第2話 始動

 牧村は、研究室に帰ると受話器を取り上げ、山戸学部長の内線電話番号をプッシュした。


「はい、山戸です」

 相手の応答がある。

「あ、山戸先生。牧村です。ちょっと大事な話があるのですが、ご都合はいかがですか?」


「うん、今日の午後は空いているが、すぐのほうがいいね。すぐ来れるかな?」


「はい。いやしかし、その前にお話をしたい論文を読んでもらった方がいいと思いますので、今からメールで送らせていただきます。読んでいただいてそのその後ご都合のいい時間をご連絡いただけますか」


「わかった。メールを待っているよ」


 牧村は、山戸教授あてにメールを送りしばし考え込んだ。

 今回のことは、順平の家庭状況は多忙であまり子供に干渉しない親であるという意味では、やりやすい状況ではあると考えられるが、一方で自分ではマネジメントするには不足する部分が多い。


 順平は、いままで亡くなった祖母以外の周りには、いわば猫をかぶってきたが、10歳になったことを機会に、自分を世に問おうとしている。

 わずかな時間で、自分の書いた論文をあそこまで仕上げたというのは『天才』というのでは言葉が不足している。たぶん、アイシュタインを超える歴史上はじめて生まれたレベルの才能の持ち主だ。どこまで能力があるのか計り知れない。


  たぶん、自分の専門分野である物理学以外でも、画期的な仕事ができるであろう。今の論文が示す核融合の実現も、彼が主体的に係り、かつ十分な資金が得られればごく短時間で実現するのではないか。現時点の、現在社会の最大のジレンマは、地球温暖化もあり、エネルギーのひっ迫も問題だが、核融合が実現すれば、どちらも同時に解決する話だ。


 その世が待っている大発明の、世界へのデビューに係ることが出来るということは、自分自身にとっては大きなチャンスではあるが、残念ながら今後のスピーディな展開には大きな人脈、金脈が必要でありそれは自分にはない。


 電話が鳴り、受話器を取り上げると、先の電話から約1時間が経過していた。

「山戸です。あの論文は君が書いたのか?」


 冷静に話そうとしているが、隠しきれない興奮が伝わってくる。

「いいえ、私が前にお見せした論文をHPにアップしたのはご存知だと思いますが、それに対する答えの形で、メールで送られてきたものです。今から時間、よろしいですか?」


「待っているよ」


急いで、論文などを入ったクリヤーファイルを取り上げ、院生室のドアを開け、中にいた斎藤ほかの院生に声をかける。

「ちょっと山戸先生の所に行ってくる」


 廊下に出て、小走りになりそうなのを無理に落ち着いて教授室まで行く。

ノックへの「どうぞ」との返事でドアを開け、「失礼します」と声をかけ、机に上に視線を落としている山戸教授の正面の椅子に腰かけた。


 教授の前には、プリントアウトされた問題の論文が置かれ、すでに多数のマーカーが引かれている。教授が顔を上げるが、少し目が血走っている。

「読んだよ。これほどのものは、少なくとも学者になって初めてだ。どういういきさつなんだ?」


「メールで送ってきたものです。吉川君と言う名です。前から、教室のHPへ質問をぽつぽつしてきたのですよ。彼が私の論文を完成させた形で書いたものです」


「確か、君がHPにあの論文を出したのは2週間前だったよね。わずか2週間で、あの内容を考えて、形にするというのは、信じられない!ところで、吉川君とは。若いの? 会ったの?」


「ええ、小学校4年生、10歳です。近くの波島小学校ですよ。見た感じはごく普通の小学校の男子生徒です。背は140㎝位だから普通で、ちょっと頭が大きいかなという感じです」


「ええ! 小学生! 本当に自分で書いたのかな?」


「本当だと思います。自分で天才と言っていました。最近亡くなったおばあさんから、才能を隠すように言われてきたそうです。10歳になったから、もう世の中に出ていいと思ったそうです。どうも、勉強もインターネット頼りで、限界を感じているようですし、小学校にもあきあきしているようですね」


「ふーん、どうも良くわからないな。でも、この論文の内容からすると歴史に残るような話になるかもしれないな。それで親はどうなの」


「両親とも忙しくて、あまり親しんでいないようですね」


「あまり、干渉が無いようなら好都合かも知れないね。君も当然分っていると思うけど、この論文のインパクトは計り知れないものがあるよ。そして、世の中が実現を待っているよ。何とか早く実現させるべきだ。研究者としての名声はあるだろうが…。君がアイデアを出して、吉川君が完成させたということは、君たち2人のものだね」 


