第3話 国との折衝
火曜日、11時30分、羽田空港から、モノレールで浜松町に行き、東京駅で軽く食事をして、地下鉄に乗り換え地下鉄霞が関駅へ。1時55分、経産省受付けへ行き、山戸は名刺を出し、と受付の女性に告げる。
「江南大学の山戸と申します。田中局長と2時にアポがあるのですが」
「はい、伺っています。少しお待ちください。案内のものが参りますので」
受付のソファに座って、5分ほど待つと、「山戸先生、案内のものが来ました」と呼ばれ、待っていた女性の案内でエレベータに乗る。8階で降り、少し歩いて局長室と書かれた部屋の前に止まり、ノックの後ドアを開ける。
「山戸先生と牧村先生をご案内しました」
「ありがとう。下がっていいよ」
待っていたのは、少し額の薄くなったがっちりした体格の、年のころ50歳くらいに見える田中局長だった。まず、山戸に「山戸先生、ご無沙汰しています」とあいさつし、次いで「牧村先生、今日は貴重なお話に、わざわざおいで頂いてありがとうございます」と言う。
さらに2人を見て言う。
「最初は関係した部署のものを呼ぼうと思ったのですが、山戸先生のメールを見て、万が一にも秘密が漏れては、ということで、私一人でお話を聞くことにしました」
向かい合って、応接のソファに座りまず田中局長から口火を切る。
「メールを拝見しました。論文については局内の詳しいものに、見させましたが『すごい論文で、常温核融合の実現性を完全に証明しており画期的』と言っておりました。ただ、『具体的な反応条件が述べられておらず、この点のさらなる研究が必要』、とも。ちなみに、山戸先生のメールの内容では実際は反応条件も解明されているとか」
牧村から答える。
「はい。反応・操作条件も明らかにされており、私の判断できるところでは正しいと思いますので、後は実際に試してみるだけだと思っています」
「それで、当然反応を引き起こすにはエネルギーの投入が必要ですが、その収支はどの程度と計算されているのですか?」
田中局長の質問に牧村が答える。
「投入エネルギーは、熱、電磁波ですが発生には電力を用いるため、電力の形で投入することになります。連鎖反応が起きるまでの励起段階の1時間余りは、定常状態の10倍程度の投入になります。一方で、励起時の消費電力と言えども、発生量の10から20%にすぎません。従って、連鎖反応が十分長く続けば、投入エネルギーは得られるエネルギーの1〜2%ということになります。
なにより、この反応により得られるエネルギーは熱ではなく、電子の流れである電力になりますので、まさに理想的な反応が得られます」
「お話を伺っていますと、今までの常識に比べ、ちょっと話がうますぎるという気がしますが、先生方はその論文の結果を信じておられますか」
山戸と、牧村はうなずきあって答える。
「専門分野の研究者として正しいと確信しております」
再度田中局長からの質問だ。
「この実現は、我が国とっては大変なチャンスであり、可能なものなら一刻も早く実現させていきたいのですが、装置化にはどの程度の期間がかかって、どの程度の費用が掛かるものなのでしょうか」
これは、山戸の方から答える。
「私は、必要な装置を想定して、いくつかヒアリングして大まかな費用を算定してみました。この場合は、ベンチテスト的なものは出来ず最小で10万㎾程度の装置になります。たぶん、大きさは幅5m×長さ10m程度、建設期間は設計に半年、その間に注文できるものはして、製造と組み立てに半年の合計1年というところでしょう。
建設費用は、研究者4名がずっと担当するとして、10〜20億円というところでしょうか」
プロトタイプの10万㎾の核融合発電機が1年、10〜20億とはずいぶん早く安くできますね。事実であれば、燃料費は極めて低い訳ですから電力費はものすごく下がります。なにより、燃料が水素のみということは、燃料不足は今後なくなるということです」
田中局長は言い、しばらく腕を組みうつむいて考え込んでした。
「ところで、最終的な論文の著者は小学生ということですが」
「はい、まさに天才です。たぶんの今回の論文作成はかれの才能のほんの一部だと思います」と山戸が答える。
「今後も同様な成果が期待できるということですか?」
田中局長の質問に山戸が再度答える。
「そうです。しかし、もう少し成長するまで彼の秘密を守る必要があります。また、今後も同様な成果を期待するなら、彼を知的な刺激が十分ある環境に置く必要があります。
