第五段 改元~北上・山形
奥羽山脈を横断する場合、田沢湖線や陸羽東線の利用が頭を過る。盛岡まで足を延ばせば秋田新幹線沿いに西へ向かうことができる。一方、小牛田まで戻れば別名奥の細道湯けむりラインという心を擽る路線を進むことができる。しかし、この時は北上高地を往く北上線にてこの地を横断することとした。
すっかり水漬けとなった靴を引き摺りながら平泉を後にする。夏隣りという時節に在りながら、その停車場は身に染みて寒い。身体にまとわりついた水分はその熱を容赦なく外へと逃がしていく。これは北上駅でも同様であり、駅舎にてほうじ茶を買って暖を取りつつ、列車の出発を静かに待っていた。余談ではあるが、東北では駅の停車場に立ち食い蕎麦もなければ売店もないということが非常に多い。米沢にて駅弁を売る専用の店が設置されていたぐらいであろうか。これでは「そ」を聞きに行くことも
半時間ほどして列車が停車場を発ち、西へとむけて動き出す。単線で気動車という列車好きからすればたまらない路線なのではないかと思うが、この日は子供連れに天竺の妖艶を匂わせる青年たちに新米の車掌にとそれ以外の楽しみも相乗りする。大型連休に高まる人々の想いは外の寒の残りと合わさって車窓を白く染め上げる。そうした高揚感を一瞬で吹き飛ばしたのは錦秋湖の姿であった。
翡翠が成した湖面はそれだけで朱の鉄橋を照らし上げ、私に息を呑ませる。早春を閉じ込めた奥羽の連なりは残雪を抱え、それだけでも十分に脳裏に焼き付くものであったが、水面が全てを決めつけた。旅の終焉はこの地であったのかと思わせるほどの絶景に嘆息が止まない。そして何よりも、この錦秋湖は湯田ダムによって成された人工の湖であるという。故に、古の文人は見ることすら叶わない景観だったのである。
早春に
その後、新庄にて蕎麦を頂いてから山形に泊まる。平成明けて令和となる。翌朝早くより市井の街並みが気にかかり、道路に沿って南に東にと散策して回った。
地元でも広島でも東京でも福島でも見た看板がいたるところで目に入る。料理屋も紳士服の店も小売店もその姿に変わりはない。人がその地に住んでいる以上、その人々の利便性が最も重要であることは分からないでもない。東京に行かずとも近場で同じものを食することができ、同じものを手にすることができるというのは現代社会の恩恵である。ただ、熊本とは異なる稜線の下に画一的な家屋が並び、同様の人為が見えるというのは安堵感よりも強い寂しさを感じざるを得なかった。
十五キロほど歩き昼も間近となる。流石に空腹を覚えて駅の商店にて玉蒟蒻の煮付けたものをいただき、昼食を板蕎麦と定める。以前、物の本で見た覚えはあったのであるが、それがこの地のものであることを思い出し、矢も楯もたまらずに向かったのである。駅より往復にして一キロ半ということが気にはかかったものの、蕎麦食いの血の方が色濃く出てしまい、棒となった足を欲望で動かした。
さて、目当ての店に着けばそこには列ができている。普段であれば、蕎麦屋で列成すなどはもっての外という思いなのであるが、この日は素直に並び、素直に汁をつけて頂いた。
蕎麦の甘みは心も身体も癒すらしい。それに、聞き及んでいたこととはいえ、江戸の蕎麦とは異なり、噛めば噛むほど味が広がる。これに、足の悪い常連への気遣いや飾り気のない給仕の様が合わさり、正に至福であった。
夢見ごち 板に残りし 水の
食後、勘定を待たせたとのことで詫びられたが、その間もまた愉しかった。
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