「いえ、発表時には当然、山戸先生にも著者として…………」


「いや、本件に関して私は全く貢献していないし、それは知っている人は知っているからね。私にもプライドというものはあるよ。それより、この実用化だよ。これにはぜひ噛みこみたい。

 ちょっと門外漢ではあるけど、人脈が絶対必要な部分だからね。それに、これだけの大事になるとちまちまとはやれないし、しばらくは絶対的な秘密が必要だ。そのマネジメントをやってみたい」


 山戸教授は、にやりと笑って牧村を見た。

「ええ、私は、当面この論文はいささか手の内をさらしすぎており、そのままは出せないと思います。そして、実用化を急ぐためには何らかの大きな枠組みが必要だと思います。しかし、そのための人脈が私には致命的にありません」


「やはり、ものが大きすぎるので私企業では無理があると思うし、どうしても国を動かす必要があるだろうね。特にその吉川君の件にしても、学校については文部科学省の線から手配が必要だろうし、その存在が知られた場合、彼個人および近親者に対する強力なセキュリティが必要になるな。

 とりあえず、経産省に親しい後輩が居るので話をしてみよう。幸い、今の政権はこうした問題については、国益のため積極的な動きをしてくれる感触は持っている。早速、話してみる」


 教授はスマートフォンを出して相手を探し、話し始めた。

「田中さん、江南大学の山戸です。ご無沙汰しています。 

はい。はい。ちょっと耳寄りな話があって、お会いしたいのですが、ご都合はいかがですか。はい。こちらは飛行機で行くことになりますので、今日はもう金曜日なので、来週以降になります。はい、火曜日、午後ですか?」


 教授が牧村に目で尋ねるのに対して、牧村はうなずく。

「じゃあ、火曜日の午後2時ということでよろしいですか。それでは、それに係る説明を月曜日の午前中までにメールで送っておきます」


 そう電話に言い、切った後に説明する。

「彼は、経産省の産業局長で、次の次官と言われている。政権内にも太いパイプを持っている」


「よく、アポがとれましたね」 


「うん、私の親しい同級生の弟なんだ。官僚らしからぬざっくばらんな男だよ。とりあえず、論文で当面出したらまずい分をトリミングして、私に送ってください。明日は、土曜日だけどキーマンの吉川君の家を訪問したい。段取りしてみてくれないか」


 吉川順平の家は、江南市の郊外の山裾の位置し、出来て十年ほどの団地の中にある一戸建てである。江南大学からは3㎞くらいの位置にある。その家は、2階建ての辺りの家と同じような作りで、道路に面し南向きに駐車場と小さな庭がある。  

 駐車場は車が2台止められるようになっていて、白い普通車が1台止まっている。道路に、山戸教授のセダンを止めて、門柱のインターホンを押す。


「はい」との返事に、「順平君にお伝えした、江南大学の教授の山戸と准教授の牧村です」牧村が告げる。 


「どうぞお入りください」

 玄関が開き、三十歳代と思われる女性が出てきた。順平は女性に並んで玄関で待っている。中に入り、女性に頭を下げて山戸が言う。


「私が江南大学の物理学教室の山戸で、こちらは准教授の牧村です。折角のお休みの所を押しかけて申し訳ありません」


 女性は戸惑ったように言って中に導く。

「いえ、わざわざ恐れ入ります。まあ、どうぞおあがりください」


 上がる際に、順平が「牧村先生、いらっしゃい」と小声で言った。

 小さな応接室のソファに、山戸と牧村が腰かけ、女性はお茶を用意すると出ていき、順平は2人かけのソファの奥側にちょこんと座った。


 山戸は順平に話しかける。

「吉川順平君だね。私は牧村先生と一緒に仕事をしている山戸といいます」


 その言葉に順平が尋ねる。

「山戸先生は、牧村先生の先生なんだね」

「うん、そうだね。牧村が学生のころ僕が教官で教えたからね」


 そこに、お茶と菓子を持った母親がテーブルの上に置いて向かいに座る。

「どうぞ粗茶ですが」


「ありがとうございます」


「あらためて、私は順平の母の洋子と申します。よろしくお願いします。今日は主人が同席できればよかったのですが、どうしても仕事が忙しく出勤しました。どうぞお茶を召し上がってください」


