Revolutionー現代社会に巻き起こる渦、そして宇宙へ

黄昏人

第1話 出会い

  牧村は、最初は怪訝に思いながら、次いで夢中になって送ってきたファイルをスクロールした。ようやくその意味をつかむと、最後に結論として描かれた公式を含むページを唖然として見つめた。


  彼の愛用のノートパソコンに示されているそれは、彼の研究室のホームページ(HP)宛に送られてきたワードファイルであり、わずか5ページ足らずのものであった。それは、2週間ほど前にHPに公開した彼の論文への解答とも言えるものであり、短いその中で見事にその重大な結論を証明し、その実現方法まで踏み込んでいた。


 彼の公開した論文は、彼の専門である理論物理学のなかでも、物質の在り方、原子の在り方に一石を投じるもので、その発展によってはいわばエネルギー革命を起こすと自ら考えているものであった。


 しかし、現状の所では彼の恩師や数人の同じ分野の同年代の研究者からは、はかばかしい評価は得られなかった。このこともあり、また学会に発表するほどの完成度でないことは自覚していたため、思い余って学科のホームページ(HP)に載せてみたものであった。


 彼の考えが正しければ、その論文はさまざまな素粒子から構成されている原子の在り方を規定し、その構成要素の変換、エネルギーの取り出しが可能な手法の方向性を示すものであるはずである。しかし、一つの方向の可能性を示したのみで、定性的にも証明がなされておらず、内容的にも中途半端なものであることは認めざるを得なかった。


 送ってきたメールは、その文章にファイルを添付する形であり、差出人は、過去数年、さまざまな専門的な問いかけをメールでしてきた人物であった。それらの質問の高度な内容から、牧村は多分どこかの大学院生だと思っていた。


『牧村先生

いつも様々な質問でご迷惑をおかけしています。

先生の研究室のHPで公開された『水素原子の素粒子構造および核変換操作の可能性』について、私は素晴らしい着想で、極めて大きな応用を生むものだと思います。

 ただ、現状では方向は正しいものの、中途半端な形にとどまっていると考え、私なりにその展開と中間的な結論を述べてみました。ご批評いただければ幸いです。 吉川 」


 牧村は、旧帝大ではあるが、地方の国立大学の33歳の准教授であり、28歳の時博士号を取得しているので自分でも優秀な方だと思っている。


 差出人の吉川氏は過去様々な問いかけをしてきて、牧村は都度答えてきたが、彼(?)に限らず数人からの同様な質問に対してと、同様な対応をしたものである。牧村の方針で、研究室のHPを起ちあげたとき、自分の仕事に関しその内容のかみ砕いた説明ととも載せ、できるだけ興味を持ってくれる人を増やそうとした意図によるものである。


 しかし、それにしてもその「吉川」氏の論文の内容には興奮せざるを得ない。明らかにそれは牧村の論文の延長にあるものである。しかし、彼が最終的なゴールとして漠然と描いていた最終成果をはるかに超えて、定性的な証明を果たし、さらには想定している操作因子の明確な公式化がされ、定量的なアプローチも可能なものになっている。


 すなわち、“水素原子等の比較的原子量の小さい物質に一定の条件を与えることで、核融合を起こすことができる。かつ、その条件は現状で知られているプラズマ状態を作る必要がなく、いわば常温核融合に相当する。さらには、いわば電子の缶詰である物性への可能性も示唆されている。


 むろん、実用には相当な時間を要することは間違いないと思われるが、その理論的裏づけと操作因子の方向を具体的に示した意味は極めて大きい。

 牧村も、博士号を持つ学者であり、学問的な成果による栄光を夢みることもあり、先の論文もその達成のためでもあった。しかし、送ってきた論文はその学問的な業績、さらにその巨大な将来の応用を考えれば、十分ノーベル賞にも値すると確信できた。


 しかし、世に問う論文の執筆者は『吉川』氏であり牧村ではない。

 突然、彼の白衣のポケットに入れた携帯が軽やかな音楽を奏でた。

 それは彼の妻の早苗からのもので、「今日は何時ごろ帰れるの?」との問いに、研究室の窓を見ると、すっかりあたりは暗くなっており、時計も午後7時過ぎを示している。


「うーん、今から片つけて出るからあと30分くらいかな」

 返事をして携帯を切った。


しばし呆然としたが、『まず吉川氏に連絡だ』ということで、メールで少し震える指で『貴君から送ってきた論文の件でできるだけ早くお会いしたいので、できたら電話をください。番号は090xxxxxx』との文章を作って送信した。


