第七段 遺産~浅草の酒屋

 浅草は平日に回れば別天地の盛り場という噂をかねがね聞いていたものの、流石に連休とあってか人は奔流となって集う。学生時代の夏休みに訪れた際には、もう少し余裕のあるひと時を過ごしながら、座敷に上がって牛鍋をいただいたものを、と少しばかり惜しく思う。加えて、少し遠くに眼をやればその先には青白いアイスピックが空を衝いて離そうとしない。雷門から少しでも視線を外すと金色で下々を惹きつける品と揃って並ぶ。どこかでレガシーを創造するという不思議な目標を唱えた知事があったことを思い出し、今の流行は野暮を遺すものなのかとため息を吐く。

 それでも、少し歩けば嬉しい店も残っており、煎り豆や落花生などの乾き物を商っている店に寄っては、思わずはじき豆を買い求める。心が華やぐのも束の間、来年には東京にて五輪が行われ、その前後の再開発の姿が白昼夢のように襲い掛かる。その怪に疲れて宿へと向かえば酒を買い忘れたのを思い出し、ウィスキーの小瓶でもあればとの欲から近くの酒屋に立ち寄った。

 店は何の変哲もない酒屋であり、それこそ観光名所でもなければ黄金や大理石のような艶もない。ただ、ウィスキーの小瓶を欲しがるがいなくなっちまったという枕から始まる店主の語りは芸術であった。その一節を覚えている限り。


「地酒ってェのはその土地の酒だ。どんな字書くか知ってるかい。それが今じゃここいらの店でも新潟の酒を地酒つって出しやがる。しかも、それを有り難がる客がいるってぇから驚きだ。大学出てても案外、頭はよくねぇんだな」


「昔は浅草は空の見える街って言ってたもんだ。(東京の)他所は違っても、ここにゃあ高い建物がねえ。それが、今は十一階建てだのなんだのビルができちまって、空が見えなくなっちまった。ここだけ明治で関係ねぇなんて言ってられなくなっちまった」


「俺んとこにも(土建屋の名前)が来たよ。俺はこの土地を売る気はねぇのに、向こう、なんて言ったと思う。『お客さん、今がウリどきですよ』ときたもんだ」


「俺が生きてる間は売るつもりはねえ。明治からこの町を作って、昭和で一度、焼野原んなって、そこから親父がこうやって前掛け着けて必死ンなって残してきてくれたのを知ってんだ。そんなことすりゃあ、あの世で『バカヤロウ』と怒られちまう。でも、息子は知らねぇよ。俺ももう八十三だ。息子が売るってんなら、俺は関係ねぇ。お好きにどうぞってんだ」


「この通りでも、みんな土地を売っちまって、昔から知ってて残ってるやつぁ五人になっちまったよ。寂しいねぇ。昔なら、近所の大人はオジサン・オバサンで済んだってのに、今じゃ『あんたの甥っ子じゃあありませんよ』ときたもんだ」


 本当に落語調というか、生粋の江戸訛りを拝聴仕った。気風が良くて快い。


「箱に入ったあの酒はダメだ。あらぁ中に酒のカスと何かを混ぜて作ったのが入ってやがる。本当の酒じゃねぇ」


「今じゃ燗つけ瓶もねぇからな」


「三箱で千五百円だ。ん、二箱でいい。奥さん、旦那はまだ頭はしっかりしてるよ。きちんといる分が分かってらぁ」


「昔はこうしたモンを接客っつってたんだ。それが今じゃ、どうかい。声をかけもしねぇ。さっき、何かお探しですかって声かけたけど、それすらねぇし、客もそれを求めてるってんだから驚きだよ」


 和を成せし 時代は過ぎて スカイツリー

  しょうもねぇやと

   れいをして去る


 ホテルへと戻る前にコンビニへ寄って例のポケット瓶を買う。型にはまった接客の中で「これ、あんまり売れないでしょ」と聞こうとして、止めた。

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