第六段 閑寂~郡山・白河

 山形を発って奥羽本線から福島は郡山駅に至ったのは夜も八時を過ぎてからであった。元々は福島駅の辺りで一泊をと考えていたもの、近くに安宿がないことが分かりさらに南へと向かったのである。それもそのはず、この郡山は東北では仙台に次ぐ経済力を持った都市であり、その栄え様は中々のものである。とはいえ、少し盛り場に向かえば感じの良いおでんの店があり、そこでやや濃い目に炊かれたものをいただきながらコップ酒をいただくことで市井にある愉しさを身に染みて感じさせられた。加えて、近くではコッコデショの話が飛び出しており、この千キロほど離れた地で遠い秋の風物詩を思い起こされた。

 翌朝、阿武隈川を見に朝も早くから宿を発つ。前日の二十キロ競歩の疲れを残しつつも、住宅地の合間を縫って進んでいく。途中、地図に残されていた田畑が無機質な家屋へと変化している光景を横目にしつつ、一時間もしないうちにその優美な姿を目に収めるに至った。英雄と浄土を見た川に、山間やまあいの宝玉として在る川とをこの旅でも既に見てきたのであるが、人里に寄り添い時にその猛威を振るう彼女の在り方もまた美しいものであった。


 菜の花や 阿武隈川を 飾り立て 道に迷いし 二つ銀輪ぎんりん


 郡山の駅に戻ってから震災当時の写真展示を見た後で蕎麦を手繰り、駅弁を一つ買い求める。この日は白河の関を訪ねてから浅草まで戻る予定であったため、その旅路の友にとの考えであった。頭の片隅を比内地鶏や米沢牛、牛タンなどという東北各地の著名な肉類が掠めたが、それを一度は脇に置いて牛肉の味噌焼き弁当を購入する。

郡山から白河までは半時間ほど。陸奥と関東とを隔てる史跡は貴族の世から歌枕として親しまれており、ここを越えれば蝦夷の地という郷愁と相まっての歌が多く詠まれている。その象徴たる地を還るというのは別の意味で感慨深く、それだけで心が躍る。いや、むしろ心としては凪ぐものであろうか。

 白河駅は大正時代に作られた駅舎であり、その洋の香りは心地が良い。この駅舎には観光案内書が併設されており、車が五百円で、自転車は無料で借りられるという。そして、白河の関までは十二キロほどと知り、自転車を借りて往くこととする。自転車では少し時間がかかりますよという男性の言葉が身に染みるまでに、そう時間はかからなかった。半時間もしないうちに、自転車は山道へと差し掛かり、僅かな下りと延々と連なる上り坂を進むこととなる。運動不足の身を苛め抜こうとする道は、最初はコンクリートが目立っていたものの、やがて土の香りがしだすと両脇を水を引いたばかりの田圃が占め始めた。


 優男やさおとこ 負けるなかわず れに在り


 傍から見れば長閑な光景なのであろう。しかし、現にママチャリを漕いでいる当人は汗水流して死に物狂いで進んでいる。引き返そうかという誘惑が何度も襲い、既に遅いと勇気を取り戻す。思えば、芭蕉おうはより暑い時期にここを徒歩で越えたのである。自転車という文明の利器をもってすればその三分の一ほどの労力で済むはずであると信じ、更に坂道を越えていった。

 一時間を過ぎて、足が棒に成り果てたところで白河の関の跡に辿り着く。鬱蒼と茂った木々に包まれ、古人の愛した歌枕に浸ることで全ての音が失われる。少し高台には公園があり、そこには子供連れの家族がゆったりとしている。その声もバイクの爽快な嘶きも全ては時代の壁に阻まれ、私は暫しの間、古の詩歌の饗宴に与るのであった。


 夏来たり 大樹の陰に 身を寄せて 歌人俳人 笑う薫風くんふう


 自転車で白河駅に戻り、そこからいよいよ関東に戻る。車内で山奥の定食屋を思いながら駅弁を食べれば夢見心地。上野より浮世に戻って浅草に宿を取ることとした。

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