 自室のドアを開けると、院生の研究室にはメンバー5人の内、修士課程2年の斎藤がまだ残っていてパソコンの画面をにらんでいた。 

「おや、斎藤君、まだやっていたのか」


「ええ、先生、今度の学会に出す論文がまだまとまらないものですから」 


「俺は帰るからな、ほどほどにしておけよ」


「はい、ありがとうございます。おやすみなさい」


 大学に近い教員宿舎への徒歩15分の道も、通いなれているせいもあるが、ほとんどうわの空であった。

2DKのアパート形式の自宅のドアを開け、「ただいま」と声をかけた。と、「パパお帰りなさい」と、玄関から見える居間のソファに座っていた、3歳の一人娘の舞が駆けてきて飛びついてきた。


「おなかがすいたでしょう。お風呂に入ってちょうだい。その間にスープを温めるね」と早苗が早速食事の準備を始める。


 風呂に入り、ビールを飲みながら食事を済ませるころ、舞はすでに眠そうで、目がトロンとしてきた。

「舞、眠そうだね。もう寝るか」


「うん、今日はお友達とたくさん遊んで眠くなっちゃった。パパお休みなさい」

 そう言って早苗と一緒に寝室に入る。


 牧村は、一人座っていろいろ迷ったが、5年前の結婚前まで出版社の編集をやってい て、むしろ世間のことを彼より知っている早苗に今日のことを話すことにした。

 そこで彼は、15分ほどして舞を寝かしつけて戻ってきた早苗に、今日送られてきた論文の話を切り出した。


 それにじっと聞いていた早苗は、こう言ってにっこり笑う。

「その論文がそれほどのものなら、いずれにせよ発表する必要はあるわね。だけど、どういう形でするかが大きな問題よ。

 大前提として、その『吉川』さんの了解はちゃんととっておく必要があるし、もうまとまった形なのだから、山戸先生にもそれをお見せして相談する必要があると思います。でも、先生に見せる前に吉川さんの了解を得た方がいいと思うわ。

 でも、これは大チャンスだと思うな。どういっても、その論文そのものはあなたの成果の延長にあるものなのだから、論文は当然共著ということで、あなたも世界的な名声が得られるかも。ノーベル賞だって夢じゃないかもよ」


 これに対し、牧村は少し戸惑って言う。

「うん、まあ内容的にそれに相当すると思うけど、実際にそこまでまで行くのかな。どっちにしても当分先の話だね。しかし、たぶんここ百年くらいの中では、最大の科学研究上の成果の一つになると思うよ。

 少なくともそんなレベルの研究に主体的にかかわれるとは、夢にも思わなかったな。この理論の示すところによれば、今後人類はエネルギーに困ることはない、ということだからね。もっとも実用化への道筋は殆どわかってはいるけど、その資金、人材など大分遠い先だね」


「でも、あなたは理論物理学者でしょう?実用化への装置化などまでわかるの?」


「うん。僕のもともとの論文は素粒子的に原子の構造を明らかにして、現在知られている、プラズマ状態までもっていかなくても、ある条件で核融合が起きることを示そうとしたものなんだ。

 しかし、送られた論文はその条件を理論的に解き明かすのみならず、かつ操作条件まで示しているんだ。そういえば、その使われている理論、手法はどうも様々な既知のものの組み合わせという気がするんだよな」


「でも、論文を読めば、装置化の方法までわかるというのは、大きな問題ね。その実用化によって、どれだけ世の中にインパクトを与えるかは私でもよくわかるわ。また場合によっては破壊・戦争に使われることも考えられるし、そのまま世に出すのは少し考えた方がいいかもよ」


「うーん、確かに国益ということを考えれば、簡単に公開していいものではないような。アメリカや中国に実を取られるのは癪だしね。お!メールの着信だ!吉川さんからだ!明日、正午大学図書館の東脇の胸像の前だと」

 牧村は妻を見て言う。


「とりあえず、明日吉川さんに会って、山戸先生に相談することの了解をとるよ」


 山戸進 物理学科教授は、理学部長であり、世界的に知られた学者である。闊達な性格で、専門分野以外の著書も多く交友関係は広い。牧村は山戸教授の愛弟子に当たり、教授には早苗との仲人を勤めていただいた中でもある。

 その夜は、夫婦とも興奮状態で営みに入り、快い疲れの中で寝入った。


 翌日、正午に5分ほど前、牧村は意識して落ち着いて、大学図書館脇の胸像前に向かって歩いて行った。

 そこは小さな裸地になっており、近づく人も少ないが、小柄な人が立っているのが見えた。近づくにつれ、その人は小柄なのは当然、半ズボンをはいた、どう見ても小学生の男の子であった。


