先生と少し交流があって、出来たら研究の一環として、大学とすぐ連絡が取れる環境に来て頂きたいということになりました。
それもできるだけ急ぎたいということで、早急に私どもの学校に転校してもらいたいということです。今日はその件で参りました。なお、順平君のご両親は了解済です」
「具体的にはいつからになるのでしょうか」
校長からの質問に対し、木村がすらすらと答える。
「正式には、できたら来週月曜日としたいと考えています。なお、こちらの準備等がありますので、明日には私どもの学校に順平君に来てもらいたいと思ってします」
さらに順平に確認する。
「順平君、どうかな?」
「はい、僕は行けます」
順平は平静な顔だが、きっぱり言うのを確認して、木村は校長を向いて聞く。
「波島小学校側はどうでしょう」
校長は、赤井に目で尋ねた後、特に問題は無いとみて言う。
「結構です。しかし、あまりこういう話は聞いたことがないのですが、どういうことでしょう」
「まあ、そうですね。順平君には特殊な才能があることがわかって、その才能を生かすためには、大学がかかわっていた方がよい、ということです」
木村がはっきりは言わないが、本人も良くは知らないのだ。
「それにしても、県の教育長から話があるとは……」
と校長は、県からも話が合ったことで更に知りたがる。
「ちょっと、特殊な条件がありまして。ただこの件にはいろんな事情がありまして、特に順平君のため、外には漏らさないようにお願いします。どうしても答える必要があるときは、今回の話は家庭の事情ということでご返事をお願いします」
そのように、木村は知らないは実際のところは答えず曖昧に応える。
木村が帰り、順平を教室に帰らせた後、赤井教師が校長と教頭に尋ねる。
「あの…、今回はどういうことなんでしょう?」
「僕にもよくわからない。ただ、話は相当上から来ているね。教育長もかなり緊張していた」
校長がそう答えるのを見て、教頭から赤井教師に逆に聞く。
「ところで、吉川順平君のことは成績に関しては最優秀だけど、ずる休みしがちだと聞いているが、君の感じではどうなの」
赤井は、うつむいて少し考えて言う。
「あの子は、授業で聞いていることは、全部教えられる前から理解していると思います。それでも、それを外にださないように慎重にしゃべっている感じですね。
その実際のレベルがどの程度かはわかりません。でも、私どものレベルを超えているのではないかと思うことがあります。ですから、あの子のためには、転校は、それも大学に係るこということであれば、いいことだと思います」
翌日、順平はバスで、大学に隣接する付属小学校に約束の午前9時前に到着した。
昨日は、最後の授業の時に、赤井教師が順平の転校のことをクラスの皆に話をした。付属小学校に転校ということで、ざわつきはしたが、特に友達もいない順平であるためか、特に個人的な話をしてくる子もいず、あっさりしたものであった。
「木村教頭先生から呼ばれてまいりました」
正門にいる守衛に言うと、老年の守衛が答える。
「ああ聞いているよ。あの建物の玄関から入って、スリッパに履き替えてね。そこから左に行って、20mくらいのところに、教頭室という掛札があるから、その部屋に入ってね」
順平は今日呼ばれた趣旨がわからず、すこし不安に思ってはいたが、今後、大学生に 交じって授業等を受けるのに比べるとたいしたことではないとは思える。教頭室の木村は、前に会った印象と同じ優しそうだった。
「いらっしゃい。どうぞそこの椅子に腰かけてください。今日は、吉川君にこの学校でどういうことをしてもらうか決めるために、少しお話しようと思って来てもらいました」
木村は続けて言う。
「吉川君は、相当に変則になりますが、それでもこの学校の生徒という立場になります。その中で、大学の授業を受けたり、研究をしたりということもやってもらうことになるようですが、吉川君の10歳という年で、必要な小学校レベルの教育は受けてもらいます。例えば、体育とかね」
「ええ、僕はサッカーが大好きです。でも、大学生とはできないな」
「そうだろう。体育は小学校で授業を受けてもらいたい。算数とか国語や理科などは必要ないと聞いているけど、そうしたことを今から話し合いたいんだよ」
「なるほど、わかりました」
結局、順平は小学校で体育と、美術、音楽の授業はできるだけとることになった。
その後、順平は木村教頭に案内されて、大学の山戸の部屋を訪問した。部屋には牧村ともう一人若い男性が待っていて、山戸教授が迎える。
「木村先生。ありがとうございます。順平君よく来たね。ええと、こちらは、順平君も木村さんも初めてですね。斎藤正人君で、牧村准教授の教室の大学院生だ。プロジェクトには加わってもらう予定で、順平君とはパートナーになるかな。
ところで、木村先生、順平君の小学校の授業はどういう方向になりましたか?」
牧村が木村教頭に聞く。
「はい、大体当初の話の通りで、体育と美術・音楽については原則として小学校で受けてもらう方向になりそうです」
「わかりました、ありがとうございました。大体予定通りですね」
牧村が言い、あと少し話し合いの後に、木村が出ていく。
「ところで、順平君には核融合炉の開発計画に関して、話しておきたい。ちなみに、核融合炉はフィージョン・リアクター、FRと呼んでいます」
そのように、山戸は経産省を巻き込んだ動きなどの話を一通り説明した。
「そういうことで、装置の組み立ては、四菱重工の江南工場でやる予定だけど、その前に設計をする必要がある。設計は大学でやることも考えたけど、ちょっと、機密保持の面で弱い。
したがって、これも四菱の工場内で一部屋空けてもらって、そこでやることになりました。順平君のお父さんも、参加できるようになればそこに来てもらうことになる」
それから、牧村、斎藤の顔も見て付け加える。
「このプロジェクトにおいては、留学生は要注意対象だ。この件の話は、聞かても彼らには絶対にしてはならない。当面は海外に対しては非公開とする予定なのでね」
そう厳しく言うと、順平が笑いながら、応じる。「よくわかりますよ。特にK国、C国ですね。なにせ僕は2チャンネラーですからね」
山戸教授は順平の言葉に苦笑して更に言う。
「順平君には、小学校の授業がない時は、院生レベルでセミナー等に出来るだけ加わってもらいたいと思っている。しかし、留学生は入っていないところとなると学内では難しいので、ある程度教官、院生の横断的な会を持とうと考えている。」
さらに山戸は、順平に専門の話に持っていく。
「ところで、折角来てもらったので、牧村君、斎藤君を交えて専門の話をしよう。
順平君から、牧村君の論文を読んでからあの論文にいたる考えと、どうやってあれを考えたか説明してもらいたい」
「はい、牧村先生の論文を読んで、まず思ったのは、MITのジョン・ケンリッジ博士の5年前の論文で………」
この順平の話は、斎藤は無論、牧村、山戸にとっても、技術的な発想、展開に関して衝撃的なもので、山戸にとっては学内での順平が参加したセミナーの重要性を深く考えさせるものであった。気が付くと、昼はとっくに過ぎて1時に近くなっていた。
「いやあ、ごめん。もう1時前だ。食事に行こう」
山戸が言い、皆で学食に行く。食事中も研究の話をして、その後牧村の部屋で、企画書を作っていた日高に順平を紹介するなどして忙しく過ごした。結局順平が斎藤に車で送られて家に着いたのは午後5時前であった。
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