第三段 萬画~松島・石巻

 浪江には二時間ほど滞留し、途中の原ノ町で乗り換えて常磐線をさらに北上した。その原ノ町での乗り換えに際して、近くでは男の子たちがボックスシートを陣取り、はしゃぎ倒していた。携帯ゲーム機を片手にして話す内容は他愛もないものであり、その声は車両を覆うほどであった。ただ、その心地よさは私を浅い眠りに誘い、彼らの声を途切れながらでしか聞けなかったのは残念である。

 南中をやや過ぎて仙台に降り立った私は、その都市としての大きさに驚かされた。無論、大型連休であったために普段以上の人通りを見せていたであろうことは分かる。それでも、連なるビルもアイドルのサイン会に並ぶ女性たちもその街の賑わいを表すには十分であり、一人青年はお上りさんになるだけであった。これが調子を狂わせたのかもしれない。思わずイタリア料理のチェーン店に入ってしまい、あまつさえ、ボトルワインを頼んでしまったのである。これがとどめとなり、その日はそれ以上の酒が一切入らなくなってしまったのである。牛タンも笹蒲鉾も私を妖艶に誘うが、白葡萄酒に骨抜きにされた身では千鳥足を抱えて宿に急ぐより他になかった。

 翌朝、かねてより気になっていた松島の景色を拝むために仙石線を往くこととする。その日は平泉まで足を延ばしたうえで北上線を横断すると決めていたため、車窓にてその美しさを楽しむこととする。松島といえば月を拝まずにいていいのかという思いが後ろ髪を引くが、不幸にして月齢が悪く、到底月を拝むことは叶わない。それならば、芭蕉の頃には望むべくもなかった産業革命の雄にその代わりを頼むのもまた一興、と腹を括っての出発であった。近くの席に座っていた少年は始発から目を光らせて車内を往く三十路男に何を見たのであろうかと考えると、面白い。

 そのような外聞を意識するほどには冷静であった心も、仙台湾と松の小島が織り成す景色が目に入ったとき、完全にかき乱された。


 大津波 浚い損ねて 松の原 春雨に濡れ 言の葉奪い


 花があるわけでもなく、金色が壮麗を成すわけでもない。茫漠とした北の海に隆々たる岩肌が堂々と雄々しさを放っている。親潮が黒潮に負けず闘うのを応援する雄々しさは私から言語を失わしめ、ただ、うおっという雄叫びを上げた後、車内で仁王立ちとなってしまった。とはいえ、この景色は近代的な堤防で覆われてしまっており、芭蕉の残した嘆息からはかけ離れているだろうという思いが去来し、切なさと奇妙な優越とが心を浚った。

 松島海岸駅を過ぎると列車は、海岸線をつかず離れずの絶妙な塩梅で進んでいく。途中、山と積まれた貝殻や海に連なる竿の群れを見れば、それだけでこの地の豊な養殖場としての素顔が垣間見える。先程の興奮はまだ冷めやらず、真新しい家々と白々しい堤防の冷めた視線から目を逸らす。そうした景色に意識が埋没していたのを引き上げたのは一本の列車であった。景色を遮るその姿は石ノ森章太郎氏の創出した絵で彩られ、春雨ながら重い雨脚を晴らすかのように駆け抜けてゆく。何が起きたのかも分からぬうちに石巻駅に運び込まれると、そこは別世界となっていた。

 この石巻駅もまた八年前の大震災で津波の被害を受けた場所である。五日間にもわたる浸水による直接被害を受け、周囲も低地は軒並み破壊と地盤沈下の洗礼を受けていた。それでも、この地を彩る萬画まんがの住人たちは駅舎の守り手として、この地の導き手として様々な姿を見せていた。特に、エレベータの壁面に書かれた絵はいずれも見る者の目を楽しませると同時に、見る者の心にどこか温かな希望を芽生えさせる春風として在った。


 色豊か 章太郎氏の 残り画は まだ尽き果てぬ 希望のみ指す


 乗り換えて、旧北上川を遡上しようとする。いよいよ平泉も間近となった。

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