 戸惑いながら近づいていくと、「牧村先生ですか。僕は吉川、吉川順平です。この近くの波島小学校の4年生で、10歳です。」少年は、そう言って手を差し出して来る。


 牧村は戸惑いつつその手を握る。

「や、やあ。牧村正樹です。この、江南大学の物理学教室の准教授です。ちょっとそこのベンチに座ろうか」


 そう言って、周りから見通しにくい木の陰になるベンチに誘った。隣り合わせに座ると、順平は笑みを浮かべ言う。

「先生、2年前からいろいろ教えていただいてありがとうございます。おかげで、物理学もある程度わかるようになりました」


「ある程度かな? あの論文はある程度わかる程度ではとても書けないとおもうけど。君の年で、あの論文を書くというのは、はっきり言って信じられない。あれは、君が書いたの?」


「僕が書きました。先生の論文を読んで、完成していないのがわかりましたので、今まで勉強してきた成果からこういう方向かなということで書いてみたものです。たぶん、内容的には正しいと思いますが、まだ最終ではないですね」


 しばらく沈黙して下を向き、牧村が口を切ろうとしたとき再度ポツリ、ポツリという感じでしゃべり始めた。

「僕は、言ってみれば異常な人間、少年?いわゆる天才ですね。

3歳の時にはほとんど読み書きは出来ましたし、今では英語での読み書き聞き取りにも不自由はないです。英語以外の外国語については、あまり意味はないと思って覚えようとは思わないですが。

 僕の父母は、共稼ぎで大変忙しくて、僕はいわゆる鍵っ子というやつです」


 順平少年はうつむいた。

「今年の春まではお祖母ちゃんが、一緒に住んでいて面倒をみてくれたんですよ。でも体の調子が悪くなって、それががんで2カ月前に死んでしまって…………。ちょっと、医学は僕の守備範囲になくて助けられなかった。

 お祖母ちゃんは、当然僕の能力のことも知っていて、あまりに異常に見えるから隠すようにと言ってくれていました。でも、将来僕は世界の人々のために本当に役立つことができるから、今は一生懸命勉強して知識を蓄え、能力を磨くべきだと。そして、ある程度大きくなったら、世の中に僕のできることを公表して、できることを実現していくようにと」 

 

今度は牧村の顔を見て言う。

「それで、先日10歳になったので、もういいかなと思って。

あ、父母はあまり僕の能力のことを気が付いていないと思います。でも頼めばパソコンも買ってくれて、ネットも繋いでくれています。勉強は、ある程度はお祖母ちゃんが教えてくれたのですが、ほとんどはインターネットと図書館などの本ですね。

 でも、図書館の本は専門的なものは無くて、インターネットでも限界があって、ちょっと行き詰ってきたところです。

 最近は、物理学に少し集中していて、牧村先生の研究室のHPは大変役に立ちました。それで、先日先生がアップした論文は、すごく発展性があると思って、ちょっと手を加えさせてもらいました。僕の書いたもの、どうでしたか?」


「すごいものだよ。画期的! 世界的に注目されるほどのものだと思う。

 私の論文は、まだ中途半端で学会などに発表できるものではなかったけれど、吉川君のものはすでに十分完成しているので、そのまま発表できる程度にまとまっているよ。

しかし、内容のインパクトが大きすぎて単純に発表できるものではないと思う。ちょっといろんな調整が必要なようだね。それで、君の論文を、僕の先生であるこの学校の理学部長である山戸先生に見せて相談しようと思っているのだけど、君の論文をほかの人に見せていいかな?」


「もちろんです。先生にお任せします。」


「ところで、今は学校の授業時間だと思うけど。そこはどうなの?」


 牧村の問いに順平はうつ向いて言う。

「ちょっと、授業が苦痛なんです。教科書は学年の最初の3日ほどで読んでしまっているし、授業の内容は知ってることばかりで。同級生とも話も合わないし。そんなこともあって、ちょくちょくさぼっているんですよ。

親も、学校から連絡があってもテストの成績はいいので満足しているようで、『あまりさぼるなよ』、しか言わないし」


「うーん、そうだろうね。わかった。すぐさっき言った山戸先生に相談してみるよ。その後また来てもらうことになると思うけど、連絡方法はスマホへのメールでいいかな?」


「そうしてください」


その後、牧村は吉川順平のプライベートな事項を含め、さまざまな情報を聞き出し、1時間ほどで別れた。

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