第四段 栄華~平泉
石巻の豊穣一睡のうちにして、平泉の遺産は
小牛田で乗り換えた後、東北本線にて一ノ関へ。そこで乗り換えてさらに北上する必要がある。僅か二駅を残しての下車に焦らされながらも、一ノ関駅では売店の品揃えに目を覚ます。
平泉は二〇一一年、日本中が揺れた年に世界遺産への登録が認められ、極めて重大な歴史的価値を持つ存在となった。そのこと自体は聞き及んでいたため朝も九時には着いたのであるが、既に毛越寺では人だかりができている。とはいえ、往時の景色を水面に浮かべて妄想すれば、奥州の豊かさはそれだけで浮かび上がってくる。寺自体の敷地の広さは言うまでもなく、池の大きさも申し分ない。ただ、それらの目に見える大きさはこの地に降り立った時点で十分に想像できていたのである。遥かに西方の大宰府も敷地や池だけを見れば勝っている。それにもかかわらず私を飲み込んだのはこの城の奥に控えた山野の圧であった。裏方まで丁寧に造られたこの景観はそれだけで奥州藤原氏とそこに住む人々の栄華や自然との死闘を感じさせた。
それでも、そのような述懐の念と流転への想いは中尊寺にて砕かれる。世界遺産という名の印籠はこれほどまでに人を平伏させるのかと思わせずにはいられぬ人だかりに度肝を抜かれ、降りしきる雨を抜けて本堂に至る頃にはそれまでには感じえなかった疲労が重くのしかかるようになっていた。とはいえ、整えられてはいても、石やセメントやアスファルトで舗装されていない道はそれだけで私に元気を与える。また、本堂で見た荘厳は人だかりに霞みながらも千年近い歴史の隔たりを失わせるには充分であった。そして、光堂に並ぶ大蛇の列を見た私は、その中を求めることを潔しとはしなかった。
春にしてはあまりにも土を泣かせる雨の中で好奇に眼を輝かせる人々。あくまでも陸奥の中心であったという孤高の在り方を見せつつも、後世の人為によって隔てられた木の柵。人類の宝を見ようという気持ちが全く亡くなったと言えば嘘になる。しかし、それ以上に興が覚めたのである。
芭蕉見し
三代の栄耀一睡のうちにして、大門の跡は一里こなたにあり。ただ、東日本大震災の鎮魂を担う石碑のみが、奥州第一の信仰の地たるこの地の在り方を残していた。
さて、これより後は参道を下った店にて蕎麦を食し、高館義経堂へと上る。再び黒山の人だかりかと覚悟はしていたが、そこには見事な静寂が残されていた。世間が認めた宝でなければ価値なしとする人がこの日は多くいたのかもしれない。おかげで、大河たる北上川の雄姿をこの目に収めることができた。
絢爛たる輝きは人の目を容易に惹く。一方で、この地に散った武士たちの想いやそれを想った文人の涙は人の目には霞んで見える。春雨に濡れた土は泥濘となり、花弁は傘に纏わりつく。その中で過去を想った時というのは忘れがたく、それこそ永遠を
兵を 偲ぶ
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