どうも、彼は周囲の、あるいは知りえた情報を取り込んで、新たなものを生み出すという能力にとりわけ長けているようですから」
「わかりました。すこし、いろんな人に相談してみます。ただ、その天才君に関しての本当のことは、必要最低限の人にしか話さないようにします。
いずれにせよ、その核融合発電機、ニュークリヤー・フュージョン・ジェネレータですか。そのプロトタイプの建設を含めた開発計画のたたき台を準備していただけませんか。早急に、うちの局から、そちらの大学に出向者を出します」
田中局長が最後に言う。
翌日、出勤して、昨日言われた開発計画をどうするかと考え込んでいた牧村のところに、山戸から電話がはいった。
「田中局長から、出向者を今朝出発させたので、午後一番で君の研究室に顔を出すそうだ」
「ええ!もう!」
「ちょうどいいじゃないか。開発計画をまとめてもらおうよ。ちなみに、計画に当たっては我々の教室のみでは無理なので、工学部にも噛んでもらう必要があるよ。ちょっと工学部長の浦瀬さんに話しておくわ。ちなみに、ちょっと午後はいろんな人に会うので空いていないよ。夜は空いているけどね」
電話を切ったあと、牧村は考え込んでしまった。
『考えたよりずっとすべての動きが速い。
たぶん今後、畑がだいぶ違う装置化への取り組みも主体的に係らざるを得ないであろう。大学の授業を始めルーティンをこなしながらでは、早晩オーバーワークになって、トラブルの元だ。
この際は、院生をかませよう。斎藤君だったら信用できるし、まだドクターの1年だから、少し論文等については止めても大きな支障はないはずだ、なによりこれほど大きなテーマに係われるのは彼の将来にとっても大きなプラスになるはず』
牧村は、院生の部屋のドアを開けて、院生の斎藤正人を部屋に招き入れる。
「斎藤君、いるかな。 ああ、ちょっと入ってくれないか」
正面に座った斎藤に、机の上にあった田中局長に送った改定版の論文を渡す。
「斎藤君も私がHPに載せた論文のことは知っているだろう」
斎藤はうなずく。
「実はあれに対して、リアクションとして論文が送られてきた。今渡したそれは、その論文を私がモデファイした簡易版だ。
ちょっと時間がないので、内容は後で読んでもらうとして、送ってきたオリジナルのものは、私が追求してきたいわゆる常温核融合の存在を証明し、その操作条件まで含んだものだ。私はその内容が正しいと判断している。またこれは、山戸理学部長も同意されている。
この件に関しては、すでに実用化に向けて動きが始まっている。具体的にはまだ話せないけど、1年内外で実用化が達成できる可能性がある。装置化については、どちらかというと我々は門外漢だけど、我々のアシストなしには実用化は出来ないこともまた確かだ。
君にお願いしたいことは、今後私だけでは手が回らないと思うので、私をアシストしてもらいたいということだ。当面、学会に出す論文も止めることになるだろうし、授業もおろそかになることもあるかも知れない。ただ、わかるだろうけどこの件は、近来にない、いや科学史に残る大きな仕事だ。どうだろう」
牧村の言葉に斎藤が答える。
「ええ、先生! うれしいです。光栄です。できることは何でもします」
「ありがとう。とりあえず。この論文を読んで、よく理解してほしい。それと」
牧村は、引き出しからオリジナルの論文を取り出し言う。「先に渡した方は、他の院生にも見せてもいい。だけど、こちらは絶対に君だけの秘密にしてほしい。読めばわかるが、内容があまりにも重大だ。
それから、午後一番で経産省の人が見えるけど、たぶん院生室から来るので、通してほしい」
斎藤は、論文に気を取られながら、「わかりました。とりあえず読ましていただきます」と答え、部屋を出て行った。
昼を過ぎたころ、彼の院生の部屋に繋がるドアにノックがあり、斎藤が顔を出した。
「先生、日高さんという方がお会いしたいと」
「ありがとう、お通しして」
「失礼します」
女性の声で、入ってきたのは、グレイのスーツに身を包んだ年のころ30歳くらいの小柄な女性であった。美人ではあるが、ちょっときつめか。
「日高なおみと申します。田中局長より、申しつかってまいりました」
「ご苦労様です。急なことで大変ですね。準備をするひまもなかったのではないですか」
「いえ、実は私は実家がこの江南市なのですよ。たぶん局長もそのあたりを考えて頂いたのだと思います」
「そうですか。お宅はどこなのですか」と牧村。
「ええ、井川団地ですから、ここから車で15分というところですね」
