第二段 草青~浪江

 翌朝、いわきを発ち更に北を目指す。車内を見れば同じく徘徊の徒と朝を急ぐ少年らばかりである。この子らもまた八年前の死線を越えてきたのであろうか、ただ黙然と揺られ往くばかりである。ふと、

「面構えがいい。この国は必ず再興する」

との一節を思い出し、その顔を見る。いい。陸奥が僅か八年でここまでの物質的な復興を果たし、その横顔を見せようとは思いもよらなかった。それ程に、かの震災は心を喰った。画面越しに次々と押し寄せる情報は、この世に地獄絵図を映し出したかのようであり、天災には抗えぬという無力感を植え付けられたものである。それに屈し続けた八年間の贖罪のように少年少女らの表情を見ていると感極まり、思わず目頭が熱くなった。


 このくにの 在り方示す 面構え 車窓に揺れる 青空に映え


 やがて、富岡に近づくにつれて少年らの姿は消え、残すは大人ばかりとなる。格好からして同族であろうと推察しつつ、真新しい駅に降り立つ。常磐線の中でもこの富岡から浪江に至るまでの区間は不通となっており、バスによる代替輸送が行われている。中は運転手と案内の女性を除けば私を含めた三人しかいない。車内では人物を含んだ写真撮影の禁止が案内され、乗り口が閉じられるとともに外界と隔絶された世界となる。


「これから帰宅困難区域に入りますので、窓をお開けになりませんようお願いします」


 案内の言葉が更に「現実」との溝を深くする。八年前の大震災とそれに伴って原子力発電所の立てた爪は、未だにその地を深く抉り続けていることを推察させる。ただ、その推察は悪い意味で外れた。保存されているのだ。

 鉄柵で封鎖された玄関の先にある家は戸を閉ざしたまま一つも動くそぶりを見せることはない。相馬焼きそばの店は看板こそ立派でありながら、その辺り一帯に一切の人気はない。某青いコンビニは看板の形と店の外形は残しながらも、明かりも装飾も一切ない。ただただ人の存在を感じさせるものは信号機と警備員と建設業者に接収された衣類量販店の店舗だけである。やがて、コンビニの青い看板が見えてバスは浪江駅に至り、私はそこで下車してその周囲を散策することとした。

 ここもまた、多くの時間が止まっていた。信号機は動いている。電気は通っているのだ。しかし、街中に並ぶ自動販売機を見れば電気も通らず商品も八年前で止まっているものもある。工事現場のプレハブに並ぶ自動販売機などはしっかりと動いているのに対して。また、何気なく並んでいるアパートも電気メーターが外され、無人となってしまっている。書店は商品棚と商品が崩れたままで放置され、クリーニング屋のカレンダーは平成二十三年の三月が堂々と存在している。駅もあり、帰宅も許されるようになったこの町は、それでも時を動かし始めるには不十分なのであろう。そして何よりも、住宅街の真ん中にある幼稚園は草葉に覆われてしまっている。無論、浪江町が幼保一体型の施設を新たに設けてはいる。それでも、往時の賑わいが失われていることは容易に見て取ることができた。

 果たしてこの街は、という問いに対して再興するという言葉をかけることもできよう。ただ、それはあまりにも安易だ。一度、その地から失われた賑わいを取り戻すのは難しく、かつ、それは元のものではない。私の故郷もそうなりつつある。だからこそ、それに抗うには精一杯の力と不屈の心を持つより他にないのである。最後に回った仮設の商店街とその後に見かけた枝垂桜にこうべを垂れつつ、等しく廻る春の薫りが、僅かながらにしても私にこの町の行く先を暗示していた。


 連休の 朝に残りし 鳥の声 木々の囀り 土に花の香


 駅舎に子供らの写真が飾ってあった。やはりその面構えはよいものであった。

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