徒然なるままに~草青〜陸奥・江戸の旅
鶴崎 和明(つるさき かずあき)
第一段 出立~いわき
二〇一九年四月の二十八日の午後、鞄一つで家を出る。可能な限り荷物を削っての出立であったはずであるが、肩にかけてみると存外に丸みを帯びておりややきつく食い込む。それでも、高速バスに乗り込んで一息つくと、この先にある旅路に心躍った。熊本空港を利用するのは初めてであり、飛行機を利用するのもまた八年ほどないことであった。見るもの触るものが目新しく、それが一層旅への思いを高めたのかもしれない。
さて、空港に着けば酒を飲むより他にすることもなく、されどもその酒は高い。麦酒で僅かに喉を潤し搭乗する。これが鉄道であれば思いに任せて缶麦酒が飲めたものを、と騒ぐ呑兵衛の血を抑え、二時間ほどの空の旅に身を委ねた。途中、房総半島の一部を眼下に収めた際には、
「暴力的なほどの水田地帯」
と呟くほどに強い衝撃を与えられたものである。特に、水を引き入れたばかりと思しき田圃はまるで水鏡のように輝いており、地平に降りて見るものとは明らかに異なっていた。
地を走る 田畑に心 暴れだす 逢魔が時に 臨む房総
成田国際空港に降り立った後、その人の多さと設備の見事さに嘆息しながら成田線に乗り込み、一路北を目指す。途中、我孫子で降りた際に蕎麦を手繰ろうかという思いが頭を掠めたものの、それを振り切ってさらに北上を続ける。このとき、何も手を打たなければ水戸止まりであったのを、途中で特急「ときわ」を挟むことでいわきへの道を切り開こうとしたのである。この時の高揚は私をトレイン・ミステリーの加害者にしたのであるが、その代償も大きかった。水戸駅の停車場に蕎麦屋も売店もなく、その空腹を引き摺るという刑罰を科されたのであった。
常磐の闇を往く列車にお腹がペコちゃんの身を委ねていると二十三時も間近になってようやくいわき駅に辿り着く。ひどく寒い。長袖一枚の我が身に対して、天気予報は最低気温を三度と示す。それでも、駅舎を出て構内を走り回る若者の集団を抜ければ、盛り場の明かりも見えてくる。その明るさに第一飲み屋街発見などと呟けば、否が応もなく期待に胸が躍る。大きな店も悪くはないが、小体な店の方が旅情を誘う。それならば、と店の面構えと自らの呑兵衛としての野生の勘を信じて店を探し、入る。看板ですよ、と断られる。子の刻も見える時間であるので、当然と言えば当然なのであるが、それでも諦めずに第二飲み屋街を見つければ気を取り直して新たに別の店へと入った。
店は老夫婦が二人で切り盛りされているようで、夜も遅い来訪であったにも関わらず、快く受け入れてくださった。朴訥という言葉がよく似合い、料理も酒もいずれも奇を衒ったものではなく、きちんと仕事をしていただいたものばかりである。そして、何よりもどの料理もたっぷりとしている。まるで、歓迎する気持ちが鉢に盛られているかのようであり、煮込みもこごみの和え物もタラの芽の天婦羅も堂々たる面持ちである。その量は私の腹を満たすに十分であり、終には飯が入らなかったほどである。
さて、熊本といわきのこの店であるが、話すうちに
海よ山よ 一鉢に来よ この宵も いわきの街を 謳う呑み助
老夫婦は週一度の韓流時代劇を楽しみにされていた。これも飾り気なしであった。
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