 山戸教授はお茶を手に取りながら洋子に向って言う、

「ご主人はお忙しいようですね」


「ええ、夜も遅く、出張が多くてあまり休みが取れない状態です。私も、勤めていて日曜日位は休めるのですけど、やはり普段はあまり早い時間には帰れません。それで、2カ月前に亡くなった私の母に順平を任せ放しで。あの、今日はどういったご用件で?」


 山戸教授はお茶を一口飲んだ後、牧村を目で促す。

「私は、物理学が専門なのですが、先日原子に関する新しい理論の論文をインターネットで公開したのです。それに対して、お子さんの順平君から私の論文を発展した形の論文を送ってきていただきました。

 その内容が極めて高度なもので、さらに完成されたもので驚いている次第です。それは、十分国際的な評価に値するものです」


「ええ!そんな!大学の先生が書いたものを理解すること自体が………。」


 そこで、山戸教授から付け加える。

「学問的な話だけでしたら、大変画期的な成果で良かったということで終わります。しかし、この論文の成果は、画期的過ぎて、世のなかの仕組みそのものを変えてしまうほど衝撃をもたらすほどのものです」


 洋子は呆然と、山戸を見つめるだけで返事もできない。

「これは、一言でいえば“無限のエネルギーを、非常に低いコストで生み出す仕組みを作り出すことができる”ということを明らかにしたものです」


 山戸は言い、一旦言葉を切った。

「お子さんの順平君は、嘗てこの世に現れたことのないレベルの天才です。一方で、小学校に通う生徒でもあります。ある程度はお気づきかと思いますが、学校の授業は順平君には退屈極まりないものだと思います。

 さらに、順平君の真の能力が世に知られた場合、とても普通に出歩くことはできないでしょう。さらにそれは極めて危険なことでもあります。外国、あるいは企業にとってお子さんは金の卵を産むガチョウに見えるでしょう。

 私どもは、順平君の能力を生かしたい。しかしそのためには、なんらかの新しい仕組みが必要で、これは順平君のお母さん、お父さんの了解なしにはできません」


 山戸は、再度言葉を切り、順平に尋ねる。

「順平君、君は人並みはずれた能力を持っている。それをどうしたい?」


 順平はすぐさま答えた。

「ぼくは、それを役立てたい。僕自身のためにも世の中のためにも」


「人の注目を集めたいかい?スターみたいに」


「いやだよ。自由に出歩けないのは御免だ。それに、さらわれるのを恐れるなんて尚更いやだよ」


 山戸は言う。

「お母さん。私どもはこの件で、来週東京の経済産業省の幹部に会いに行く予定にしています。そこで、どういう仕組みで順平君の成果を生かすか、話合いたいと思っています。

 たぶん、国としては順平君の能力をできるだけ生かす方向で申し入れしてくると思います。また、そのことに関して、成果に見合うほどかはわかりませんが、通常の感覚でいえば莫大な報酬は約束されると信じています。

 私どもの心算としては、順平君は私どもの江南大学に何らかの形で所属していただき、大学を隠れ蓑として活動していただければと思っています。当大学には教育学部付属の小学校もありますからね。

 いずれにせよ、隠せる間は、順平君の能力は隠し、可能な限り自由に動けるようにしたいと思っています。そんなところでどうでしょうか。東京から帰って来たら、ご主人を交えてお話をしたいとおもいます」


「はい。私もゆっくり考えてみますし、主人にも相談します」と母洋子が言う。


 帰りに、山戸と牧村は近くの喫茶店に寄り、今後のことを話しあった。

「牧村君、当分は吉川君のことは隠さざるを得ないようなので、学会発表論文はだいぶモデファイが必要だね」


「そうですね。でも、いわゆる常温核融合が可能であることを証明するだけで、十分な成果ですからね。しかし、先生、吉川君を大学に受け入れるというのは是非実現したいですね。

 彼の論文を読んでいて感じたのですが、彼は人の考え、成果をうまく組み合わせて新しい仕組みを考えるという点も優れているように思います。学内の、様々な研究室と交流することで新しい何かが続々と生まれてくるような気がします」


「うん、まさに私もそれを考えていたんだよ。彼を学内に招くことができれば、いわば、江南大学のルネッサンスが始まると感じているよ」

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