「なるほど、近いですね。さて、早速で恐れ入りますが、局長さんからはどの程度のことをお聞きになっておられますか?」
「ええ、こちらで常温核融合かつ直接電力を発生する反応に係る理論的な確立をされ、その操作因子まで明らかにされたとか。ということは装置化も当然可能なわけで、実用化に取り組むための具体化のお手伝いが私の役割ということです。
局長は、省を上げて、またすでに数社の民間企業の協力を仰ぐ団取りをすでに半ばされております。どっちにしても、企画書を作らないと、上にも政府にも持っていけないので企画書作りが、最初の仕事ということになりますね」
そのように、日高が答える。
「わかりました。必要十分なことをお聞きになっているようですね。ちなみに、当大学の係わりについては、なにかお聞きになっていますか」
「はい、当然企画書は、牧村先生の全面的なご指導が必要ですし、実用化に当たっては、先生にも協力者がおられるようですが、その方を貴江南大学に招かれるとかで、局長の方から、文部科各省とも折衝を始めていると伺っています」
「わかりました。じゃあ、早速、テクニカルな面での概要を説明しましょうか」
日高と2時間余り話した後、彼女が言う。
「大体、概要は飲み込めたかと思います。しかし、ちょっと、予算の算定が厳しいですね。これは、民間企業の方にも早めに入っていただかないと」
「こちらでも、工学部の、生産工学、材料工学、機械学科、電気・電子学科からも協力をお願いするようにしています」
そう牧村が言うのに、日高はその点では安心するとともに、接待の誘いをする。
「それはお願いしたいところですが、あまり広げると『船頭多くして、船、山に登る』になりかねないし、むつかしいところですね。
私は今から、私どもの局の江南事務所に顔を出してきますが、今晩軽く食事はいかがですか。局長から接待費の枠を取ってきましたので。山戸先生は今日の昼間はご都合が悪いということでしたが」
「そうですね。これから長い付き合いになると思いますので。山戸先生は、今日はいろんな来客と学内での話があるようですが、夜は空いていると思いますので声をかけておきます」
「では、5時ごろまでに、場所の電話をします。時間は午後6時半ごろでいかがでしょう」
「時間はそれで結構です。じゃご馳走になるようですが、お願いします」
日高が帰ったあと、牧村は院生室を覗いて、斎藤を再度呼んだ。
「斎藤君、読んだかね」
「はい。読みました。これは、とんでもないものですね。この種の論文を読んで興奮するとは思いませんでした。しかし、これは先生の前に書かれたものから、とんでもなく進化していますね」
牧村は苦笑いをして言う。
「うん、わかるだろうけど。それは、今の僕では書けないよ。というか、それをどういう思考回路でそれにたどり着くかというのは、ちょっと想像を絶する。確かに、発想そのものは僕が考えたものだし、それを発展させたものだということはわかる。また、君も理解できたように考えをたどることはできる。しかし、その中には3か所かな、発想の跳躍があって、今の僕では超えられない部分だ」
「誰が書いたのですか」斎藤が牧村に聞く。
「君も私と一緒の仕事をするようになるのだから、すぐ会うと思うので言うけど。絶対秘密だよ。いずれは明らかになるとは思うけど、できるだけ長く秘密にする必要がある。著者は十歳の男子小学生だよ。江南市在住だ」
斎藤は、まじまじと牧村の顔を見て、ため息をついた。
「そんな気がしました。それなりの年の人なら、今まで知られていないはずがないですからね。たぶん、今回の仕事は彼の能力のほんの一部なんでしょうね」
斎藤は、続けて言う。
「牧村先生、今回の件に私を加えていただけるのは大変光栄なのですが、相当なハードな仕事になると思います。もう一人、マスター2年の新垣を加えませんか。彼女も信用できますし、能力はご存知のように折り紙付きです」
「うーん、そうだな。ただ、ちょっと待ってみよう。まだ動き始めだから、場合によれば研究室の全員が加わる可能性もあるし。また、今日、日高さんにあっただろう。今後、彼女との少なくとも学内の協議には君も加わってもらうから。当面、彼女には開発計画の企画書の作成をやってもらうことになる。また、今後工学部にも加わってもらうので、その調整も君に頼むことになると思う」
牧村はためらいがちに言う。
「わかりました」と斎藤は応じる。
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